第四話 捻くれ者と部活動
「ざ..」
続きの罵声を浴びせかけた東雲未来がほんの少し静止した。動揺し視線を周囲に走らせている。
「ね、ねぇ皆川くん! 今何時?」
「....。8時だけど」
「....。マズイ..、今日バレー部の朝練があるの完全に忘れてたわ..」
「別に良いでしょ。一日くらいサボっても」
「え..」
無自覚に発した僕のその一言が、彼女の心に炎を灯したようだ。意味も分からず狼狽えてると、僕はネクタイの結び目を東雲未来に鷲掴みにされた。
「もう一回言って」
「だから....。意味ないでしょ。どうせお遊びでやってるような部活なんだし、たった一回サボったとか問題ないじゃん。そんな慌ててキレて、なんなんだよ!!」
「お遊び..。皆川くん、君は部活やってる人達はみんな仲良しごっこしてるとでも思っているの? 私はね、本来出場するべきだった先輩からレギュラーを奪って、来週の地区予選に出るの。この意味が分かる?」
「知るかよ。そんなのお前が強くて先輩が雑魚かっただけだろ。それに地区予選程度を当たり前に突破できないような部活がインターハイなんて出れるわけないじゃん。理想だけ高くて、現実見えてないんじゃない?」
「........なら君はどうなのよ?」
「僕の目標は難関国公立大学に合格する事だ。一年の時からコツコツ積み重ねていけば充分間に合う。地に足ついてると思うよ......」
「あっそ。でもさ、勉強だけを続けて将来なんの役に立つっていうの? 私たち高校生なんだよ! もっと青春ぽい事を楽しんでも良いじゃない!!」
「楽しんでるよ。僕にとって勉強は青春なんだ。それに将来役に立たないって言ったけど、努力して何か目標を達成する、その為の手段を模索する経験を積めるんだよ。お前みたいにーー」
「うだうだうだうだうるさい!! 要するに君が言いたいのはさ、俺はお前らとは違うって事でしょう! そういう独りよがりなところ、本当に気持ち悪いの..」
「キモチワルイ..? ぼ、僕が..。ウへッ」
「何を笑っているの気色悪い。そうよ。キモイのよ君。ウジウジしてるだけの雑魚だと思ってたら、陰でずっと私達のことを見下してただなんて、知りたくなかった!」
「......」
「もう行くね。話しても無駄だったよ、ばーか..」
それから、僕たちは一言も話を交える事なくマンションの玄関から外へ向かった。東雲未来は駆け足で、僕はいつも通りの速度。彼女の背中が小さくなるのを目で追いながらため息をつく。
流石に言い過ぎてしまった。普段の僕なら、本心で思っていてもあれほど直情的にはならない。その結果、東雲未来が激昂するであろう事も予測できていた。
頭は冴えている。僕の脳裏に一つの疑念が浮かび上がった。僕はわざと、彼女を怒らせるような事を言ったのではないか? 彼女に罵倒されたくて、わざと酷い言葉をぶつけたのではないか?
認めたくなかった。けれど、彼女に耳元でザコと囁かれた時の、あの興奮がいつまで経っても鳴り止まない。動悸が収まらない。何度も反芻するたび、気が狂ってしまいそうになった。
♢
「皆川、お前どの部活にも所属してないよな?」
学校に登校してすぐ、僕は職員室に呼び出された。担任の要件はこうだ。
「うちの高校は全生徒に対し、最低でも一つ、どこかしらの部に所属するという義務を課しているんだ。青春を勉強だけして過ごすのも味気ないだろう。やってみたい事はあるか?」
部活に入れと、そんなの冗談じゃない。高一から基礎を固めコツコツ論理的思考力を育む予定の僕が、高三の大会終わりからようやく受験勉強を始め山川とターゲットを丸暗記するような三科目の私文と同列になるのは嫌だ。
マネージャーと付き合った事を、飲み会で上司の愚痴に次ぐ肴として利用するその後の人生空っぽな人間と、くだらない青春を過ごすのだけは勘弁だ。人間悪い方に引きづられると相場は決まっている。
「あ..あ、あ....」
「なんだ合気道部か? あそこなら今部員も少ないし丁度いいな」
「違いますよ! 僕は物理部、化学部か数学研究会あたりに入ります!」
「そうか..。じゃあ、物理部と化学部、数学研究会と..。あとは合気道部のビラを渡そう」
「え、あっ..。合気道は興味ないです」
「見学するくらい良いだろう? 私はここの合気道部のOGで、指導者も兼任しているんだ。勧誘くらいさせておくれよ」
なるほど。やけにゴリ押してくると思ったらそういうカラクリか。良い歳して未だに学生の部活動と縁があるだなんて僕の担任は相当な暇人なのか? 冷笑しながらも、仕方なくビラを受け取った。
「はぁ..。めんどくせ」
「心の声がダダ漏れだぞ。今の時間ならまだ始まる前だから、とりあえず見て回ってこい」
「分かりました......」
こういうのは、本命から回るべきか、寧ろ興味ゼロのものから潰していくべきだろうか? 1階の職員室の側にある階段を降りてすぐ、地下1階に武道場はある。活動開始時間の50分前だから、多分人もいないだろう。
中の様子だけパッと見て帰ろう。
「........」
いや待て。誰かいる....? 畳が擦れる音、木刀を振り下ろす軌跡。
「あっ..」
目が合った。鋭い視線だったが、瞳の奥の方に優しさが垣間見える。僕と同級生ではなさそうだ。袴を履いてるし、二年か三年の先輩だろう。綺麗な人、それが第一印象だった。
「もしかして、体験に来てくれたの?」
笑顔で駆け寄ってくる。そのせいですぐに逃げ帰る事も難しくなった。道場の中へ案内され、部活動の簡単な説明を受けた。部員数とか、活動頻度、合気道って何なのか。
「お試しで、何か技かけようか?」
説明の最後に、その人は手を差し出してきた。その人、二年の先輩で名前は北条聡美。長い黒髪を後ろで束ねている。お洒落な女性が多い弊学の中でも際立つほどの美人だった。
そんな人が、自分の手を掴むよう僕に言ってくる。向こうとの合意の上だから、触っても問題無いだろう。
『性犯罪者』
なぜ今更そんな昔の事を思い出す? 中二の頃、移動教室の最中うっかり隣を歩く女子生徒の腕に触れてしまい、僕はその子とその子の友人から性犯罪者と呼ばれる日々を送っていた。
そのせいで、異性の身体に触れる事に拒絶反応を示すようになっていたらしい。なんてのは言い訳だ。僕は勉強しか取り柄のない分、容姿はお世辞にも整っているとは言えない。
日頃の不摂生のせいか、肥満気味でニキビヅラ。おまけにクルクルの天然パーマだ。人の身体に触れると、その人の肌を汚しているような気がする。わずかでも肉体接触を伴うなら、僕に合気道は不可能だ。
「......ごめんなさい」
やっぱり無理だと正直に伝えようとした時だった。
「ふふ。時間切れだ。君がいつまで経っても掴まないから私の方から握ってしまったよ」
「え..」
僕の右手は北条さんの両手でしっかりと固定され、肩に押し当てられている。
「ま、待ってください!! 汚いですよ、僕の手....」
「汚くなんかないよ。爪はちゃんと切り揃えてるし、良い石鹸の匂いもするじゃない」
「そ、それは....」
勉強に集中出来るよう、手だけは入念に整えてあるだけだ。
「とにかく、せっかく来てくれた子に何も教えないで返すなんて出来ないよ。急に技がかかるかもしれないから、痛くなったらすぐに膝を叩いてね」
「わ、わかり....。っていたぁ!! 北条さん痛いです!」
「おっとごめんよ。手首大丈夫?」
「まぁ..。すぐに終わったんで、痛みももう引きました..」
「なら良かった。ちなみに今のは二教って技だよ。合気道は大会もないし、力で競う事もしない。今みたいな感じで、身体構造を利用して相手を制すっていうのがメインかな」
「か、カッケェ....」
「ふふ。そう言ってくれてありがとう。まぁざっくりとした説明は以上かな。もし興味湧いたら、家から体操着持ってきてくれれば、体験稽古でもっといろいろな技を身に付けられるよ!」
「はい..」
色々あって、気の抜けた返事しか出来なかった。合気道の技って、本当にかかるんだなぁとか。誰かと競わない距離感も、今の僕には心地良かった。
しかし何よりーー
♢
「お。戻ってくるの早かったな。それで、どこに入るんだ? やっぱ数学ーー」
「合気道部でお願いします」
北条先輩と初めて会った時から、妙に胸がざわついた。
「あはは。これはどういう風の吹き回しだよ」
「....。格好良い先輩がいたんです」
そのざわつきの正体を、探ってみたいと思った。




