第十三話 変わらない
「入って良いか?」
扉をノックしても反応は無い。いつもならそうだったはずなのに、今は違った。僅かに開けられたドアの隙間から東雲未来の白くて細い腕が伸びる。
「体調悪い時、一人だと寂しいの..。勝手にどこかへ行くな雑魚..」
「ははっ..。一応、今日は学校があるんだよ」
そう言うと、彼女はキョトンとした顔を作った。
「何言ってるの? 学校の創設記念日で、今日は平日だけどお休みじゃない..」
「あ..。そうだったっけ」
「先生があんなに言ってたのに、聞いてなかったの?」
「ごめん。内職してたから全く..」
みなまで言い終える前に、東雲未来はケタケタと笑い始めた。これじゃあ薬のことを聞き出すのも容易ではなさそうだ。なんて切り出そうか悩んでいると、彼女は言った。
「まぁ、私も薬を飲んでるし、君の事を馬鹿にできる立場じゃないよ」
それはあまりにも清々しい告白だった。彼女は目を伏せてから、静かに呟く。
「君に教えようか悩んでたんだけど、もういいや。私ね、睡眠薬を飲まないと寝れないんだ。目を瞑ると過去の事とか、色々フラッシュバックして頭が壊れそうになるから」
「....」
「けれどこれを言うと多分さ、皆川くんはまた罪悪感を覚えちゃうでしょ。気にしないでって言うのは私の勝手でも、そこら辺の区別はつけてきたんだよね。だから、中々打ち明けられなかった。変に誤解させてたらごめん」
言い終えてから、彼女はポケットから薬の錠剤を出し僕に見せてきた。
「親同伴で、医師に処方して貰ったやつ。まだ信用出来ないなら、ママに聞いても良いよ」
瞳は真っ直ぐに僕の顔を捉えている。到底嘘だとは思えなかった。
「うん..。変に疑って悪かった。けど、遥香さんもお前が最近あまりにも体調不良になる事が多いからって心配してたんだよ。他に心当たりのある原因があるなら、あまり無理はしないで欲しい」
「へへ..。なんだぁ..。つまり君は私の体調を心配してくれていたんだね? でも安心して。今出てる熱だって、ただの風邪か何かだと思う。一日中横になっていれば、全部よくなるよ」
「本当か?」
「何度も言ってるでしょ..。皆川くんは私を気にせず、ここで勉強でもしていれば良いの。それしか取り柄ないんだから、せめて誰にも負けないくらいには頑張って」
「別にお前に強制される筋合いは一ミリたりとも無いんだがな。まぁ、最近はあまり出来てなかったし、そろそろ過去に受けた模試の解き直しをする頃合いか..」
「そうだよ..。解き直し、私にも、やってーー」
「はは..。どういう意味だ?」
刹那、思考が揺らぐ。彼女に腕を握られ、その状態でベッドの上に投げられた。身を起こそうとするや否や、飛び掛かった東雲未来の肢体が僕の抵抗をいとも簡単に封じ込む。
「は、放せよ!」
言葉では叫ぶが、もう身体にこめる力は僅かだった。自身がそれを意図的にコントロールしているせいか定かではないが、僕の上で、東雲未来は着ているパジャマを臍の上あたりまで捲り上げた。
「さ、さっきも見た..。もうやめてくれよ..」
あまりに急な状況変化に僕の脳はついていけず、情けない事に涙を溢していた。それを悟られたくなくて、目線を外し視界を閉じても、未来の肌が残像のように張り付いて離れなかった。
「顔真っ赤。そんな汗かいて、もしかしてその気になってるのかなぁ?」
なっている。僕はこの時、恐怖を感じていたがそれ以上に興奮していた。全身を血流が巡り、身体中から変な汗が噴き出て止まらなかった。このまま勢いに任せて押し倒したい。それを理性が封じ込めている状態だった。
「なってない」
「じゃあ、今から私のお腹触って。昔と比べてみてよ」
「昔..。そもそも昔にだって、僕はお前のお腹を触った記憶なんてない!」
「ふーん、一緒にプールで遊んだ時の事とか、もう覚えてないんだ。健忘症のざーこ」
それから彼女は、当時のデート内容やお腹を触るに至った経緯を事細かく語り始めた。真実にしてはいささか脚色要素が強いが、嘘と断定するには緻密すぎる。全てあの恋愛日記に書いてあるのだろう。
「あの時の記憶を、上書きして欲しいの。君に、贅肉をぶら下げだダラシない腹の女が東雲未来だって、思っていて欲しくないから..」
僕はもう肝心の記憶さえ無いというのに、ここまで出来るのだろうか? かといって、自分も目の前の良く引き締まった綺麗なお腹を触りたくないわけでもない。なけなしの勇気を振り絞り、僕は未来のお腹に手を添えた。
「ん..。どう?」
「い、良いと思う。白いし、くびれてて..」
「何そのベタな感想? 雑魚は気の利いた言葉一つかけてあげられないのかな..?」
その台詞を聞いた瞬間は、どんな罰ゲームだよと思った。どうせ褒めちぎったら発情した雑魚呼ばわりされ、今みたいに素っ気ない風を装っても不服そうな顔をされる。とはいえ、整ってて綺麗というのが正直な思いだ。
純粋に言えば満足してくれると思い口を開いたその瞬間、動揺してぼやけていた視界が明瞭になり、未来のへその横にある小さなホクロが僕の目に飛び込んできた。
「....」
僕はこれを過去に見た事がある。誰のものか忘れていても、鮮烈な記憶として焼き付いていつまで経っても抜けなかった。今では、東雲未来の中でも変わらなかった数少ない点だ。
「変わってない..」
「何言ってるの? 私は変わったの。痩せて、適度に筋肉もつけて、あの時とは何もかも違うの..」
「違うよ。未来は変わってない。あの頃と全然変わらない。見た目がどれだけ違っても、未来は未来のままだ」
その言葉のままに、僕は反射で彼女の事を抱きしめていた。理性の消えた頭の中を、本音だけが埋め尽くしていく。
「どんな姿でも、僕は未来の事が好きだから」
口に出してすぐに後悔した。これはもうほとんど告白と同義ではないか? そう考え悩む頭とは裏腹に、どこか言語化の出来ない快感が身体を満たしていたのも事実だ。
号泣する彼女を離さないように上半身を密着させたまま、僕はずっと未来の頭を撫でていた。小刻みに振動する肩や、上気した頬、潤んだ唇の全てが愛おしいと思えてしまった。
ドクンーー
心臓が脈打つ音がする。僕は本当に、東雲未来の事が好きなのだろうか? なんて考えだしてから数分後。微睡かけた空間で、意識外から接近する第三者の介入に気づく間もなかった。
「おーい」
「え..?」
「あまりくっつくなよ。私はお前らのおせっせを見る為にここへ呼ばれたわけじゃないんだからさ」
どうしてここに、星野がいる?




