敵の挑発
ハーフタイムの休憩中――。
出場した選手たちは水分をとり、マネージャーたちが用意してくれたタオルで汗を拭いた。
「瑞季、ナイスゴール!」
暦がベンチに座って靴ひもを結び直していると、キャプテンが隣に座って暦の肩を叩いた。
「……キャプテンも、ナイスアシストです」
しかし、暦はどこか浮かない顔で、沈んだ声色で返した。
「もしかして、あいつが言ったこと気にしてんのか?」
キャプテンが訊くと、暦は何も言わずコクリと頷いた。
それは試合中のこと――。
暦のマークをしていた相手の23番のディフェンダーが、事あるごとに罵詈雑言を吐いていたのだ。
選手の名前は間寺――。
試合前、暦が警戒していたセンターバックが突然の欠場で、急遽代役として入ったいわゆる3番手のセンターバックだ。
3番手とはいえ、実力もサイズも申し分なく、暦の壁として立ちはだかっていた。
「あんなの、実力の無いディフェンダーの常套手段だ。気にすんな」
キャプテンは暦の頭を大きな手で包み、優しい言葉をかけるが、暦の心が晴れることはなかった。
相手選手からの自分自身に向けた挑発や罵倒――。
暦にとってはこれまで何度もあったことだ。
それは、報復行為による退場の誘発であることはサッカーの歴史を紐解けば、事例はいくらでもある。
しかし、今暦に浴びせられている刃物は、これまでとは違う鋭さをもったものだと暦以外の誰もが知る由もなかった。
試合後半戦――。
試合の良い流れを維持している上葉高校は、選手交代せず先発の11人がそのままピッチに戻った。
相手もそれは同じで、背番号23番の間寺は暦と目が合うと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
相手チームのキックオフから試合が始まると、後ろに落としたボールをダイレクトで蹴り、いきなりシュートを狙ってきた。
ボールはゴールの枠から大きく外れ、上葉高校のゴールキックに変わる。
そして、前半と変わらず、上葉高校がボールを保持しながら試合が進んでいった。
「……おい、そこの天才坊や」
味方がシュートを外して相手のゴールキックになり、選手たちがポジションに戻ろうとしていると、暦にマンマークをしていた間寺が性懲りもなく話しかけてきた。
「さっきまでの勢いはどこ行ったんだぁ? 俺たちから9点取ってみせろよ」
選手個人としてのプライドをへし折ろうとする邪悪な笑み。
しかし、これまでのサッカー史において、己の高い矜持を刺激されて悲惨な末路を辿った者がいることを暦は知っている。
チームが勝利するためには、自分の一部を捨てなければならない時がある。
それが今であることを暦は重々わきまえている。
しかし、それは相手も同じことだった。
後半開始から20分が経過――。
スタートから出続けていた選手たちに疲労の色が見え始めたのか、これまで安定していたパスが乱れ始めた。
すると、相手チームはその隙を突くように素早く受け手の前に入り込み、ボールを搔っ攫っていった。
奪った選手はすぐに前線へとボールを送り込み、身体能力で劣る上葉高校は対応に追いつけない。
そして、あっという間にキーパーと一対一になり、あっさりとゴールを決められてしまった。
負けると予想されていたチームの同点弾。
それは、下馬評を覆す可能性を感じさせ、冷めていた会場を湧かせてみせた。
「切り替えろ! まだ負けてないぞ!」
手を叩いてチームを鼓舞するキャプテン。
選手たちはそれに呼応するかのように、お互いに声を掛け合い、コミュニケーションを取る。
しかし、その輪に入り損ねた暦の目の前には、見下して嘲笑う間寺が通せんぼした。
「なんだ。日本一って言われてる割には大したことないなぁ。このチームはもうお前に依存でもしてんのかぁ?」
間寺は何も言い返さない暦の頭を鷲掴みにして、自分のポジションに戻っていった。
会場に漂う空気にもピッチ内の勢いにも圧倒され、暦は呆然と立ち尽くす。
勝利が義務付けられた立場と、それを相手の勢いで覆されそうになっている現状。
その二つが暦の前に聳え立つ壁を、更に高く分厚くしていた。
小さな体では超えることも、突き破ることも厳しく、暦は高く感じた壁の前にただ立ち尽くす。
「……っ!!」
すると、ゴツゴツした真っ白な一つの手が、背後から暦の頭を優しく包み込んだ。
手の先を見ると、キャプテンが何かを期待しているかのように、相好を崩していた。
「点、取れるよな?」
まだこれからだと、奥で炎を燃え滾らせる熱い眼差し。
そして、こんな逆境を心から楽しむ余裕の笑み。
暦の前に立つ分厚い壁に大きなヒビが入る。
「……はい。ハットトリック取ってきますよ」
静かでいて、力強い暦の返事。
そんな暦を見て、キャプテンは子どものような無邪気な笑顔で返した。
「オーケー。パス出す」
キャプテンは自分のポジションへ戻っていき、暦も後ろを振り返って自分が目指すべきゴールを見つめた。
「瑞季―!」
すると、今度はベンチから折節の声が、暦の耳に伝わる。
「今こそ、お前の世界一の器を見せる時だぞ!」
分厚い胸板を丸太のような太い腕で叩いて、遠くから暦に激励する折節。
高く感じていた壁は背伸びして手を伸ばせば、掴めそうな気がしてきた。
勇気づけられた暦は細身の腕を小さな胸に軽く叩いて、折節に返した。
後半も折り返し――。
スコアは1―1。
チームが勝てるチャンスは充分にある。




