第95話 「隣の大陸から、小さい船は来ないの?」
ペーターによると、ファイトは言葉少ないながらも年下の子たちにそっと気を使えるタイプの、頼れるお兄さんだったようだ。
「ファイトさんはあんまり気づいてなかったけどな、結構みんなに頼りにされてるんだ。相談するならファイトさんだったし、今でも里帰りしたら絶対に遊びに誘うくらい」
教会への道すがら、ペーターは嬉しそうに語った。
「ファイトさん、落ち着いてる感じだもんね」
ゆっくり話を聞いてくれる空気があり、どんどん前に出る感じではない。
「そうなんだよ。まあ、女子はそうでもなかったけど。ファイトさんの一つ上の人がすっごく元気で、女子の中心だったんだ」
「わかる気がする。ファイトさんは、声は大きくないけど考えがしっかりあるよね」
カイは同意してうなずいた。
物腰は柔らかいし話し方も優しいが、すぐに主張を曲げたり引いたりすることはない。
真面目で堅実だが、茶目っ気もある。
前世の記憶から考えると、ファイトは結婚を意識する女性にもてるタイプだ。
その後は、とりとめのない話をしながら教会まで歩いた。
「ええ、私はかまいませんよ。ファイト君もペーター君も、来てくれて嬉しいです」
司祭先生は、二人を快く受け入れてくれた。
ファイトも、ペーターに経営学の基礎を教えることに前向きだった。
「ぼくの復習にもなるから、ちょうどいいよ」
そう言われたペーターは、力強く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
ペーターたちの様子を見ていたオスカーは、ニコニコの笑顔だった。
「兄さんと一緒に勉強できるの、嬉しいな」
思わずその頭を撫でたカイは悪くないと思う。
持って行った文章問題は、なかなかに好評だった。
「あはは、ぼくがお使いに行ってる!」
「あたしはキャンディを持ってるんだって」
計算が好きじゃないと言っていた子たちも、自分の名前が出てくる問題は楽しかったらしい。
カイは、次の授業にまた問題を作ってくると約束した。
一方、やる気に満ちたペーターは、ファイトから経営関係に必要な計算式を教わっていた。
オスカーはその隣で、この領地の地理を学んでいた。
町の学校では、歴史のとっかかりとして、領地のことを教わるそうだ。
「ツーレツト町は、港があって他国との輸出入……ほかの国のお店から買ったり、この国の商品をほかの国に売ったりしているんだ。そして、領都はこっち。ここも港があるけど、国内とのやり取りが中心になってる」
「りょーとは、りょうしゅさまが住んでるところだよね。どうして、こっちではゆしゅちゅにゅう、しないの?」
ペーターが複雑な計算式に四苦八苦する隣で、オスカーが不思議そうにファイトに聞いた。
「色々と理由はあるんだけど、一つは隣の大陸から一番近いのがツーレツト町だから。港の形がちょうど良くて、大きな船が入りやすい。領都は少し小さくて、大きな船は入れないんだって。あとは、入り口を一つにすることで、悪い人が入れないようにしてる」
「ふうん。隣の大陸から、小さい船は来ないの?」
ファイトは、微笑んでうなずいた。
「小さい船ではこっちまで来るのが難しいんだ。海の魔物がいない場所を通ると、波が大きくてひっくり返るんだって」
カイは見たことはないが、沿岸部にもごくたまに海の魔物がやってくるらしい。
水中を泳ぐ魔物は対処が面倒なので、避けるようにして航路を選んだのだろう。
ファイトの説明に納得したらしいオスカーは、領地の地図を見ながらその名前を読み上げた。
「兄さん、あんなむずかしい計算ができるなんてすごいね!」
授業が終わってから、オスカーの尊敬のまなざしを受けたペーターは苦笑した。
「いやいや、おれは一応、基礎学校はもう卒業したからな。オスカーの方がすごいよ」
ペーターは、弟の頭をくしゃりと撫でた。
兄に褒められたオスカーは、嬉しそうに笑った。
小さな弟の歩幅に合わせて一緒に帰るペーターを見送って、カイはふと自分のいた孤児院を思い出した。
しばらく手紙を書いていなかったので、久しぶりに近況報告も兼ねて何か送ってもいいかもしれない。
次の日、カイは出かけずに家で過ごしていた。
ヒルダが、漆喰の材料を持ってきてくれる予定だ。
さすがに朝からいる必要はなかったが、庭の草抜きをしながらのんびりすることにしたのだ。
「そういえば、このあたりに畑を作ろうと思ったんだっけ」
井戸のすぐ近くの雑草を処理しているときに、ふと思い出した。
季節的に、成長の早い葉物野菜くらいなら冬までに収穫できるだろうか。
「よし、やるか」
カイは腕まくりをして、範囲を決めるところから始めることにした。
自分一人なので、そんなに大きくするつもりはない。
「うーん、三畳くらいでいいかな。それ以上は、余裕があったら広げる感じにしよう」
畑と庭の境界には、薪をいくつか拝借して柵代わりとして土に突き刺した。
これも、暇なときにもう少しちゃんとしたものを作りたい。
「畝を作って……こんなもんか」
土魔法を使えば、畑の形はすぐにできた。
「あとは種と肥料だな。肥料は腐葉土を森で集めるとして、種は商店か。まあ急がないから、また買い物に行ったときに貰おう」
それっぽくなった畑スペースに満足したカイは、袖で額から落ちる汗を拭いた。
昼過ぎになってから、ヒルダが馬車を操って家の前までやって来た。
「カイ、持って来たわよ」
「ありがとう、ヒルダ!受け取るよ」
小さめの荷馬車の荷台には、大きな皮の袋と小さめの袋が三つずつ置いてあった。
「三つずつならまけてくれるって言うから。多かったかしら?」
「ううん。足りなくなったら困るから、むしろありがとう。全部買い取るよ」
答えながら、カイは大きな方の袋を荷台から下ろした。
「大丈夫?一緒に運ぼうか?」
「ん、なんとか、平気。小さい方をお願いしてもいい?」
よいしょ、と肩に担げば、ずっしりと重いが何とか持ち運べそうだ。
「わかった。扉は開けるね」
「ありがとう」
家に入り、リビングの奥の階段から屋根裏に上がる。
少し階段がギシギシいったが、問題はない。
三往復して、漆喰の材料はすべて屋根裏に収まった。
「助かったよ。これはさすがに、歩いて持って帰るのは無理だった」
「さすがにね。この大きな袋三つは重すぎるわ。一つくらいならなんとかなりそうだけど」
リビングに戻った二人は、一息ついた。
「ちょっと待ってて、お茶を出すから」
カイがソファを示すと、ヒルダは尻尾を楽しげに揺らした。
「嬉しい!ちょうど喉が渇いてたの」
「冷たいのを持ってくるよ」
カイは、キッチンの床の跳ね上げ扉を開けて地下へ向かった。
ひんやりした地下倉庫から持って来たのは、冷ましてから地下に置いて冷やしていた緑茶だ。
さすがに冷蔵庫で冷やしたほどではないが、カップに入れれば冷たいのがわかる。
「どうぞ」
「ありがとう。……ん!ちょっと苦いけど、爽やかな感じでさっぱり飲めるわね」
「この苦いのが好きなんだ」
カイは、ひんやりとしたのど越しと緑茶の風味を味わった。
温かい緑茶も良いが、まだ暑いのでやはり冷たいのが美味しい。
「井戸で冷やしてもいいかもだけど、うっかり水が入ったらダメになるから」
やかんごと井戸に下ろす手もあるものの、カイには失敗する図しか思い浮かばなかった。
滑車などがあれば違うのだろうが、庭の井戸は屋根すらないのだ。
修理ならともかく、滑車を一から作る腕はない。
「確かに、井戸の水は冷たいものね。そのままじゃ飲めないけど」
普通、飲み水は水魔法で出すが、一応井戸水などは沸かせば飲めることは知られている。
「肉屋さんのとこみたいに、もっと地下深くまで掘ったら涼しいかなぁ」
カイが言うと、ヒルダは耳をピコンと揺らして噴き出した。
「あはは、冷たいお茶のために地下を掘るの?いくらなんでもお茶道楽が過ぎるわよ」
「魔法なら何とか……。あ、でもすぐそこに井戸があるから、水脈にあたりそうだな。もうちょっとあっちならいけるかな」
うーん、と本気で考え始めたカイを見て、ヒルダが楽しそうに笑った。





