第94話 「教会の授業ってぼくも行っていいのかな」
店を出て歩いていると、ちょうどファイトが前からやって来た。
「こんにちは、ファイトさん」
「ああ、カイ。こんにちは」
片手に持った籠には小さなブドウが入っているので、果樹園に行ってきたようだ。
「そうだ、ファイトさんに少し聞きたいことがあったんです。少し良いですか?」
カイが聞くと、ファイトは笑顔でうなずいた。
「うん、いいよ。あとは工房に戻るだけだし」
「ありがとうございます。実は、教会での授業で、子どもたち用に簡単な文章問題を作ることになったんです。それで、オスカーには少し難しい問題を用意しようと思ったんですが、ツーレツト町の学校でどれくらい教えているのかを知りたくて」
「文章問題!計算学だね。最後の方にちょっとだけ出てきたけど、あれは苦労したんだよ」
ファイトは当時を思い出したのか、苦笑しながら頭を掻いた。
「やっぱり、慣れておいた方が良さそうですよね。それで、こういう問題を作ってみようと思うんですが、学校で見たものと同じような内容でしょうか?」
カイは、家にあった紙に書いてみた文章題を、ファイトに手渡した。
「『家にパンが二個ありました、そのあとお母さんが四個買って来ました、家にはパンが全部で何個ありますか?』か。なるほど、すごく簡単な計算だけど、文章にしてあるんだね」
問題を読み、ファイトは感心したようにうなずいた。
「そうなんです。最初は想像しやすいようにと思って、オスカーが出てくる問題を作ったら、みんなもそういう問題が欲しいって言うので」
カイがそう言うと、ファイトは楽しそうに微笑んだ。
「なるほど、自分の名前が出てくるんだね。それは楽しいかもしれない。ツーレツト町の学校で解いた問題は、人は出てこなくて、ものの数をとにかく計算するだけだったから」
ファイトは、問題を書いた紙をカイに返した。
「もっと実践寄りだった感じですか?」
カイが聞くと、ファイトはうなずきかけてから首を横に振った。
「うーん……どっちかっていうと実践っぽかったかも?店頭での売り上げが銀貨五枚と銅貨八枚、卸販売が銀貨七枚と銅貨三枚、合計いくらになりますか、みたいな」
どちらかというと、数字を単純に文章化した問題が多かったようだ。
実践には役立ちそうである。
しかし小さい子どもなら、内容に関心を持てるかどうかは取っ掛かりとして重要になるかもしれない。
うなずくカイに、何やら考えていたファイトがおずおずと言った。
「その、教会の授業ってぼくも行っていいのかな」
ファイトはツーレツトの学校に通っていたのだから、当然教わりに行くわけではない。
「いいと思いますよ。司祭先生は、僕が関わるのも歓迎してくれていましたし」
カイがそう言うと、ファイトは決心したように手を握った。
「そっか。一応、司祭先生にも聞いてみる。ちょっと、カイに聞いて思ったんだ。ぼくも村の授業とツーレツト町の学校の違いにびっくりしたから、オスカーに授業のことも、それ以外のこともちゃんと教えた方がいいんじゃないかなって」
「それは、先輩ならではというか、ファイトさんしか教えられないことですね」
カイは当然知らないし、デニスでは年が離れすぎて、当時から変わったところもありそうだ。
うなずくカイに、ファイトはほっとしたような笑みを向けた。
「ちょっと押しつけがましいかなって思ってたんだけど。知らなくて苦労するのをわかってるなら、教えた方がいいよね」
「はい。それに、勉強のことならオスカーはきっと喜びますよ」
きっと、嬉しそうに目を輝かせるだろう。
「確かに、オスカーなら喜んで聞いてくれそう」
ファイトは楽しそうに目を細め、カイもうなずいた。
次の日、カイは比較的涼しい朝のうちに薪拾いに出かけた。
南の森もかなり慣れてきて、薪を拾う範囲なら迷うことなく行くことができる。
毎回同じところではなく、少しずつ場所を変えるのも重要だ。
間伐しながら管理している森なので、あちこちに間伐材が落ちている。
幹は素材として村に持ち込んで加工しているが、切り落とした枝葉はわりとそのままなのだ。
自然と落ちた枝もあるし、薪に困ることはない。
ひょいひょいと拾って集め、背負子にまとめたころ、森の奥側から足音が聞こえた。
規則的だし、衣擦れの音も聞こえるので人だ。
「あ、ペーターとヴィリーさん。おはようございます」
やって来たのは、オスカーの兄のペーターと、果樹園の作業と薬草事業の責任者を兼任しているヴィリーだった。
この奥の方に薬草を育てている場所があるので、その管理に行った帰りだろう。
「おはよう、カイ」
ヴィリーは、ふさりと尻尾を揺らした。
がっしりした壮年の男性で、果樹園の力仕事もひょいひょいとこなしていた。
「おはよう。薪拾い?」
あんまり年が変わらないので敬語はいらない、と伝えてから、ペーターとはざっくばらんに話せている。
そのペーターは、少しくたびれているように見えた。
「うん。朝のうちに拾ってしまおうと思って」
カイが背負子をかつぐと、ペーターが隣に来た。
しばらく薬草の成長具合などを聞いていたが、森を出るか出ないかのところでヴィリーがひょいと手を右へ振った。
「俺はこのまま果樹園に行くから。ペーターは夕方にもう一回行くんだろう?今日はかなり動いたから、昼間は休んでおけよ」
「はい」
薬草事業の責任者はヴィリーだが、作業関係を中心的に行うのはペーターだと聞いている。
「やっぱり、ジュース工場とは全然違う?」
「かなり。朝早いのが結構辛いかも。雑草を取るのはまあ土魔法も使うからそこまででもないけど」
ペーターは、父の伝手でジュース工場を手伝っていた。
そこから、薬草事業に完全に転職したのだ。
仕事でくたびれているのかと思ったら、活動時間が変わったことが一番の原因らしい。
「今までずっと規則的だったなら、慣れるのに時間がかかるかもしれないな」
「カイは、旅をしてたときは不規則だった?」
質問してきたペーターだったが、どこか上の空である。
「うん、まあ。野宿のときは、あんまり眠れなかったし」
「そっか」
多分、聞きたいことか話したいことがあるのだろう。
この年頃なら、冒険者になりたいとか本当は村を出たかったとか、そういうことだろうか。
カイは、気持ち歩く速度を落とした。
カイの家が見えてきたあたりで、ペーターがひとつ大きく息を吸い込んだ。
「あのさ、カイは教会の授業に行ったんだよな?」
思ってもいなかった質問だったので、カイは思わず目を瞬いた。
「うん。オスカーに問題を作ったら、他の子たちにも作ることになってね。昨日の夜は、今日の分を作ってたんだ」
「オスカーにも聞いたよ。それで、その、ファイトさんも教会に行くって聞いたんだけど」
前を見たまま、ペーターが言った。
「そう言ってたよ。今日は多分、ファイトさんが来るんじゃないかな。司祭先生に聞きに行くって言ってたから」
カイがうなずくと、ペーターは立ち止まった。
「町の学校で習うのって、経済学とか店の運営とか、そういうのもあるんだよな」
「ファイトさんは、そっち関係の授業を選択したみたいだったよ」
それを聞いたペーターは、きゅっと拳を握った。
「おれも、そういうの、ちょっと勉強した方が良いかなって。今はヴィリーさんが責任者でいてくれてるけど、多分そのうちおれが中心になってやることになりそうだから」
「ああ、ファイトさんなら相談しやすいかもね。ペーターなら手取り足取り教えなくていいだろうし。今日、ファイトさんに聞いてみようか?」
オスカーに教えるついでに、ちょこちょこ聞くくらいならそんなに負担にもならないだろう。
カイの提案に一度うなずいたペーターは、すぐに首を横に振った。
「うん……いや、おれが自分で聞きに行くよ。この後だろ?」
「それなら、一緒に行く?僕は薪を置いたら行こうと思ってて」
「うん」
薪小屋の前に背負子を下ろし、カイは薪を積んでいった。
「ペーター、薬草事業やる気なんだね。でも、仕事を切り替えたところなんだし、無理はしない程度に頑張って」
「まあ、そっちもあるんだけど……オスカーだけとか狡いじゃん。おれもファイトさんに教わりたいっていうか」
ペーターは、口を尖らせた。
どうやら、ポツリと零したこちらが本音なのだろう。
ペーターにとってのファイトは、少し年上の憧れのお兄さんだったらしい。
ここでからかうのは良くないな、と思ったカイは、違う言葉を選んだ。
「エルフの村とのやり取りもあるだろうから、運営とかそういうのは知っておいて損はないよ。良いと思う」
「だよな」
安心したらしいペーターは、嬉しそうに笑った。
その笑顔は、新しい問題を貰ったオスカーによく似ていた。





