第93話 「紙か。何に使うんだ?」
「いいな、あたしもこういう問題ほしい」
ぽろりと言ったのは、オスカーよりも少し小さな子だ。
「僕も欲しい!」
「オスカーだけってずるい。おれもー」
「でも、ちょっとむずかしいよ」
「もっとかんたんなやつ」
寄ってきた子どもたちは、計算の問題だがいつもと違う内容に興味を引かれたらしい。
司祭先生は、少し困ったように微笑んだ。
こういう問題は、作るのに時間がかかる。
だからカイは提案した。
「司祭先生のご迷惑でなければ、僕が次までにいくつか考えて書いてきますよ。とはいっても、一人二問ずつくらいになりそうですが」
今ここにいる子どもたちは、全員で十人いるかどうかというくらいだ。
二十問程度なら、ちょっとした空き時間に作るのもそんなに苦ではない。
「お気遣いありがとうございます。子どもたちが興味を持ってくれるようなのでお願いしたいですが、本当に負担にならない程度にしてください」
「はい、続けられそうなくらいの数にします。慣れてきたら、大きな子に問題を作ってもらえるようになるでしょうし」
カイがそう言うと、司祭先生は驚いたように眼鏡の向こうの目を見開いた。
「その手がありましたね。いやはや、私も授業の方法が凝り固まっていたようです。ありがとうございます。次は明後日ですが、問題ありませんか?」
にっこりと微笑んだ司祭先生は、とても嬉しそうである。
「明後日なら大丈夫です。授業が始まる前に、問題を持ってきますね」
「そうしていただけると助かります。ほら、皆さんもお礼を言ってくださいね」
司祭先生は、きゃっきゃとはしゃいでいる子どもたちに呼びかけた。
「カイ兄ちゃん、ありがと!」
「ありがとう、カイ兄さん」
「おれの名前入ったやつ、頼むな!カイ!」
「ありがとう!」
「楽しみにしてるね」
子どもたちは、いつもと違う予定が楽しみなのだろう、キラキラの笑顔である。
「どういたしまして。色々なものと、皆の名前が出てくる問題を作って来るね」
カイがうなずくと、子どもたちは楽しそうに跳びはねた。
次の日、カイは商店に紙を買いに来た。
さすがに、そんなにたくさんは家になかったのである。
この世界では、いろいろなスキルが発展している関係か、製紙や印刷技術はそれなりに進んでいる。
本は多少贅沢だが、大きな町なら図書館があるものだし、娯楽としての本もそれなりにある。
カイは旅をしていたこともあり、日記用のノートのほかには、メモに使える数枚程度しか持ち合わせていなかった。
「こんにちは」
「カイか、らっしゃい」
店番していたのはヤーコブだ。
いつもの椅子に座り、新聞を広げて読んでいるようだった。
一面に載っている記事は、どうやらどこかの貴族の不祥事が発覚し、後継者問題も発生しているというものらしかった。
どこの世界でも、権力者が転がり落ちるのは一大ニュースになるものらしい。
「すみません、紙をいただきたいのですが」
「紙か。何に使うんだ?」
ヤーコブは、読みかけの新聞をたたみながら言った。
「教会の基礎学習で、子どもたち用に問題を作るんです。だから、メモというよりは少し大きめのものを探しています」
考えながらカイが言うと、ヤーコブは一瞬細い尻尾を止め、それから感心したようにうなずいた。
「フュル先生の手伝いか。確かに、毎回問題を作るのは大変だからな」
「フル?先生とおっしゃるんですか」
言い慣れない名前なので、カイは思わず聞き返した。
「ああ、司祭先生の名前だ。本当は、フュルヒテゴット先生だが、まあ呼びにくいだろ。だから、司祭先生で良いと言われている。俺は直接教わってはいないが、良い先生だと聞いてるな」
「ひゅ、ふ……。ふゅる、ひて、ごっと先生、ですね。あまり聞きませんが、司祭先生らしい、神聖なお名前ですね」
『神を畏れる』という言葉に基づいた名前だと聞いた気がする。
「確か、生まれたときから司祭にするつもりで名前もつけられたと聞いている。フュル先生は、元々どこかの男爵家の三男だったらしい」
ヤーコブは、棚を探りながら教えてくれた。
名前もそうだが、所作の美しさも元貴族だというなら理解できる。
「そうだったんですか。お貴族様の家って、あっちこっちにつながりを作るために色々あると聞いたことはありますが」
カイは、思わず小さく息を吐いた。
政略結婚はもとより、養子に入れたり、寄親の領地に働きに出したり、王城の官僚にさせたり、教会に入れたりと、様々なつながりを作るそうだ。
カイにとってはほとんどおとぎ話のような世界だが、司祭先生はそれが当たり前の環境で育ったのだろう。
「今はもう、世代が変わってのんびりツーレツト町の司祭をしているそうだ。不謹慎だが、おれは心底貴族に生まれなくて良かったと思ったよ」
「大変そうですよね」
肩をすくめたヤーコブは、両手で紙を抱えてテーブルに置いた。
一束ごとに細い紙でまとめられている。
「これだな。少し大きめなら、この一束が二十枚で銅貨四枚。これの半分の大きさなら、四十枚で銅貨四枚だ」
出してくれた紙の大きさは、前世のA5サイズくらいだろうか。
役所や冒険者ギルドなど、あちこちで使われている一般的な大きさである。
「ありがとうございます。こちらの大きい方を、二束ください。それから、携帯ペン用のインクも欲しいです」
万年筆のように、持ち手の部分にインクを詰めておける携帯ペンも、大人なら一本持っておきたい、というアイテムだ。
成人祝いに送られることも多いようだ。
「おう。インクは、黒のほかに、青と緑、茶、紫なんかもあるぞ」
ヤーコブは別の棚に手を伸ばし、カウンターにガラス瓶を並べていった。
黒と緑は同じラベルで、青と紫と茶色はまた別のラベルだ。
「青や紫もあるんですか。子どもたちは黒いインクを使っているので、別の色もいいですね。うーん……」
どれにしようか迷うカイの視界に、ひょいと誰かの手が伸びてきた。
「これいいわよ!発色が綺麗で、しかも長持ちするの」
「わ、びっくりした。え、この色?」
ヒルダが持っているのは、カイが最初に内心で除外していた茶色だった。
「前にちょっと試しに書いてみたのよ。みんな、黒じゃなかったら青か緑ばっかりだけど、茶色が案外いいのよ」
ヒルダは、カウンターの向こう側に入って何かを探しはじめた。
「じゃあ、あとは任せて良いか?交代だ」
ヤーコブは、畳んであった新聞を手に取った。
「うん、大丈夫!母さんが、明後日の仕入れでちょっと追加したいのがあるって言ってたわ」
「わかった。聞いておく」
ヤーコブは二階へ向かい、ヒルダは引き出しから折り畳まれた紙を取り出した。
「あったあった、これ。ほら見て。これが普通の黒。で、緑と青、紫、それから茶色」
ヒルダが見せてくれた色見本は、白い紙に書かれた文字だった。
紫も綺麗な色だが、茶色は少し灰色も混ざったくすんだ色味でお洒落だ。
「なんかこう……エモいね」
「えもい?」
ヒルダが首をかしげたので、カイは言い直した。
「趣がある感じ、かな。同じ文字でも、優しい雰囲気に見えるね」
「でしょ!すごく良いんだけど、あんまり手に取ってもらえないのよ。まあ確かに、華やかさとか可愛さはあんまりないから、女性受けはしないかもしれないけど」
「僕は華やかさは特にいらないかな。じゃあ、この茶色のインクと、こっちの紙の束を二つで」
「いつもありがとね!」
パタパタと尻尾を左右に振るヒルダに、カイも笑顔を返した。





