第92話 「修理屋さんだ! 一緒に勉強する?」
さて帰ろう、と商店を出てから、ふと思い出したカイは踵を返した。
ちょっと興味があったので、教会での教室の様子を見てみたいと思ったのだ。
司祭先生が来てくれるのは午前中だけなので、もうそろそろ終わるころだ。
たどり着いた教会の奥の部屋をそっと覗き見ると、子どもたちが机に向き合い、なにやら問題を解いているらしかった。
「どうしてもわからないなら、聞いてみてください。まずはどう考えればいいかを教えます。文字の場合は、本がありますからね」
優しく話す司祭先生だが、実のところ怒ると怖いらしい。
大声で怒鳴るようなことはしないが、何が良いか悪いかきちんと説明されるという。
勉強こそ面倒だが、子どもたちは司祭先生が好きらしい。
以前、こんな先生なんだよ、と口々に教えてくれたことがある。
きっと、みんなと真摯に向き合ってくれる大人なのだろう。
「せんせー、ここわかんない」
「はいはい。ああ、ここは上の桁から一借りてくるんですよ」
子どもたちの手元を見て回る司祭先生の顔の横で、垂れた犬耳が揺れる。
尻尾は司祭用の長着に隠れているが、アフガンハウンドのような長毛種らしい。
背は高いものの、優しい雰囲気と柔らかい物腰で慕われているおじいちゃんだ。
「おや、お客さんですか」
司祭先生がこちらに気づき、ふわりと目を細めた。
「こんにちは。どんなふうに勉強しているのか、少し見てみたくて」
カイがぺこりと頭を下げると、子どもたちが席を立って寄ってきた。
「修理屋さんだ! 一緒に勉強する?」
「計算が難しいんだよ」
「ううん、単語の方が難しいよ。ね、修理屋さん」
「単語なんて覚えればいいだけじゃん」
「大きい数の引き算ができないの」
小さい子どもたちはすっかり集中力を切らせてしまったので、顔を見せたのは失敗だったかもしれない。
もう少し大きな子たちは、こちらを見たものの席に座ったままだ。
「うん、簡単じゃないよね。ほら、まだ授業中だろ?席に戻ろう」
カイが子どもたちを促していると、司祭先生は少し不思議そうな表情で首をかしげた。
「修理屋さん、というのはとても素敵な呼び名ですが、職業名ですね。仕事は変わることもありますから、お名前で呼ぶ方がいいのではないですか?」
言われた子どもたちは、きょとんとしてからカイを見た。
「そうだね。仕事を変えるかどうかはわからないけど、名前なら変わらないから、カイって呼んでもらえると嬉しいかな」
カイとしてはどちらでも良かったが、せっかくなら司祭先生の気遣いを受けたい。
すると、子どもたちはお互いに顔を見合わせ、それからうなずいた。
「何で修理屋さんのまんまだったんだろ?」
「わかんなーい」
「じゃあ、ぼくはカイ兄さんにする」
「これからはカイって呼ぶね!」
「カイ兄ちゃんでもいい?」
口々に言った子どもたちの中から、オスカーがさらに近づいてカイの服を引いた。
「ねえ、カイ兄さんも、勉強しに来たの?」
すると、子どもたちは一斉に期待を込めた眼差しをこちらに向けた。
生徒仲間が増えるのは歓迎らしい。
「残念だけど、僕は基礎的な勉強は終わったからね。みんながどんな勉強をしているのか、ちょっと見てみたくなっただけだよ」
「そっか。ぼくはね、こういう計算をしてるよ」
オスカーが、机に戻って紙を持って来た。
どうやら、手作りの問題らしく、手書きの数字がたくさん並んでいる。
答えは拙い文字なので、司祭先生が作ってくれているのだろう。
「おぉ、三桁の掛け算か。すごいね」
カイが褒めると、オスカーは嬉しそうに笑った。
「おれは足し算!繰り上がりがむずかしいけど、やっと間違えなくなってきたんだ」
「あたしは引き算よ。いっつも十二引く八がわかんないの」
「僕はこの文字を反対に書いちゃう」
「みんなも頑張ってるね。ちょっと難しい問題は、何回も練習していればできるようになるよ」
それを聞いた子どもたちは、納得したり不満そうだったりいろいろである。
「おんなじのばっかりだと飽きるもん」
「計算めんどくさいよ」
「文字だと、飽きるくらいでちょうどいいんだけどね。思い出そうとしなくていいくらいに覚えたってことだから。計算も、基本の法則さえ理解すれば、たくさんの答えを覚える必要なんてないんだよ」
カイが諭すと、不満そうな子どもたちも文句を言いつつ机に戻った。
世界共通かどうかはわからないが、この国には九九に似た掛け算表がある。
十二かける十二までなのは少し面食らったが、それこそ慣れだ。
基本的に十進法なので、それ以外は特に大きな違いを感じなかった。
あと少し、と手を動かす子どもたちの中で、オスカーの手の速さが目についた。
筆算をするでもなく、問題を見ては答えをサクサクと書いていく。
「しさいせんせい、終わったよ!」
オスカーが紙を持って手を挙げると、司祭先生はにこりと微笑んだ。
「さすがオスカー、速いですね。ただ、どうしましょうか。今日作ってきた問題はこれで終わりなんですよ」
時間的には、あと十五分ほどあるだろうか。
用紙を受け取って困ったように言う司祭先生を見て、カイはふと口を開いた。
「よければ、僕が少し問題を作りましょうか。ちょっとした計算問題ですが」
気になったのは、計算がひたすら数字のものだけだということだった。
カイがいた孤児院でもそうだったが、基礎学問では文章問題など出されない。
そして、官僚試験などで突然文章問題が出てくるのである。
王都には、官僚試験対策専門の学校まであると聞いた。
前世では、わりと初めのうちから文章の問題に触れていたと思う。
「おや、それは面白そうですね。お願いしましょうか」
司祭先生は、快く許可をくれた。
それを聞いたオスカーが、嬉しそうに笑った。
「新しい問題?楽しみ!」
「ありがとうございます、司祭先生。じゃあ、この紙の裏側を使うね。少し待ってて」
カイは、使われていない机を借り、いつも持ち歩いている鞄からペンを取り出して問題を書き始めた。
まずは簡単な文章問題からだ。
『オスカーの家には、焼いたドゥンが三枚ありました。晩御飯のために、お母さんが新しくドゥンを六枚焼きました。家にあるドゥンは全部で何枚になったでしょう?計算式まで書いてください。』
その紙を渡すと、問題を見たオスカーは目を見開き、それからうきうきとペンを手に取った。
多分、すぐに解けると思うので、カイは次の問題を作る。
足し算、引き算、二桁のもの、それから掛け算の問題まで作り、オスカーに渡した。
キラキラの笑顔で問題を爆速で解くオスカーを見て、何とか問題を終わらせた子どもたちが集まってきた。
「なにこれ?」
「単語の問題?じゃないの?」
「ドゥンが八枚あって、三枚食べたら残りは……五枚!あ、引き算だ」
「ねえねえ、オスカーが出てくる問題面白いよ」
「おやおや」
子どもたちの解答用紙を集めていた司祭先生が、興味深そうにオスカーが答えを書いた紙を手に取った。
「簡単ですが、文章の問題ですね。なるほど。官僚試験ほど複雑ではないですが、文章と計算の両方とも必要。素晴らしいですね」
べた褒めされてしまい、カイは思わず頬を掻いた。
「いえ、僕が教わったことをそのまま使っただけですよ。それに、すごいのはオスカーです。初めて見た文章問題なのに、さらさら解いていますから」
すでに、オスカーは答えを書き終えている。
全部は見ていないが、ここまでは計算式も答えも、すべて合っていた。
まだ、解き方を教えてもいないのに。
なるほど、オスカーはとても頭が良い。
まずツーレツト町の学校、できるならその先へ進ませてあげたい。
ほんの少しオスカーの才能を知っただけのカイがそう思うのだから、村の人たちはもっと強く思ったのだろう。
司祭先生に、「これはどう考えたのか」と聞かれたオスカーは、とても楽しそうに答えていた。





