第89話 「本!やったぁ!」
一通りの確認を終えて、ゼラフィーネは結果に納得したようである。
そのうえで、自分がエルフの魔道具を鑑定できることはしばらく黙っておくという。
「話がややこしくなってきたら、話題を変えるのに使おうと思って。あの人たち、無駄にプライドが高いから、あーしが『普通に鑑定できたし弾かれなかったけど』って言ったらそっちに食いつくと思うの」
ゼラフィーネは、にしし、と犬歯を見せて笑った。
「話題性としては強いだろうな。煽りすぎぬようにな」
セリスが苦笑すると、ゼラフィーネは大きくうなずいた。
「あーしも二十五年以上生きとるでね、うまいことやるから大丈夫」
「……そうか」
胸を張ったゼラフィーネに、セリスが何か言葉を飲み込んで相槌を打った。
多分、まだまだ幼いとかそういったことを言いたくなったのではないかと思う。
カイが黙っていると、セリスがこちらに気づいて微笑んだ。
ゼラフィーネとセリスは、このまま辺境伯に連絡を取るために準備をするという。
セリスは、辺境伯だけではなく、いくつかの貴族から手形を受け取っていると言った。
確かに、エルフとつながりを持てるなら、どの貴族も喜んで手形を渡すだろう。
手形というが、領主直筆の一筆とサインが書かれているものらしい。
どこかに手紙の束があるので、まずは探すようだ。
カイがセリスの荷物を探すわけにもいかないので、セリスの家を辞した。
あれこれ話していたら、もう日が傾きかけていた。
暑さが引いてきて、歩きやすい。
買い物は済ませているので、カイは自宅の方向へゆっくり歩いた。
すると、ワイン工房からファイトが何やら荷物を抱えて歩いてくるところに出会った。
「こんにちは、ファイトさん」
「ああ、カイ。こんにちは」
にこっと笑ったファイトが持っているのは、何冊もの本であった。
「重そうですね。半分持ちましょうか」
「いや、……いや、落とすと困るから、頼めると助かるな」
断ろうとしたファイトは、ちらりと手元を見てから言い直した。
カイは、上から半分ほどの本を受け取った。
表紙に書かれていたのは算術・語学・経済などで、どうやら教科書らしい。
「この本は?」
並んで歩きながらカイが聞くと、ファイトはちらりと本を見下ろした。
「うん、ぼくがツーレツト町の学校に通ってたときに使った参考書だよ。そろそろオスカーが学校に通うって聞いたから、あげようと思って」
なんと、ファイトはツーレツト町の学校に通っていたらしい。
「そうだったんですね。やっぱり、ワイン工房を継ぐために勉強したんですか?」
「まあね。父さんが、勉強させる余裕があるうちに行ってこいって言ってくれて。でも、計算はやっぱり苦手なんだ。一応、流通のあり方とかそういうのはすごくためになったけど」
ファイトは苦笑した。
「村の学校とは別に行ったんですか?」
「ううん、村の学校の勉強が一通り終わってから通ったんだ。村では、週に二回くらいツーレツト町から司祭先生が来てくれるだけだからね。最低限の読み書きならそれで十分だけど、もう少し難しい勉強は専門の先生に教わる方が良いから」
カイも、たまに教会に通う子どもたちを見かけることがある。
ヴィーグ村には教会があり、常に扉が開かれている。
その奥に、十数人が座れるテーブルと椅子の並んだ部屋がある。
子どもたちは、町から通いで来てくれる司祭から、そこで文字や算数を教わっているのだ。
「ほとんどの子どもたちが通っていますよね。苦手そうな子も、なんだかんだと連れられて行ってるのを見かけます」
オスカーはそれこそ楽しそうだが、やんちゃそうな男の子たちなど、こっそり逃げようとしては女の子に見つかり、引っ張って連れていかれるのだ。
もっとも、必要であることは理解しているようで、捕まったら文句を言いつつも教会へ行っているのだが。
「あはは、そうだね。みんなツーレツト町だけじゃなくて、他の町に働きに行くことも多いから、そうすると読み書き計算は必須なんだ。そういうのは、女の子の方が現実的に理解してる気がするよ」
ファイトは、覚えがあるのか楽しそうに笑った。
「同じような働き手なら、地元の人を雇うことの方が多いですもんね。読み書き計算がきちんとできていれば、仕事の幅も広がりますし」
ただの作業者ではなく、事務関係までできるならその方が良い。
「そういうこと。まあ、いくつかの町には先に働いている人たちを通じて伝手ができてるから、ある程度できればなんとかなるんだけどね」
前を見たファイトは、柔らかく微笑んだ。
きっと、ファイトの友人もそうやってほかの町などで働いているのだろう。
「オスカーは、もう町の学校に行けるくらい文字も計算も覚えているんですね」
二人が向かう先は、オスカーたちの家だ。
大通りから少し横に逸れて、数分歩けば着く。
「そうらしいよ。すごいよね、本人はそれが楽しくてやってるっていうんだから。ぼくは、勉強したいなんて思ったこともないよ」
ちらりと本を見下ろしてから、ファイトは肩をすくめた。
「目的がないと、勉強し続けるのはつらいですよね」
今世では孤児院で色々と教わったが、本当に最低限といえるものであった。
前世はというと、一応大学まで出たので一通りは勉強したと言える。
とはいえ、大学入試ですべて出し切った感じで、その後は惰性で学びを続け、なんとなくいいなと思っていたゴミ収集会社に就職したのだ。
大学での選択科目は、全く関係のない分野だった。
「うん。少なくとも、働くときに必要だってわかるだけでも、少しは違うと思う。まあ、ぼくの場合はそれでも算術が難問だったけど」
ワイン工房の事務室で書類と格闘していた姿を見たことのあるカイは、それについては言及せず、うなずくにとどめた。
オスカーたちの家の前には、誰も見当たらなかった。
ファイトは、玄関の扉をノックした。
「こんにちは、ファイトです」
しばらくして、トタトタと軽い足音が聞こえて扉が開かれた。
「こんにちは!どうしたの?修理屋さんも一緒だ!」
出てきたのはオスカーだった。
「今日はね、ぼくがツーレツト町の学校で使ってた本を持って来たんだ。お父さんかお母さんはいるかな?」
ファイトが優しく聞くと、オスカーはうなずいた。
「本!やったぁ!母さんがいるよ!ちょっと待ってね」
文字通りぴょこんと跳びはねたオスカーは、そのまま家の中に入っていった。
閉まった扉の向こうから、『母さん!本くれるって!!』という大きな声が聞こえてくる。
カイとファイトは、思わず顔を見合わせて微笑みあった。
しばらくして、オスカーの母が出てきた。
「こんにちは。本を持ってきてくれたって聞いたんだけど」
「はい。ツーレツト町の学校で使っていた参考書です。今は新しい本になっている可能性もありますが、少しは役に立つと思うので」
ファイトは、本を軽く持ち上げて見せながら言った。
「まぁ!学校の本ね。なんにしても、オスカーは大喜びよ。ありがとう。こっちに運んでもらっていいかしら?」
オスカーの母は、扉を大きく開けた。
母の後ろにいたオスカーは、それを聞くと走ってリビングの扉の前に向かい、手を振った。
「二年分あります。あと、本当に役に立つかどうかわからないんですが、一応ぼくが取ってたメモも持ってきました」
リビングのテーブルに本を重ねて置いたファイトは、その隙間からメモ帳の束を引っ張り出した。
ノート代わりだったのだろう。
「すごい!いっぱいあるよ。ねえねえ、どれが最初?こっち?」
カイが持っていた本も横に置くと、オスカーはその前に立って目をキラキラさせた。
ファイトは、大きな身体を縮こまらせるようにしゃがんだ。
「こっちが一年目、そっちが二年目だ。算術と、語学、経済学、歴史、地理、植物学、動物学、あと天候学とかもあったかな。ほかにも学べる学科はあるんだけど、基礎以外は好きなものを選ぶんだよ。外大陸語なんてのもあったなぁ」
外大陸とは、隣の大陸のことだ。
ツーレツト町では、カイが思っているよりも高度な内容を教えているらしい。
それを聞いたオスカーは、参考書にそうっと手を伸ばした。
「すごい。いっぱいあるんだね」
心なしか小さな声で、しかし目は本に釘付けである。
「オスカー、ありがとうは?」
母親に促され、オスカーは慌てて顔をあげた。
「ありがとう、ファイトお兄ちゃん!大事に使っていっぱい勉強するね。修理屋さんも一緒に運んでくれたんだよね、ありがとう」
ぱあっと輝く笑顔は、心の底から嬉しそうだ。
カイは、笑顔を返しながらうなずいた。
「どういたしまして。家にあってもほとんど読み返さないから、オスカーが読んでくれるなら本も嬉しいだろうと思うよ」
ファイトがそう言うと、オスカーはもう一度ぴょこんと跳びはねた。





