第86話 「そこらへんでテント張ってもええんかな?」
セリスがくすっと笑い、ヒルダがほんの少し残していた警戒を解いた。
彼女たちも、カイと似たようなことを感じ取ったらしい。
「事情はわかったけど、さっきはすごく嫌な感じだったわ。余裕のない感じっていうか、とにかく聞かせろっていう態度で」
ヒルダは、口を尖らせた。
警戒が解けたら、逆に文句を言う気になったようだ。
「あー、そんなに酷かった?ごめんね、久しぶりに家っちゅうか、父親とまともに話したもんでさ、ちょっとね。早う終わらせたくて、焦っとったんだわ。カイだったっけ、あんたさんにも悪いことしてしまって、ごめんなさい」
ゼラフィーネは、ぺこりと頭を下げて謝った。
どうやら、エルフのセリスに驚いて思考が止まり、逆に落ち着いたらしい。
「いえ、僕は大して何も」
あえて言うなら、ヒルダや村の人たちに間接的に迷惑をかけてしまったくらいだ。
「ほんとにごめんなさい。あーしが断っても、多分もっとめんどくさい奴が来ることになるもんで。なら、あーしが来て、適当に誤魔化す方がええと思って。ほいで、調べたっていう体を整えるだけのつもりが、つい気になってまって」
肩をすくめたゼラフィーネは、片手で顔の半分を押さえた。
「来るなりあれだったもの、焦りすぎよ。まあ、わたしもそんなに気にしてないわ。それでどうするの?その感じだと、今日はまだ家を借りてないんでしょ?」
ヒルダはもう完全に切り替えたようで、尻尾も柔らかく動いている。
「家?いやいや、そんな長いこと滞在はせんと思うから。普通に、宿の部屋を――」
ゼラフィーネの言葉を、ヒルダは遠慮なくぶった切った。
「宿なんて、この村にないわよ」
言われたゼラフィーネは、ぱちくりと瞬きをした。
「我も家を借りておる。宿が良いなら、ツーレツト町まで行かねばならん」
そう言ったセリスを見て、ゼラフィーネは首をかしげた。
「この村には、宿はないん?え、どうしよ。今からでも家って借りられるもんなんかね?この時間に町まで歩いたら夜になってまうで、宿も空いとるかわからん。そこらへんでテント張ってもええんかな?」
腕を組んで真剣に悩み始めたゼラフィーネには、ここにいる誰かに頼るという考えはないらしい。
カイもどちらかというとそういう考えだったからよくわかる。
まだ夕方なので、デニスに頼めば宿用の空き家を使わせてくれるだろう。
カイが口を開こうとしたときに、先に声が割り込んできた。
「なら、我の家に来るといい。寝室は空きがあるし、まだ魔道具も家にある。ヴェルクシュタト町が今どうなのかも聞きたいしな」
うむうむ、とうなずいたのはセリスである。
「デニスさんに頼めば、今からでも空き家を使えると思いますよ。使っていないのでどこか故障してるかもしれませんが、すぐ直せますし」
カイが言うと、今度はヒルダが席を立った。
「ツーレツト町が良いなら、馬車で送ってってもいいわよ。多少は顔が利くから、探せばどこかの宿が空いてるでしょ」
次々と畳みかけられたゼラフィーネは、赤から紫に変わる不思議な瞳を見開いた。
「え?いやでも、そんな、あーしなんかのために手を煩わせるわけには。どこかの庭先でも貸してもらえたら助かるなぁくらいで」
ふるふる、と顔を横に振ると、ウエーブを描く赤い髪が揺れた。
カイが思わずヒルダを見ると、ヒルダもこちらを見た。
やっぱり、悪い人ではないようだ。
むしろ、自己評価が低すぎて少し心配になる。
ただ、彼女自身がきちんと自立した大人なので、無理に親切を押し付けるのもはばかられる。
どの案が一番彼女の負担にならないかと考えていると、セリスがゼラフィーネを手招いた。
「良い良い、我の家に来や。それなら、今から誰も動く必要がないぞ」
ゼラフィーネは、少し逡巡してから納得したようにうなずいた。
「確かに、セリスさんのとこにお邪魔するんが一番マシな気がします。なんだったら庭先を貸してもらえればええもんで、お願いしてもええですか?」
「うむ、良いぞ。我はあまり調理はせんでな、少し手伝ってもらえると助かる」
「料理なら任せてください!あーしも、そんな得意ってほどじゃないですけど、一応一人で暮らしてきたもんでね。ドゥン焼いて、ちょっと工夫するくらいなら大丈夫です」
にぱっと笑ったゼラフィーネの口元からは、尖った犬歯がのぞいていた。
ゼラフィーネはセリスの借りている家に泊まることになり、セリスたちはそのまま買い物、カイは自宅へ帰ることになった。
次の日の朝、カイは収穫を来月に控えた小麦畑に向かっていた。
脱穀機を本格的に使う前に、念のため確認しておくことになったのだ。
村の中を通ると、セリスが借りている家が見えた。
ちらりと見えただけだが、前庭にも後ろにもテントは立っていなかったので、ゼラフィーネは普通に寝室を使ったのだろう。
なんとなく、カイはほっとした。
そのまま通り過ぎようと歩いていると、ガタン、と窓の開く音が聞こえた。
「カイ!おはよう。昨日はありがとうね。そんで、ちょっと頼みがあるんだけど、今日の予定ってどうなん?」
窓から顔を覗かせたのは、ゼラフィーネであった。
朝日の中で見るゼラフィーネの髪は、頭の赤い角よりもほんの少しオレンジがかって見えた。
「おはようございます。今日は午前中に小麦畑に行くだけで、昼からはあいていますよ」
「わかった!ほんなら、お昼一緒に食べよ。それでええ?」
ゼラフィーネは、最後は室内に向かって聞いた。
返事を受けたらしいゼラフィーネが、また窓から顔を出した。
「セリスはええって言っとるし、仕事終わったらこの家に来てくれん?」
窓の奥には、ちらりとプラチナ色の髪が見えた。
どうやら、セリスもカイに何か用があるらしい。
「ありがとうございます。では、お昼くらいにお邪魔しますね」
カイがうなずくと、ゼラフィーネはにっかりと笑った。
「ほんならね!仕事頑張ってきてちょう」
ひらひらと手を振るゼラフィーネに、カイも手を振り返した。
小麦畑の小屋を訪れると、リーヌスが待っていた。
「おはようございます、リーヌスさん」
「ああ、おはよう。カイ、昨日は大変だったらしいな。魔人族の奴が来たって?」
この夏の間にしっかりと日焼けしたリーヌスが、苦笑しながら言った。
どうやら、ゼラフィーネの噂はもう村に広がっているらしい。
「僕は特に大変ではなかったですよ。ゼラフィーネさんは焦っていただけのようですし、魔道具の商人として確認に来た感じですね」
リーヌスは、腕を組んでうなずいた。
「カイが、バンガードの斧使いのゴーレム部位を修理したって話は聞いていたが、実は魔人族が直々に来るほどのことだったんだな。確か、領主様にも話がいったんだろう?」
「はい。セリスさんの故郷の村と取引が始まる薬草事業の人たちと、僕の名前を確認する手紙が来たとデニスさんから聞きました」
だからカイとしては、エルフと関わることが大変なことだとばかり思っていたのだが、普通の魔道具でも実は大したことだったらしい。
「俺たちは、魔道具のことはよくわからないからな。面倒なことにならなけりゃいいんだが。カイ、何か困ったら遠慮なく相談しろよ。俺じゃなくとも、デニスでも誰でもいいから」
眉じりを下げたリーヌスは、ぱたりと尻尾をゆらした。
「ありがとうございます」
心配してくれていることがわかったカイは、頬を緩めてうなずいた。





