第72話 「いただきます。……あつっ!うまっ」
イーリスはいつも通り竿を持っており、重そうな籠はアウレリアが軽々と下げていた。
セリスは、相変わらずゆったりとした様子で歩いている。
「こんにちは。釣りはどうでしたか?」
カイが声をかけると、イーリスが笑顔でうなずいた。
「いつも通りよ。普通に釣って、普通に選んで戻ってきたの。あの子たちも来てて、アウレリアさんたちを見てもいい子にしてたわよ」
つまり、入れ食い状態で釣りまくって選別して持って帰ってきたのだろう。
カイがちらりとアウレリアを見ると、彼女は赤い目を煌めかせて拳を作った。
「すごかったぞ。竿さばきが素晴らしく無駄がないんだ。魚の選別も迷いなく素早いし、思わずグリフォンの子どもたちと一緒に見入ってしまった。あれは職人技だな」
どうやら、アウレリアはイーリスの釣り技術に感動しているらしい。
カイはまだ見たことがないので、やはり今度見に行ってみたい。
「セリスさんも一緒に行かれたんですか?」
こちらをじっと見てくるので、なんとなく気恥ずかしくなりながらカイは質問した。
「我は、朝のうちに森を歩くのが日課でな。何とはなしに騒がしい空気があったゆえ、見に行ってみたら二人がいたのだよ」
セリスは、イーリスとアウレリアに合流したらしい。
「そうだったんですね。グリフォンはどうでした?」
「ああ、あの懐こい獣か。久しく見ていなかったが、相変わらず懐こい。うむ。子は人も獣も愛いな」
緑色の目を細めたセリスは、グリフォンにまったく危険を感じていないようだ。
「巣の近くではなかったからか、親グリフォンも私に警戒していなかった。前回攻撃してきたのは、単純に縄張りに入ったからなんだろうな」
自分の言葉にうなずいたアウレリアは、短い黒髪をさらりと揺らした。
「やっぱり可愛い子たちよねぇ。今日はね、ちょっとだけ撫でさせてくれたのよ。ふわふわだったわ」
機嫌よくそう言ったイーリスは、竿を持っていない手で撫でるようなしぐさをして見せた。
カイは、思わず目を見開いた。
「え、グリフォンが撫でるようにねだってきたんですか?」
「そうよ。あたしにだけだから、少しは人見知りしてたのかもしれないわね」
ということは、言葉をある程度わかっているだけではなく、個人を見た目で判別することもできるのだろう。
「あの調子では、明後日には我も撫でられるだろうな」
「きっとそうね。ああ、アウレリアさんとセリスさんをお昼に招待したんだけど、カイもどうかしら?アウレリアさんが持ってくれるって言うから、お魚をたっぷり持って帰ってきたのよ」
セリスにうなずいてから、イーリスはカイに向かって言った。
「ありがとうございます。でも今日は、食堂でお昼を食べようと思っていて。さっき、竈を修理したんですよ」
眉を下げたカイは、首の後ろに手を置いた。
「まあ。食堂の竈、直ったの?それなら、煮込みハンバーグが復活するわね。じゃあ、うちに招待するのはまた今度にしましょう」
イーリスはにっこりと微笑み気を悪くした様子はなかったので、思わずほっとした。
「すみません、ありがとうございます」
カイは一度家に戻るため、三人とはそこで別れた。
食堂のランチメニューは、イーリスの言ったとおり、煮込みハンバーグだった。
「お待ちどうさま!あと一つはちょっと待っとくれ」
マルティナは、楽しそうに忙しく立ち回り、昼食を作っては提供していた。
復活したメニューの噂でも聞いたのか、カイが顔を覗かせたときには満席だった。
「こんにちは」
カイは、お昼に来るといった手前、ここで引き返すのもどうかと思ってマルティナに挨拶した。
用意した食材の量もあるだろうから、今日食べるのが難しいなら明日や明後日にしてもいいのだ。
そういうつもりで声をかけたのだが、マルティナはくるりとこちらを見て手招いた。
「カイ!いらっしゃい。ほら、こっちこっち。空いてるんだからちょいと詰めとくれ。相席で構わないでしょ?はい、どうぞ。順番に温めてるから、少し待たせるのは申し訳ないけど」
ランチを食べに来ていたらしいゲアトたち三人のテーブルに案内され、有無を言わさず空いた席に座らされた。
カイを座らせたマルティナは、またテーブルの間を忙しく歩きながら空いた皿を回収していった。
「おぅ。今日のメニューは美味いぞ」
ゲアトが、口の横にソースを付けたまま言った。
縞々の尻尾が機嫌良さそうに揺れている。
「こんな風に調理された肉は初めて食べたよ。カイがオーブンを修理したから復活したって、さっきから女将さんに何回も聞かされてるんだ」
ティムが頭上の猫耳をほんのりと倒して言った。
「うん。僕がこの村に来て初めてここで食べたときも、ハンバーグだったんだ。すごく美味しかったから、楽しみ」
カイが頬を緩めると、フーゴが頬を膨らませたままうなずいた。
「んぐ。ほかのも美味しかったけど、これは絶品。鹿肉なのに、臭みが全然ないしソースが爽やかですごくいい」
食堂にいるほかの人たちも、みんな笑顔でハンバーグを頬張っている。
こんな風に、カイの修理した結果が誰かの満足につながるというのは良い気分だ。
「はい、お待たせ!鉄板が熱いから気を付けて」
「ありがとうございます」
湯気を立てるハンバーグからは、香ばしい匂いが迫ってくる。
ナイフを入れれば、じゅわりと肉汁をこぼしながら断面が現れた。
「いただきます。……あつっ!うまっ」
ほふ、と息を吐いたカイは、ほかの人と同じような満足の笑みを浮かべた。
ゲアトたちと話しながら昼を過ごし、カイは食堂を出た。
ゆっくりしたので、太陽は真上をとうに過ぎている。
特に買い物もないカイは、このまま村の中を散歩しながら家に帰ろうと考えた。
まだまだ夏なので、歩みはゆっくりになる。
「暑いなぁ」
日本の拷問のような蒸し暑さとは全然違うが、早歩きをすればすぐに汗だくになるのだ。
のんびり歩いていると、デニスの家の前を通りかかった。
ちらりと覗くと、窓から真剣な表情で老眼鏡をかけたイーリスと、それを見守るセリス、さらに赤い目を見開くアウレリアが見えた。
たまに、きらりと光が舞う。
あの部屋はダイニングではない。
何だろうかと思っていると、ふとセリスが顔をあげた。
ちょいちょい、と手招きされたので近づくと、開け放たれた窓からセリスが顔を出した。
「イーリスはすごいな。『名匠』ランクの人物には何度か会ったことがあるが、あの技術は段違いだ」
「そんなにですか?お邪魔にならないなら、僕もちょっと見てみたいです」
アウレリアの皮鎧を修繕しているのだろう。
それは、純粋な興味だった。
「構わないわよ。キッチンの方からいらっしゃいな」
イーリスが、老眼鏡をひょいと下げて言った。
その言葉に甘えて、カイは家に入った。
イーリスたちがいる部屋の壁には、布や糸がたくさん収納された棚が並んでいた。
部屋の真ん中に小さな机があり、イーリスがその前に腰かけて針と皮鎧を手に持っていた。
錐のような、太い針を持つ道具が机に置いてあり、皮鎧の切られた部分の両側にはいくつか穴が空いていた。
石鹸のようなものも置いてあるが、多分あれが蝋だろう。
イーリスが光をまとった指を動かすと、糸が糸巻きからするりと外れ、蝋の上を滑りながら動く。
「え、いつ縫ってるんですか?」
その手さばきは、カイには見えなかった。
思わず、ぽかんと口が開く。
「随分昔に買ったものだけど、菱目打ちがすぐ見つかって良かったわ。これを用意するのに一日いるかと思ってたの。あけた穴に糸を通してちょっと縫ってるだけだから、すぐよ。ほら、終わり」
「いやいや、『ちょっと』なんてものじゃないぞ!?しかも、今日のうちに終わってるじゃないか」
アウレリアは、頬を赤く染めながら声を高くした。
イーリスが糸をきゅっととめたのを見て、カイはやっと呼吸を思い出した。
セリスも、カイの隣で似たようなため息を吐いた。
さすがイーリスである。




