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第10話 爆音の帰還

武器を構えるゲンゾウ。鉄パイプを握りしめ、前へ出るタツヤ。

地面に這いつくばるハルトの視界が、絶望で歪む。

ここまで来て、全員が死ぬのか。


その時だ。


タツヤの動きが、ピタリと止まる。

十数メートル先までロストの群れが迫る中、少年の視線は放置車両の列の奥を射抜いている。


「……おい、あれを見ろ!」

タツヤが鉄パイプの先端で前方を指差す。

その先には、黒い車体のオフロードバイクが斜めに乗り捨てられている。そしてそのすぐ横の地面には、横倒しになった原付スクーターが転がっている。


「走るぞ!」

ゲンゾウが叫び、タツヤと共にハルトの腕を再び強引に引き上げる。二人はハルトの両脇を抱え、迫るロストの包囲網の薄い右側へ向けて足を速める。


前方に立ちふさがった一体のロストに対し、ゲンゾウがバールを横薙ぎに振り抜く。鈍い打撃音と共に死者の頭部が砕け、よろめいた隙間に滑り込む。

放置車両の陰へ飛び込み、バイクの横へ辿り着く。


タツヤが車体へ駆け寄り、ハンドルの中央を確認する。鍵穴にはキーが刺さったままだ。


「鍵がある!」

ゲンゾウも即座に地面に倒れていた原付スクーターの両ハンドルを掴み、腕力で一気に引き起こす。メーターパネルを見ると、こちらもキーが刺さったままオンの位置で止まっている。


「ハルトを後ろに乗せろ!」

ゲンゾウの怒声が飛ぶ。

タツヤがオフロードバイクを跨ぎ、シートの前方へ腰を寄せる。ゲンゾウがハルトの腰を抱え上げ、後部座席へと力任せに乗せる。



「ハルト、振り落とされないようにしっかり掴まってろ!」

タツヤが叫ぶ。

ハルトは右足首に走る激痛に奥歯を噛み締めながら、前屈みになってタツヤの腰に両腕を回す。そして、自分の胸とタツヤの背中の間に、医療キットの入ったリュックを挟み込み、両手で固く抱え込む。


タツヤが右手の親指でセルスイッチを強く押し込む。

キュルルル――ドオオオオン!

単気筒エンジンの強烈な爆音が、深夜の駐車場に炸裂する。マフラーから吐き出された排気ガスがアスファルトを叩く。


続いてゲンゾウも原付のセルボタンを押し、けたたましいエンジン音を響かせる。


その瞬間、世界の動きが一変する。

静まり返っていた病院の敷地内に、二台のエンジン音が反響する。

正面玄関の前にいた群れ、病棟の窓から身を乗り出していた無数の影、そして周囲の道路を徘徊していたロストたちの首が一斉に跳ね上がる。


数百の白濁した瞳が、音の発生源である二台のバイクへ向けられる。

『ガァアアアアッ!』

『オォオオオオッ!』

狂乱の叫びが夜空を震わせ、死者の群れが一斉にバイクへ向かって殺到し始める。


「掴まってろよ!」

タツヤがクラッチレバーを握り、左足でシフトペダルを踏み下げてローギアに入れる。アクセルグリップを一気に開けながらクラッチを繋ぐ。


リアタイヤが白煙を上げて空転し、車体が、猛烈な加速と共に前へ飛び出す。

正面の駐車場の出口へ向かう通路には、音を聞きつけた数十体のロストがすでに密集し、人の壁を作っている。

タツヤは減速しない。ギアをセカンドへ蹴り上げ、さらにアクセルを開く。


「どけえええっ!」

タツヤは車体をわずかに右へ倒し、放置されていたワゴンの側面ギリギリをすり抜ける。左右から伸びてくる死者たちの爪が、ハルトの履くブーツの底をかすめて空を切る。


進路を塞ぐように横倒しになっていたコンクリートの縁石が現れる。タツヤは腰を浮かせ、手前にハンドルを引き上げながら前輪を縁石に乗せる。サスペンションが深く沈み込み、その反動を利用してバイクの車体が宙に跳ね上がる。


着地の強い衝撃がハルトの右足に突き抜ける。

激痛に視界が明滅するが、ハルトはタツヤの腰を拘束するように締め上げ、胸の中の箱を死守する。

背後から、高いエンジン音を響かせたゲンゾウの原付が追従してくる。車体の軽さを活かしてジグザグに障害物を縫い、横から飛びかかろうとしたロストの側頭部に、左手に持ったバールを叩きつけて弾き飛ばす。


二台のバイクは、密集する死者の手をミリ単位でかわしながら、駐車場の出口ゲートを強行突破した。

病院の外周フェンスを抜け、モールへと続く片側二車線の幹線道路へと飛び出す。


夜の冷たい風が、ハルトの顔面を激しく叩く。

しかし、安全な領域などどこにもない。

バイクが撒き散らすけたたましい排気音は、夜の静寂を切り裂き、周囲数百メートルに響き渡っている。


道路の両脇にある店舗の影、破壊された民家の玄関、路地の暗闇から、音に引き寄せられたロストたちが次々と路上へ這い出してくる。


タツヤはサード、トップへとギアを跳ね上げる。

背後を振り返る余裕はないが、後方からはゲンゾウの原付のヘッドライトが食らいついてきている。


問題は路面の状況だった。

道路上には、パンデミック初期に乗り捨てられた無数の車両がジグザグに散乱している。大型トラックが横転し、路面の半分を塞いでいる場所もある。


スピードを出しすぎれば、障害物に激突して全員が即死する。かといって減速しすぎれば、前後から湧き出す群れに足を掴まれる。

タツヤは両腕に体重を乗せ、フルブレーキングと車体の急旋回を繰り返す。


タイヤが路面を擦る高いスキール音が夜の空気に混ざる。乗り捨てられたセダンのバンパーを数センチの隙間でかわし、歩道と車道を交互に使い分けながら障害物をクリアしていく。


ハルトの体は左右へ激しく振られる。傷めた右足に遠心力と振動がかかるたび、全身の筋肉が痙攣するような痛みが走る。呼吸が荒くなり、意識が飛びそうになる。


だが、腕の力だけは緩めない。胸の奥に抱えたプラスチックの箱の硬い感触を、自らの肋骨に押し付け続ける。


これがあれば、ユキは助かる。

生まれてくる子供の顔を見ることができる。

絶対に、ここで手を離すわけにはいかない。


コーナーを曲がり切り、長い直線に入る。

タツヤがアクセルを限界まで捻り込む。風圧が二人の体を押し潰すように圧迫する。

道路を横切ろうとしたロストの脇を、弾丸のような速度で駆け抜ける。


二キロ。一キロ。

猛烈なスピードで景色が後方へ流れていく。

やがて、前方の暗闇の中に、巨大な要塞のような建物の輪郭が浮き上がってきた。

ショッピングモールだ。


「見えたぞ!」

タツヤが前方を睨みつけたまま叫ぶ。

モールへ続く進入路へバイクを滑り込ませる。


二台の爆音を警戒していたモールの見張りたちが、屋上から強力な懐中電灯の光を地上へ投げ下ろす。光の筋が、走るバイクを捉える。


「開けろ! 戻ったぞ!!」

ゲンゾウが原付の上から大声で怒鳴る。

1階の搬入口の分厚い鉄製シャッターが、内側からの力によって急速に持ち上がり始める。隙間はわずか一メートル半。


タツヤはアクセルを緩めることなく直進し、シャッターの直前でフロントとリアのブレーキを同時に強く握り込んだ。


ズザザザザッ!

リアタイヤがアスファルトを滑り、車体を真横にスライドさせながら、持ち上がったシャッターの隙間へと滑り込む。続いてゲンゾウの原付が火花を散らしながら飛び込んでくる。


「閉めろッ!!」

怒号と同時に、内側にいた男たちがロープを一斉に離す。

ドゴォオオオン!


凄まじい地響きと共に鉄製シャッターが地面に叩き落とされ、外の世界を完全に遮断する。直後、バイクの音を追って外壁に激突した無数のロストたちの肉体が、シャッターを外側から乱打する鈍い音が響き渡る。


完全に停止したバイクの座席から、ハルトの体が力なく横へ転がり落ちた。

コンクリートの冷たい床に背中を打ち付ける。足の激痛と極度の疲労で、視界が急速に狭まっていく。


「ハルト! ゲンゾウさん!」

居住区の奥から、血まみれの布を手にしたサワが血相を変えて駆け寄ってくる。

ハルトは地面に倒れ伏したまま、震える両腕で胸元のリュックのジッパーを引き裂くように開けた。


中から取り出した泥と汗にまみれた四角い箱を、駆け込んできたサワの足元へ向けて、残された全ての力を込めて突き出す。

「サワさん……頼む……っ!」


ハルトの叫び声が居住区の天井に響き渡ると同時に、彼の視界は完全な暗闇へと沈んでいった。


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