第37話 おかえり
時差ボケで重くなった身体を引きずりながら、空港の国際線到着ロビーへ続く自動ドアをくぐった。
一週間にわたるアメリカ出張。
現地クライアントとのタフな条件交渉から夜の会食、タイトなスケジュールを宮本と二人でなんとか乗り切り、大型案件の最終合意を無事に勝ち取ることができた。
「はー! 日本着いたー! 篠宮、マジでお疲れ。お前がいなかったら細かい条項で絶対に押し切られてたわ」
「宮本くんもお疲れ様。最初のプレゼンで空気掴んでくれたおかげだよ」
「じゃ、俺はあっちから帰るわ。月曜の報告会までしっかり寝ろよー」
スーツケースを引いた宮本が爽やかに手を振って去っていくのを見送り、私はふうと小さく息を吐き出した。
スマートフォンを取り出して機内モードを解除すると、溜まっていた通知が一気に雪崩れ込んでくる。
その一番上に表示されていたのは、一時間前に届いたメッセージだった。
『着いたら教えてください。ロビーの案内所近くにいます』
思わず足が止まり、心臓がトクンと跳ねる。
慌ててロビーの中央を見渡すと、到着ゲートから少し離れたベンチの横に、黒いキャップを目深に被った長身の男の子が立っていた。
◇
「……蒼真くん?」
小走りで駆け寄ると、スマホを見ていた彼が顔を上げた。
キャップのツバの下から覗いた切れ長の瞳が、私を捉えた瞬間にふにゃりと柔らかく緩む。
「……亜紀さん」
「どうしてここに? 家で待っててくれたらよかったのに」
「一週間、長かったので。……少しでも早く顔が見たくて」
そう言いながら、蒼真くんは自然な動作で私の手から重いスーツケースのハンドルを引き取った。
出発前に見せたあの可愛らしい嫉妬や動揺はすっかり引っ込み、今の彼はただ静かに、けれど確かな熱を帯びた眼差しで私を見つめていた。
「……おかえりなさい」
少し低めの、落ち着いた声。
いつもは彼の部屋の鍵を開けて「おかえり」と迎える側だった私が、まさか空港のロビーで彼から「おかえり」と言われるなんて思ってもみなかった。
「……うん。ただいま、蒼真くん」
口にした瞬間、張り詰めていた海外出張の緊張と疲れが、すうっと胸の奥から溶け出していくのが分かった。
「……あ、あの」
スーツケースを引きながら歩き出した蒼真くんが、ふいに足を緩めて隣の私をちらりと盗み見た。
「……宮本さん、もう帰りました?」
「うん、さっき帰っていったよ」
「……そっか。じゃあ、二人きりですね」
安心したように小さく息を吐いた彼の耳の先が、キャップの隙間からほんのり赤くなっている。
大人びた気遣いと、隠しきれない独占欲。その絶妙なバランスが愛おしくて、私は思わず口元を緩めた。
◇
帰りの電車の中。
並んで腰掛けたシートの上で、蒼真くんの手がそっと私の左手を包み込んできた。
大きな手のひらの温もりが、冷えた指先をじわじわと温めていく。
「……時差、大丈夫ですか? 眠かったら肩、貸しますけど」
「ありがとう。……でも、蒼真くんの顔見てたら、眠気飛んじゃった」
「……そういうこと、急に言わないでください。……照れるので」
視線を窓の外へと逸らしながらも、繋いだ手にはぎゅっと少しだけ力が込められる。
一週間離れていた時間。
画面越しの短いやり取りと、海の向こうで過ごした日々。
離れる寂しさを知って、再会の温もりを噛み締めて、私は握り返した手のひらに、もっと強い力を込めた。




