第36話 海外出張
宮本と進めていたグローバルブランドの日本ローンチ案件は、いよいよ現地クライアントとの最終調整フェーズに入っていた。
北米本社での役員プレゼンを控えた金曜日の夜。
私は仕事を終えて蒼真くんのマンションを訪れ、ローテーブルに並べたスーパーの総菜を二人で囲んでいた。
「……あ、そうだ。蒼真くんに言っておかなきゃいけないことがあって」
お茶を一口飲んでから切り出すと、から揚げを口に運ぼうとしていた蒼真くんが「ん?」と視線を持ち上げた。
「来週の月曜から一週間、アメリカに出張になったの。宮本くんと二人で、現地の本社に行って最終調整してくる」
その瞬間、蒼真くんの箸がピタリと止まった。
眉が微かに跳ね上がり、固まったまま数秒。それからゆっくりとから揚げを皿に戻すと、コップのお茶をゴクゴクと一気に飲み干した。
「……一週間」
「うん。急に決まっちゃってごめんね」
「……別に、仕事だし、怒ってないです」
そう言いながらも、蒼真くんは明らかに口をへの字に曲げ、視線を合わせないまま箸先で無意味にポテトサラダをつつき始めた。
普段のクールな彼からは考えられないほど、分かりやすく拗ねている。
「……大丈夫? やっぱり、気になる?」
そっと顔を覗き込むと、蒼真くんは耳の先まで一気に赤く染め上げ、少しだけ口を尖らせた。
「……気にならないって言ったら嘘になる。だって、一週間もずっと一緒にいるんですよね」
「仕事だよ? 打ち合わせと移動ばっかりだし」
「……その宮本さんって人、亜紀さんの手料理とか、食べたことあるんですか」
「えっ? ないよ、あるわけないでしょ」
「……じゃあ、亜紀さんが寝起きの時に髪がちょっと跳ねてるところとか、見たことないですか」
「あるわけないじゃない! ただの会社の同期だよ!」
あまりにも的外れで斜め上な嫉妬の角度に、思わず吹き出しそうになる。
何万人の観客の前で冷静沈着に敵を薙ぎ払っていたトッププロが、スーパーの総菜をつつきながら、本気でそんなことを気にしているのだ。
私が必死に笑いを噛み殺しているのを見て、蒼真くんはハッと我に返ったように箸を取り落としそうになった。
「……あ、いや、今のは忘れて。宮本さんとは仕事の同期だし、亜紀さんが真剣なのも知ってる……。そんなんじゃないの、ちゃんと分かってます……っ」
慌てて背筋を伸ばし、大人の顔を取り繕おうとする蒼真くん。
けれど、完全に挙動不審になっている。
「……俺、ちゃんと信じて待ってますから」
最後だけ無理やりきりっと格好をつけて言い切ったものの、顔は首元まで真っ赤だった。
言ったそばから恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、両手で顔を覆って小さく丸まってしまう。
「……やっぱり今の、全部なしで。今の俺、すっごく格好悪かった……」
「ううん、すっごく可愛かった」
「可愛いはやめて……」
指の隙間から覗く濡れた瞳が、抗議するように私を睨む。
離れている間も、きっとこの人は私のことを考えていてくれる。
不器用で、真っ直ぐで、愛おしすぎる彼の姿に、胸の奥が温かい幸福感で満たされていった。




