第29話 約束
金曜日の午後五時半。
無数の照明とスピーカーの重低音が空気を震わせる大型アリーナのバックヤードで、私は首から下げた『メインスポンサー・プロジェクトマネージャー』のクレデンシャルパスを揺らしながら、足早に通路を歩いていた。
「篠宮マネージャー、ホールB側の特設プロモーションブース、サンプリングの追加ロット搬入が完了しました」
「了解です。ありがとうございます。あと、開会式後の役員アテンドですが、クライアント幹部の着席確認が取れ次第、運営本部に無線を一本入れてください」
「承知しました」
インカムの音量を手元で微調整しながら、手元のクリップボードに挟んだ進行タイムラインをチェックする。
私は、国内外の配信同時接続数が数十万人を見込む『アストラル・プロリーグ 決勝トーナメント』を支える、メインスポンサー側の実務責任者。
この大役を引き受けて以来、社内調整、ブランドレギュレーションの策定、会場内の動線設計から当日の来賓対応まで、数え切れないほどのタスクを積み上げてきた。
「篠宮さん、少しよろしいですか」
「佐々木部長! 本日はお越しいただきありがとうございます」
関係者ラウンジの前で声をかけてきた他社スポンサーの重役と、手慣れた所作で名刺を交わす。
「御社のブース、体験エリアの整理券が五分で捌けたそうですね。素晴らしいプロモーション設計だ」
「ありがとうございます。現場の熱量をそのままプロダクトの体験価値に変換できるよう、チーム全体で導線を詰めましたので」
淀みなく微笑み、数字とロジックを交えて会釈を返す。
(……よし。トラブル対応も全部リカバリーできた)
時計の針は十八時四十分を指していた。
来賓のアテンドを終え、運営本部との最終連携を確認し終えたところで、ようやく自分の役割の一区切りがつく。
私はインカムのスイッチを待機モードに切り替え、関係者専用ゲートをくぐってアリーナの客席フロアへと向かった。
◇
関係者席の最前列。
ステージ上の特大スクリーンと、防音ガラスで仕切られた選手ブースがすぐ目の前に広がる特等席に腰を下ろす。
スマホを取り出すと、ギルドのチャットツールの通知がものすごい勢いで跳ね上がっていた。
ちくわ:おや、まもなく開宴ですかな! わたくしは今夜のために高級ビールとおつまみを万全に配備いたしましたぞ
ぽてと:会場の一般席にいるよーーー!! スタンド西側3列目!!
レイナ:ぽてとアンタ現地行ってんの!? ずるくない!?
ぽてと:当日券のキャンセル待ち勝ち取った! アキちゃんは? 関係者席で見れてる!?
アキ:さっき仕事の一段落ついて、席に着いたところ! ぽてとちゃん現地にいるんだね!
レイナ:へーえ、特等席で彼氏の晴れ舞台見学ね。役得役得。アキ、あんた心臓口から出てんじゃない
アキ:出そう。というか、手汗が止まらない……
ちくわ:ふぉっふぉっふぉ、何百万回と背中を預け合ってきたソラ殿です。ここは泰然自若と構えて見守りましょうぞ
レイナ:そうよ。あたしたちのギルドメンバーの強さ、世界中に見せつけてもらいましょ
画面越しに飛び交う、いつものくだらなくて温かいやり取り。
ゲームの世界だけで繋がっていた仲間たちが、今、現実のこのアリーナのスタンド席や、それぞれの画面の前で、同じ一つの戦いを見つめている。
その事実が、張り詰めていた私の緊張をふっと解きほぐしてくれた。
――ズゥゥゥン……!
会場の照明が一斉に落ち、地鳴りのような重低音がアリーナを揺らす。
『――さぁ、お待たせいたしました!! アストラル・プロリーグ、決勝トーナメント第1回戦、開幕です!!』
無数のムービングライトが交差し、スモークの中から選手たちが入場してくる。
黒を基調としたチームユニフォーム。首にヘッドセットをかけ、一切の雑音を遮断した無表情でステージに現れた如月蒼真の姿が、巨大スクリーンに大写しになった。
数万人の観客による、悲鳴のような大歓声が巻き起こる。
(……蒼真くん)
昨日、「勝ったら、また来てくれますか」と少し甘えるように呟いていた男の子。
けれど今、ステージの上に立つ彼は、日本のトップを背負う孤高のエースストライカーそのものだった。
◇
『試合開始! 開幕から仕掛けたのはゼニス・如月ソウマ選手だーーっ!!』
開始の合図と同時に、蒼真くんの操作する騎士が閃光のようなスピードでフィールドを駆けた。
相手チームの堅牢な陣形。普通ならじっくりと索敵を重ねて隙を窺う場面で、彼は迷いなく最短ルートで敵の前衛へ突っ込んでいく。
カチャカチャカチャ、ターン――!
防音ガラスの向こう、モニターの光を浴びながら、信じられない速度でキーボードを叩き込む彼の長い指先が見える。
相手の牽制スキルを紙一重のステップで躱し、ミリ単位の死角を突いて放たれる連撃。
ぽてと:わーーー!! ソラくん開幕から速すぎ!! なにあのステップ!?
ちくわ:お見事! 敵の詠唱フレームを完璧に読んでの差し込みですな!
レイナ:あいかわらず容赦ないわね。完全に相手の心を折りに行ってるわ
手元のチャット欄でギルメンたちが大興奮で実況を飛ばしてくる。
普段、ゲームの中で私が何度も見惚れてきた、あの無駄のない美しい立ち回り。
けれど、間近で彼の息遣いを感じられるようになった今の私には、その一振りにどれだけの孤独な練習時間と、背負い込んだプレッシャーが込められているのかが、痛いほど理解できた。
高校生の頃から、ただ画面と向き合い続けてきた歴史。
ミアに迫られても、RENに挑まれても、揺るがずに自分の足で立ち続けてくれた誠実さ。
(頑張れ、蒼真くん……っ!)
膝の上で拳を固く握りしめ、ステージ上の背中に向かって祈るように視線を注ぎ続ける。
『相手チーム、完全に崩壊! 如月ソウマ、怒涛の五人抜きーーーっ!! 勝者、チーム・ゼニス!!』
ウォーッという割れんばかりの咆哮と拍手がアリーナを満たす。
ヘッドセットを外した蒼真くんが、チームメイトと淡々とハイタッチを交わし、ふっと肩の力を抜いた。
◇
試合後の勝利者インタビュー。
ステージ脇に設置された特設インタビューブースに、蒼真くんが姿を現した。
『――ソウマ選手、圧倒的なストレート勝利でした! 今日の素晴らしい立ち回り、ご自身ではどう振り返られますか?』
実況アナウンサーからマイクを向けられた蒼真くんは、乱れた前髪を軽く払い、いつもの落ち着いた声で口を開いた。
『……序盤から狙い通りの展開が作れました。チームの連携も機能していたので、自分の役割を遂行しただけです』
淡々とした受け答えに、客席から感嘆の吐息が漏れる。
『――ありがとうございます。では最後に、会場にお越しのファンの皆さん、そして配信で見守ってくれている方々へ一言お願いします!』
アナウンサーの言葉に、蒼真くんはふと視線を持ち上げた。
無数のカメラのレンズを通り越し、関係者席の最前列で息を呑む私の瞳を、彼は迷いなくまっすぐに見つめた。
その切れ長の瞳が、ほんの一瞬だけ、ふにゃりと柔らかく細められる。
『……応援、ありがとうございました。次の試合も、絶対に勝ちます』
マイクを握る彼の手に、わずかに力が込められた。
『……約束、守れるように頑張るので。一番近くで見ててくれたら、嬉しいです』
ドッと沸き起こる会場の大歓声。
「今の誰向け!?!?」「優勝宣言きた!」「尊すぎる!!」と黄色い声と拍手が渦巻く中、ギルドチャットも一瞬で爆発した。
レイナ:……ちょっと。アキ、今の完全にアンタ見て言ったでしょ
ぽてと:ソラくん公開告白! アキちゃん生きてる?
ちくわ:ふぉっふぉっふぉ、若いというのは実に眩しいですなぁ!
顔から火が出るほど熱くなる頬を両手で覆いながら、私はこぼれそうになる涙を必死に指先で拭った。
――ヴヴッ。
インタビューを終えて控え室へと戻っていく彼の背中を見送った瞬間、手元のスマホが短く震えた。
『勝ちました。……ちゃんと、一番前で見ててくれましたか?』
画面に並ぶ、少しだけ甘えるような短いメッセージ。
メインスポンサーの担当マネージャーとしての責任も、一人の女の子としての胸の高鳴りも、すべてが満ち足りた熱となって胸の奥に広がっていく。
私は震える指先で、迷いなく返信を打ち込んだ。
『すっっごくかっこよかった!!!』




