第5話 狐の夕餉と親父のバイト
今回は少し日常パートを入れています。
書くのに苦労しました。
「やりたかない」と言いつつも、ボロボロになった身体は正直に重い。北野の急な坂道が、今の俺には六甲山を登るよりキツく感じられた。
坂の途中に建つ、蔦の絡まった古いレンガ造りのビル。
一階の喫茶店からは、芳醇なコーヒーの香りと、母ちゃん——葉子が客をあしらう朗らかな声が漏れている。あいつ、九尾の狐のくせに店名は安直に「フォックス・テイル」だ。
俺は裏口から階段を上がり、二階へと足を進めた。
そこには、木製のプレートに『安倍探偵事務所』と掠れた文字で書かれたドアがある。
「……あー、カトリーヌ。君の瞳に映る俺は、今日の神戸の海より深いかな?」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、案の定、親父の鼻持ちならない甘い声だった。
俺が勢いよくドアを開けると、案の定、ヨレヨレの高級スーツを羽織った泰臣が、依頼人らしき美女の手を握ってカウンターでグラスを傾けていた。
神戸の北野は異国の方が多いのだ。
相変わらずこいつのモテ方だけは本物だ。悔しいが、その色気には「呪」を使っても勝てそうにない。
「おっと、相棒の帰還だ。カトリーヌ、続きはまた今度な」
親父は美女をウィンク一つで送り出すと、俺のボロボロの学ランを一瞥し、灰皿にハイライトを押し潰した。
「……ひどい面だな、晴明。三宮の『電波障害』は、三代目の手に余ったか?」
「……知ってて言うてるやろ。あいつ、なんで追ってこなかった」
俺の問いに、泰臣はニヤリと不敵に笑った。その瞳の奥には、女を口説く時とは違う、鋭利な刃物のような光が宿る。
「蜘蛛はな、獲物を捕らえる前に巣を張り直すんだよ。……お前らがサンチカで暴れたせいで、街の『結界の継ぎ目』が少しばかり緩んだ。あいつが引いたのは、お前を恐れたからやない。もっとデカい獲物を呼び込むために、隙間を広げる時間が必要だっただけや」
親父は棚からウイスキーの瓶を取り出し、俺に背を向けたまま続けた。
「晴明、永田町のクソジジイ共が震えてるのは予言のせいやない。……自分たちが張った『蜘蛛の巣』の糸が、逆にお前らに絡みつくのを恐れてるんだよ。やりたかないだろうが、明日の朝には有世から面白いプレゼントが届くはずだぜ」
親父の意味深な言葉を残し、俺は三階の自宅へと這い上がった。
三階の自宅へ上がり、泥だらけの学ランを脱ぎ捨ててシャワーを浴びる。熱い湯が、土蜘蛛の粘りつくような呪気を洗い流していく。
「晴明、うどん伸びるわよ! さっさと来なさいな」
居間へ行くと、母ちゃん——葉子(妖狐)が、大きな丼をテーブルに置いたところだった。
こいつの作る「狐うどん」は、そこらの店とは訳が違う。どんぶりを覆い尽くすほどデカいお揚げは、母ちゃんが「九尾のネットワーク」を駆使して手に入れた、秘伝の出汁で煮込まれている。
「……いただきます」
熱い汁を啜ると、五臓六腑に染み渡る。影の中に潜む天一も、心なしか満足げに氣を落ち着かせていた。
「母ちゃん。さっき親父が言ってた『蜘蛛の巣の糸が逆に絡みつく』って、どういう意味やと思う?」
俺がうどんを啜りながら聞くと、母ちゃんはテレビのワイドショーを眺めながら、自分のお揚げを齧って答えた。
「言葉通りの意味よ。永田町のジジイ共は、あんたたち三英傑を『守護者』として利用したい一方で、制御不能な『爆弾』だとも思ってる。あいつらが街中に張り巡らせた結界は、妖怪を防ぐためだけのものじゃない。……あんたたちの力を、一定の枠の中に閉じ込めておくための『籠』でもあるのよ」
「……俺たちが、籠の中の鳥ってことなんか?」
「そう。でも、土蜘蛛はその結界の糸を、自分の『網』に作り変えてしまった。今、神戸の街を守ってるはずの結界が、逆にあんたたちの自由を奪う武器になろうとしてる」
母ちゃんはニヤリと笑い、俺の丼に追いお揚げを放り込んだ。
「父さんはね、依頼の傍らでその糸を一本ずつ解いてるのよ。あんたが最後に『騰蛇』をぶっ放す時、自分まで焼き切られないようにね。……やりたかないでしょうけど、父は父なりに、あんたという『不発弾』の信管を抜こうとしてるのよ」
親父、泰臣。
二階で女を口説いているあの不真面目な親父が、夜景デートと称して神戸の霊的防衛線を一人でメンテナンスしている姿を想像して、俺は鼻で笑った。
「……あの親父に貸しを作るのは、一番やりたかないねんけど」
「いいじゃない。親子なんだから。……さあ、食べたら寝なさい。明日の朝、有世ちゃんが持ってくるニュースは、今日よりずっと『悪辣』なんだから」
なぁ、あんたならどう思う?
母ちゃんが傾国の九尾の狐で、親父が母親以外とのデートで結界を弄ってる。
そんな家のうどんが、世界で一番美味いなんて、皮肉を通り越して笑えてくるだろ。
俺は最後の一滴まで汁を飲み干し、自室のベッドに倒れ込んだ。
窓の外、神戸の夜景は静かだったが、その光の網目の中を、見えない糸がじわじわと締め付けてきているのを、俺は確かに感じていた。
いやー、設定をどういう風に盛り込んでいくのか難しいです。




