第25話 共有されたバグ、あるいは一年前の正解
晴明が語ります。
「離せって……ッ! この焔は、全部をなかったことにするためのもんなんや。お前らは何も知らんでええ……! 何も知らんまま、日常に戻ればええんや!!」
俺は必死に腕を振り払おうとした。だが、博雅の指は食い込むほどに強く、あいつの黄金色の氣が、騰蛇の紅蓮を強引に押し留めている。
「ふざけんな! 何も知らんでいいわけあるか! 俺たちを助けるために死んだお前の姿を、なかったことにしてたまるかボケェ!」
博雅が至近距離で吠える。その言葉に、胸の奥を直接掴まれたような衝撃が走った。横から割り込んできた道満が、震える手で俺の右手を、博雅の手の上からさらに力強く包み込んだ。
「……晴明。あんた、うちらを生き返らせるために、自分で……自分を殺したんか。それを、うちらにずっと黙ってたんか。……なんで……一人でバグ抱えて、一年も姿くらまして。……なんで、一人で平気な顔しとったんや」
道満の涙が、俺の手にこぼれる。その雫が、騰蛇の熱よりもずっと熱くて、冷たかった。俺は視線を地面に落とし、震える声で絞り出した。
「……俺はもう、まともな人間やない。半年間、指一本動かせんまま寝たきりで、そのあとも一年かけて京都で魂の傷を癒すだけで精一杯やった……。五芒星描こうとしたら震えるねんで……」
今まで誰にも、親父にさえ隠していた情けない事実が、決壊したダムのように溢れ出した。
「死の記憶、匂い、忘れたくても忘れられへん、脳に焼き付けられてる……。元々やる気なんてなかったけど、さらに怠惰になっただけの、傷まみれの命なんや。道満……お前が俺の隣にって言う度に、ほんまはな、こう思ってた。隣にいる資格なんて、ほんまは俺の方こそないねん」
弱々しく語る俺の言葉は、パチパチと爆ぜる焔の音にかき消されそうだった。
朱雀による自害を対価にしたリブート。自ら命を絶って因果をねじ曲げた代償は、俺という存在の根幹を永遠に不安定なままにしている。
「資格なんて、俺が決めるわ!」
博雅が俺の肩を小突き、無理やり視線を合わせさせた。
「お前が震えるんなら、俺が筆を支えてやる! お前が怠惰なら、俺がケツを叩いてやる! 陰陽師が何や、三代目が何や! お前は、俺のダチの晴明やろうが!」
道満がぐい、と俺の手を引いた。
「……そうや。あんたが一人で壊れたんなら、三人で作り直せばええ。一千年の土蜘蛛より、あんたのその歪んだプライドの方が、よっぽど厄介なバグやわ!」
二人の熱い氣が、俺の冷え切った身体に流れ込んでくる。不思議と、騰蛇の焔が静まり、代わりに温かい光が右手に宿った。俺の中の「未解決ログ」が、二人と共有されたことで、初めて正しい定義に書き換えられていく。
「……ちっ。お前ら、ホンマに最高にうっとうしいわ」
俺はジッポを地面に放り捨て、右手を高く掲げた。土蜘蛛の核は、まだ消えずに、俺たちの記憶を食らおうとうごめいている。
その言葉を遮るように、異界の端が歪に引き裂かれた。
(……しまった、デリートが甘かったか)
土蜘蛛は俺たちの感情の隙を突いた。騰蛇の焔が静まった一瞬の空白、奴はその巨躯を無理やりデジタルなノイズへと変換し、天空が作り上げた異界の「壁」を強引に食い破った。
「――逃がすかッ!!」
博雅が吠え、黄金色の氣を叩きつけるが、奴の本体は既に異界の外――現実の神戸へと流出を開始していた。一千年の執念は、俺たちのトラウマを暴き立てるだけでは終わらない。
「先輩! 土蜘蛛の信号、現実のネットワークに再接続されました! これ……街中のインフラを依り代にして、実体化し直すつもりですよ!!」
有世の悲鳴が、崩壊していく異界に響く。
天空の術が解け、視界が白銀から元の「北野の夜明け」へと戻っていく。だが、そこにあるのは静かな朝じゃない。校舎の至る所から、真っ黒な光ファイバーの糸が蜘蛛の足のように伸び出し、神戸の街を物理的に侵食し始めていた。
「……はぁ。やりたかないねー、ホンマに。湿っぽい話で終わらせてくれるほど、神話のバケモノは甘くないってか」
俺はふらつく身体を博雅に支えられたまま、地を這う影を見据えた。
右手の封印はもうボロボロだ。さっきの「告白」で魂を曝け出したせいか、五芒星を描こうとする指先は、今も情けなく震えている。
「晴明、情けない顔すんな。逃げたなら、追いかけて殴るだけや」
「……そうや。あんたの震えは、ウチらが止めたる。現実に戻ったなら、ウチらのやり方でケリつけようやないか」
道満が、震える俺の指を力強く握りしめる。
なぁ、あんたならどう思う?
過去を暴かれ、魂はボロボロ。なのに、隣にいる馬鹿野郎どものせいで、まだ「デリート」する気力が湧いてくるんだ。
「……おぅ。やりたかないけど、そのバグ、今度こそ完全に存在自体を抹消してやるよ」
俺は震える指先を隠すように拳を握り、逃げ出した土蜘蛛の黒い残滓を睨み据えた。
藤原のOSという殻を脱ぎ捨て、より生々しい怨念となって現実に溶け出した一千年のバグ。それが、神戸の朝日をドス黒く塗り潰そうとうごめいている。
奴は街の光ファイバーを、まるで自分の神経系か何かのように使って、地下から地上のあらゆる電子機器へと感染を広げ始めていた。
「晴明、行くぞ! 街が蜘蛛の巣に変わる前に、あいつの本体を引き摺り出すんや!」
博雅の叫びと共に、俺たちは崩壊した校舎を飛び出した。
道満が俺の震える右手を支え、有世がタブレットで土蜘蛛の流出先をトラッキングし、保憲が冷徹な目でその「最適解」を弾き出す。
なぁ、あんたならどう思う?
一年前、自ら喉を切り裂いて絶望の中で終わらせたはずの俺の時間が、今、こいつらの熱量で強引にアップデートされてる。
「……やりたかないけど、俺の『死に戻り』を無駄にするような真似、神様だろうがバケモノだろうが、絶対に許さんわ」
俺は、今度こそ逃げ場のない「終わり」をあいつに刻むために、走り出した。
んー、青春すぎる




