第12話 永田町の注文、あるいはコロッケの味
なぁ、あんたなら信じられるかい?
ついさっきまで神霊だの呪いだのを引き連れて、世界をリセットしかねない破壊神を南京町のど真ん中に降臨させていた男が、今は油の染みた紙袋を抱えて、一個百円のコロッケのソースの匂いに鼻をひくつかせているんだ。
隣には、俺の腕に全力でしがみついたまま、ハフハフと必死にコロッケを頬張る「元アナウンサー似」の美少女。中身は執念深いライバルの陰陽師だっていうんだから、現実ってのはどんな創作物よりも悪趣味にできているらしい。
俺たちは北野の坂を登り、ようやく『フォックス・テイル』に辿り着いた。だが、店の前には不自然なほど磨き上げられた黒塗りのセンチュリーが並び、裏口には「私は一切の感情を捨てました」という顔をした、耳にインカムをつけたガタイのいい男たちが壁のように立っていた。
「……おいおい。母ちゃん、また変な宗教の勧誘でも入れてんのか?」
俺が重い暖簾をくぐると、店内の空気はいつもよりさらに数段、肌がヒリつくほどに張り詰めていた。
カウンターの中央。母ちゃんが淹れた最高級のキリマンジャロを前に、一分の隙もないスーツ姿で座っていたのは、夕方のニュース番組の主役――日本初の現役女性総理、西園寺麗子本人だった。
「あら、おかえりなさい。南京町の『清算』を鮮やかに終わらせた三代目の晴明くんに、芦屋さんの……あら、とっても可愛いお嬢さんじゃない」
彼女はカップを置き、まだ変化の術が解けずに俺の腕に顔を埋めるようにしがみついている道満を、獲物を見定めるような目でジロジロと眺めた。
「どうかしら、その姿。次の選挙に向けた我が党のイメージ戦略にぴったりだわ。私のアイドル枠としてデビューさせようかしら? 憲法改正の国民投票より、あなたの笑顔の方が票が集まりそうね。今のうちに独占契約のサイン、貰っておこうかしら?」
「……っ、何を……こんな時にふざけんといてください!」
道満が「もりかす」顔の甘い声で抗議するが、俺と博雅はあまりの事態に絶句していた。
「……え、本物? マジで西園寺総理か? なんで北野の喫茶店に国権の最高責任者が座っとるんや……」
博雅が飲みかけのコーラを喉に詰まらせ、くの字に曲がって咳き込んでいる。有世に至っては、タブレットを持つ手が震えて「これ……ライブ配信したら日本のサーバーが落ちますよ……」と呆然と呟くばかりだ。
そんな中、背後でコロッケを直接手掴みで食っていたりお先生だけが、大きく舌打ちをした。
「ちっ、本当に来やがったわね、永田町の女帝。……先生、昨日の電話で『隠密に』って言いましたよね? 全然隠密じゃないんですけど。SPのせいでシーマを停めるスペースがなかったじゃない」
「あら、りおさん。相変わらず口が悪いわね。でも、この『電池』たちの働きがあまりに劇的だったから、直接お礼を言いたくなったのよ」
西園寺麗子は不意に表情から「政治家の仮面」を剥ぎ取り、凛とした佇まいで椅子から立ち上がった。そして、俺と、隣で驚きに固まっている道満の父ちゃん、さらには後から入ってきた博雅の両親に向かって、深く、深く腰を折った。
「……謝罪させてもらうわ。安倍家、そして芦屋家。あなたたちの血を都合のいい『生体電池』扱いし、世代を越えて憎しみ合わせることで、この国の霊的インフラを維持してきたこれまでの政府のやり方は、致命的な間違いだった。……今日、この瞬間をもって、その歪んだシステムは私が責任を持って解体する」
店内に静寂が流れる。彼女は顔を上げると、俺の手に持った森谷商店の紙袋を見て、ふっと悪戯っぽく笑った。
「その代わり、これからもこの街に……いえ、この国に何かあったら、非公式に相談させてもらうわよ? クリーニング代なら、国費でりお先生のシーマを新車に買い替えられるくらい準備してあるから」
「……新車なんていらないわ。今のY33が好きなんです。重量税とガソリン代を全額経費で落としなさいよ、クソババア」
りお先生が口の周りにコロッケのソースをつけたまま毒づく。
「あらあら、うふふ……。総理大臣様でも、お代はしっかりいただきますからね? うちの豆は特別製なんですから」
母ちゃんが優雅に伝票を差し出す。西園寺麗子は「もちろんよ」と笑い、漆黒の封筒を一つ、カウンターに置いた。
なぁ、あんたならどう思う?
国家のトップに頭を下げられても、結局は母ちゃんの「あらあら」と、りお先生の悪態に全部持っていかれちまう、この北野の日常。
俺? 俺はただ、心臓の辺りがキリキリ痛むふりをして、一向に術を解こうとしない幼馴染の熱を感じながら、冷めたコロッケを噛み締めるだけだ。
「……さて、道満。いい加減、術を解けよ。有世の解析じゃ、もう解けるはずなんだろ?」
「……う、うるさい! 精神的な何かって言われたやろ! まだ……もうちょっとだけ、このままでおらせてよ」
赤くなる道満を連れて、俺はいつもの定位置に座った。
神戸の街は、今日も相変わらず騒がしくて、最高にやりきれない風が吹いている。




