第11話 パンダの算盤、あるいは煙に巻かれた電脳賭場
いや、いや道満さん
「挽き肉」を作る準備は整った。俺は「もりかす」似の美少女と化した道満の腕を引き、お好み焼き屋の暖簾をくぐろうとした。その瞬間――。
カチッ、カチカチカチッ!
鼓膜を直接針で刺すような、不快な算盤の珠を弾く音が南京町に鳴り響いた。見上げれば、赤い提灯が並ぶ空を覆い尽くすように、鈍色に光る巨大な「金属性の格子」が展開されている。南京町全体を丸ごと隔離する、金の呪い。逃げ場のない鉄の檻だ。
「……パチリ。精算の時間だ、三代目」
路地の奥、金の粉の中から漆黒の男が姿を現した。宙に浮く巨大な算盤を従え、不敵な笑みを浮かべて……。
「……ぶっ、ふふふっ!!」
真っ先に吹き出したのは博雅だ。
「おい、なんやそれ! 晴明、見てみぃ! あいつの顔!」
そこには、完璧なポーカーフェイスを維持しようと必死な男の、両目の周りにくっきりと浮かび上がった青紫のアザがあった。母ちゃん——葉子に叩き込まれた、逃れようのない制裁の痕跡だ。
「……あはは! 泰臣さんと同じや! 算盤さん、あんたもおばちゃんにやられたんか!」
道満が「もりかす」顔でケラケラと笑い転げる。リオ先生も「あらあら、葉子のやつ。客にまで手を出したのね。容赦ないわぁ」とスマホを連写し始めた。
「……貴様ら、笑うな! これは名誉の負傷……ッ」
男が激昂し、宙に浮く巨大な算盤の珠を狂ったように弾き始めた。
「五行の理、金の理。万物は金に平伏し、龍は銭の音に跪く! 出でよ、南京町の龍脈!」
男の叫びと共に、石畳が激しく波打った。地下の大地の氣が奴の金の呪いに釣り上げられ、ドス黒い濁流となって噴き出してくる。
「――保険、適用」
俺が指先でメビウスの吸い殻を弾いた。その瞬間、店内に漂っていた「メビウスの煙」が、青白い光を帯びて爆発的に膨れ上がった。煙の粒子に刻まれた五芒星が空間を白銀の結界へと書き換え、降り注ぐ金の弾丸を弾き飛ばす。
「……なっ、煙だと!? いつ術を……」
「お好み焼きが焼けるのを待ってる間、暇だったからな。……言っただろ、お前の算盤、挽き肉にしてやんよって!」
算盤男の顔に余裕がなくなる。
「博雅、道満! 笑うのは後だ。……やるぞ!」
「おう! その『パンダ面』、俺の拳でもう少し派手にしてやるよ!」
「……うちも行くわ! その算盤の珠、全部飲み込ませてやる!」
……やりたかないけど、そのアザの痛み、俺たちが『倍増』させてやるよ。
「有世、あの算盤をハッキングしろ!」
「無理です! 先輩、物理で止めてください!」
有世の悲鳴を受け、俺は影の中の凶獣を放った。
「――白虎! あの格子ごと、算盤野郎を挽き肉にしろ!」
銀色の閃光が格子に食らいつく。だが、白虎の突進に引きずられ、俺の体が数センチ道満から離れかける。
「……っ、晴明! もっと近く! 離れたらアカンて言うてるやろ!」
道満が顔を真っ赤にして俺の腰に全力で密着してきた。変化の術のせいで「もりかす」スタイルの抜群なボディが、俺の背中に全力で密着する形だ。
「っ、道満! 動きにくいわ!」
「うるさいわ! 離れたら心臓止まるねん! あんたが突っ込むなら、うちも背負って行け!」
「ギャハハハ! 晴明、お前おんぶして戦う気か? 最高に格好悪いぞ三代目!」
爆笑する博雅を無視して、俺は道満を密着させたままステップを踏む。
「……晴明。あんた、いい加減にしなさいよ」
背中にしがみついた道満が、耳元で熱い吐息混じりに囁いた。
「もりかす」顔の甘い声なのに、その響きには芦屋の血が宿る鋭い意志が混じっている。
「あんたが本気出したら、こんな事件、秒で終わらせられるやろ? いつまで、その『やりたかない』って皮肉に逃げとんねん。……うちは信じとるよ、あんたの本当の力を」
「…………。……チッ。しゃあねえな。博雅、りお先生、有世! 三秒だけ目をつぶってろ」
俺は右手の封印を完全に解き放った。
「――天空、展開。南京町を世界から切り離せ」
一瞬で隔離空間が構築される。さらに六合、玄武を重ね、外部へは光一つ漏らさない絶対的な結界を完成させた。
「……な、なんだ? 周囲が消えた……?」
算盤男が狼狽える中、俺の影がドロリと、溶けた溶岩のように赤黒く変色し始めた。
「――騰蛇。掃除の時間だ。塵一つ残さず、焼き尽くせ」
影の中から這い出したのは、神霊というよりは「終焉」そのものの姿をした、紅蓮の蛇。
そいつが咆哮を上げた瞬間、隔離された空間内の温度が数万度にまで跳ね上がった。
算盤男の金の格子も、龍脈の泥も、騰蛇の「煉獄の炎」の前ではただのバターと同じだった。
「火、ヒッ、あ、あああああ!」
んー、仮面ライダーのベルトか!っと突っ込みたくなる。
数秒後。指を弾いて結界を解くと、そこには何事もなかったかのように夕暮れの南京町が戻っていた。
「……ふぅ。おわった、おわった。……あー、喉乾いた」
「…………化け物。……でも、助かったわ。あんた、もうマンガやな! あの最強の白髪目隠し先生でも真っ青やで、ほんま」
道満が呆れたように笑い、ようやく俺から少しだけ距離を置いた。……が、すぐに「あっ、また心臓が痛い……っ」と再び俺の腕をギュッと掴む。
「……消えました。南京町のオッズ、一瞬で全ラインがフラット(死滅)しました。……先輩、やりすぎですよ。これじゃあ、賭場そのものが消滅しちゃったじゃないですか」
有世が呆然とタブレットを見つめる。
なぁ、あんたならどう思う?
本気を出せば、世界なんて一瞬で消せる。だからこそ、俺は安タバコを吸って、「やりたかない」と嘯きながら、この美少女化した幼馴染に腕を掴まれたまま、不本意な日常へ帰るのさ。
「……先生、帰りに森谷商店のコロッケ買ってええか?」
「言われなくても! 私の分も買いなさいよ、三代目!」
シーマのヘッドライトが、不自然なほど可愛らしい道満と、俺の影を長く伸ばして夜の南京町を照らし出した。
いやいや、晴明さん




