第10話 長安門のハプニング、あるいは死んでも離れない二人
んー、むずい描写が多くてよみやすかったかな?
「先生、一応聞くねんけどさ。なんか作戦とかあんの?」
俺は助手席で激しく揺られながら聞いた。パールホワイトのY33シーマは北野の坂を、猛スピードで駆け下りている。
「作戦? 決まってるじゃない。長安門をこのシーマで時速百キロでブチ破って、腰を抜かした観光客のど真ん中に、リミッターの切れたあんたたちが降り立つ……。うふふ、最高に格好良くない?」
「……先生、それただのテロや。博雅、親父さんに謝っとけよ」
博雅が絶叫し、南京町の極彩色が目前に迫った時。車内に不気味なほど軽快な電子音が鳴り響いた。りお先生が悪態をつきながらスマホを耳に当てる。
「チッ、誰よ……今いいところなのに。はい、神戸です。……ええ、今からぶち抜くところですけど。――は? 総理!?」
相手が日本初の現役女性総理だと分かった瞬間、りお先生の顔から色が消えた。
「……ええ。……ええ、分かったわよ。隠密ね。……シーマは汚さない。……はいはい、切るわよ、クソババア」
凄まじいタイヤの悲鳴を上げ、シーマは長安門の数十メートル手前で急停止した。
「……作戦変更よ。総理から特命。南京町の賭場は他国との外交ルートも絡んでるから、派手な制圧は厳禁。隠密に潜入して、元締めの算盤野郎だけを『解体』しなさいって。というわけで、道満さんの出番よ。『変化の術』で、あんたたち二人、カップルに化けて南京町をデートしなさい。それが一番怪しまれないわ」
「隠密? 俺たちの面、もう割れてんだろ」
俺が呆れて言うと、リオ先生はルームミラー越しに道満を凝視した。
「だから、道満さんの出番よ。……『変化の術』。あんたたち二人、カップルに化けて南京町をデートしなさい。それが一番怪しまれないわ」
「……はあ!? なんでうちが晴明とカップルごっこせなあかんのよ! 冗談やめて!」
道満の叫びが、シーマの車内に木霊した。黒木メイサ似のクールな面を真っ赤にして、リオ先生に詰め寄る。だが、ハンドルを握る俺たちの担任は、ルームミラー越しに楽しそうな目を向けるだけだ。
「あら、嫌なの? 国家の命運がかかっているのよ。それに、今のあんたたちなら『訳ありの駆け落ちカップル』に見えて、潜入にはうってつけじゃない」
「駆け落ちって……! 晴明、あんたも何とか言いなさいよ!」
「……俺に振んなよ。やりたかないのは俺も一緒や」
俺が投げやりに答えると、道満はさらに憤慨して鼻息を荒くした。だが、りお先生の「ボーナスがかかってるの。逆らうなら出席日数、全部ドブに捨てるわよ?」という冷徹な一言で、道満は奥歯を噛み締めながら黙り込むしかなかった。
「……分かったわよ。やればええんやろ、やれば!」
嫌々ながらも、道満が九字を切る。だが、昨日の暴走の影響か、立ち上った黒い煙はおかしな色に明滅した。昨日の暴走による呪力の乱れのせいか、立ち上った煙は禍々しい紫色の光を放ち、彼女の姿を想定外の形へ書き換えていった。
煙が晴れた後。そこにいたのは、いつものクールな道満さんではなかった。
丸みのある瞳に柔らかい輪郭。いわゆる「タヌキ顔」の絶世の美人。スタイルも抜群で、その質感はどこか元アナウンサーの「もりかす」を彷彿とさせる、あざといまでの可愛らしさだ。
「……な、なんなんこれ……声まで変や……」
漏れた声も、鈴を転がすような甘いトーン。
「ギャハハハハ! お前、誰やねん! 晴明、お前ら最高にお似合いやで!」
それまで黙って見ていた博雅が、腹を抱えて爆笑し始めた。
「道満、その顔で怒っても全然怖くないぞ。晴明、しっかりエスコートしてやれよ、ヒューヒュー!」
「うるさいわ、博雅! ぶち殺すぞ!」
もりかす似の顔で喚く道満だが、その可愛さのせいで迫力はゼロだ。だが、彼女の表情が急に強張った。震える手で、俺の学ランの袖をぎゅっと掴んでくる。
「……晴明、これ、解けへん……それに、あんたに触れてへんと、心臓が握りつぶされそうになる……。呪が、あんたの氣を求めて暴走しとるんや!」
「あらあら。昨日の後遺症ね。晴明君の『五芒星』を安定剤にしないと、道満さんの精神が持たないみたい。うふふ、一時も離れちゃダメよ?」
りお先生がニヤニヤとスマホを構える。仕方なく、俺は「もりかす」似の美少女と手を繋ぎ、赤い提灯が揺れる南京町へと歩き出した。
「……なぁ、晴明。恥ずかしすぎて死にそうなんやけど」
「俺のセリフや。ほら、隠密やねんから。並ぶで」
まず向かったのは、南京町の中心にある広場。そこには、いつだって凄まじい行列を作る元祖豚まんの店『老祥記』がある。
手を繋いだまま列に並ぶ俺たちは、周囲から見れば「美男美女のラブラブなカップル」にしか見えないだろう。だが、俺の右手には道満の冷や汗が、左手にはジッポの冷たい感触があった。
ようやく手に入れた小ぶりの豚まんを、道満が「あふっ」と頬張る。
「……ん、おいしい。皮がモチモチしてて、中身がギュッとしとる……」
「だろ。この一口サイズが、南京町の食べ歩きのスタート地点だ」
少しだけ道満の緊張が解けたのを見て、俺たちはそのまま『YUNYUN』の列にスライドした。
お目当ては、鉄板で焼き上げられる「焼小籠包」。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「晴明、これ……どうやって食べるん?」
「いいか、道満。いきなり噛むなよ。中のスープで口の中が爆ぜるぞ。まずは皮を少し破って……」
俺の忠告を聞く前に、道満が焼きたてを一口で行った。
「――っ!? あ、熱い! でも……うわ、スープがめっちゃ濃厚や……!」
もりかす顔でハフハフと口を動かす道満。その無防備な姿に、一瞬だけ「一年前の春休み」より前の、何も知らなかった頃の日常がフラッシュバックした。
「……なぁ、晴明」
道満が熱いスープで目を潤ませながら、不意に、真面目なトーンで聞いた。
「……あんた、中三の春休みのあの事件の後、なんで急に消えたんや? 1年経ってやっと帰ってきたと思ったら、なんか……前より『やる気』なくなってるし」
俺の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
一年前の春休み。三人で解決したはずの、あの忌まわしい事件。
俺はあの時、独断で『朱雀』を使った。
死を拒絶し、時間を巻き戻す禁忌の炎。道満も博雅も、俺が何をしたかは正確には知らない。ただ「晴明が凄い術で解決した」としか思っていない。
だが、巻き戻した死の痛みと、代償として差し出した俺の魂の摩耗は、今もこびりついて離れない。
あの後、俺は半年間、指一本動かせなくなった。五芒星を描こうとするだけで、身体が震えて拒絶反応を起こす。1年かけて、ようやく「やりたかない」という皮肉で自分を誤魔化しながら、ここまで戻してきたんだ。その無様な葛藤ときたら誰にも見せれないね。
「……別に。サボりたかっただけやって。京都のメシが美味かったからな」
「嘘や。……あんた、あの時からずっと、何かを怖がってる目をしてるわ。うちには隠せへんで」
道満の繋いだ手が、ギュッと強まる。
なぁ、あんたならどう思う?
トラウマで何もできなくなった情けない自分を隠し通したい俺と、その空白を真っ直ぐに埋めようとする幼馴染。
「……なぁ、食い歩きだけじゃ、流石に腹が鳴り止まないんだけど」
俺の腹の虫が、南京町の喧騒に負けない音量で鳴いた。思えば朝から道満の弁当もお預けのまま、地獄の連戦とシーマのGに振り回されっぱなしだ。
「うちも……お弁当、持ってきたのに。晴明、どっか入ろ。もう限界や」
「もりかす」似の可愛い声で言われると、断る理由もない。俺たちはメイン通りを外れ、赤い提灯の影が濃くなる路地裏へと逃げ込んだ。
たどり着いたのは、暖簾の年季が入った小さなお好み焼き屋だ。
だが、運命はどこまでも俺たちを弄ぶ。案内されたのは、大人二人が座れば肩が触れ合うほど狭い、向かい合わせの二人席だった。
「……あ」
席に着く直前、俺たちは同時に固まった。
忘れていた。道満の『変化の術』の暴走。俺と触れていないと、こいつの心臓はキリキリと呪いで締め上げられる。
「……なぁ、晴明。食べる時、どうするん?」
「俺に聞くなよ。……ほら、座れ。なんとかするから」
俺が先に座り、道満が向かいに腰を下ろす。繋いでいた手を離した瞬間、道満の顔からスッと血の気が引いた。
「……あ、アカン……。もう痛い……っ」
「っ、しゃあないな!」
俺はテーブルの下で、自分の膝を道満の方へ突き出した。
すると道満は、恥ずかしさで耳まで真っ赤にしながら、その細くて柔らかな足を、俺の膝の上に「ぎゅっ」と乗せてきた。
いわゆる、テーブルの下での密着だ。これなら「接触」は保たれる。
「……これで、ええか?」
「……おぅ。……早く注文しろよ。際どすぎて、味が分からなくなりそうだ」
俺たちはそんな「ギリギリの攻防」を繰り広げている。
鉄板の上でソースがじゅうじゅうと音を立て、甘辛い香りが狭い店内に充満する。俺の膝の上では、道満の足が心細そうに微かに震えていた。
「……なぁ、晴明」
道満がヘラをいじりながら、視線を鉄板の端に落とした。その「もりかす」似のあざとい顔が、立ち上る湯気のせいで少しだけ柔らかく見える。
「あんた、覚えてへんやろ。中三の春休みのあの事件……うちが独りで南京町の外れにある古い祠を調べに行って、動けへんようになった時のこと」
「……そんなこともあったっけな。毎日バタバタしてたからな」
「やっぱり。……あの時、うちは未熟な九字のせいで、祠に溜まってた不浄に足を取られてほんまに怖かった。そしたら、あんたがひょっこり現れてな。いつものやる気ない顔で『クレープ溶けるぞ』って、うちの手を引いてくれたんや。あんたが手を握ってくれた瞬間に、闇が全部消えたんよ」
道満は知らない。俺があの事件の裏で、禁忌の『朱雀』を使い、死の記憶を自分の魂に刻み込んだことも。その恐怖で、一年間まともに五芒星すら描けなくなっていたことも。あいつの中では、俺は今でも「余裕で自分を救ってくれた、不真面目な天才」のままなんだ。
こいつこいつで、俺の隣に立つために、必死に「悪辣な」努力を積み重ねてきたんだ。
――そらー、1年間なんの連絡もしてこなかった幼馴染がいきなり転校してきて、初日に担任にデレデレな顔してたら、冷たい氣を放ってきても文句も言えないわな。
「……道満。お前、その顔でそんな殊勝なこと言うの、反則やろ」
「……っ、うっさいわ! 術のせいやから! うちの本心ちゃうからな!」
そんないたたまれない空気に耐えきれず、俺はポケットからパッケージを取り出した。
MEVIUSのEシリーズ、6ミリ。ジッポを弾き、紫煙を細く吐き出す。
だが、この煙の粒子一つ一つに、俺の「五芒星」の微細な氣を混ぜ、店内に「保険」の結界として張り巡らせたことに、誰も気づいてはいなかった。
道満が顔を真っ赤にして豚玉にマヨネーズをぶっかけた、その時だった。
「――はいっ、シャッターチャンスいただきました! 晴明先輩、顔がニヤけてますよ!」
勢いよく扉が開くと、そこにはりお先生と、さらにタブレットを小脇に抱えてニタニタと笑う後輩・有世が立っていた。窓の外では、博雅が涙を堪えて腹を押さえ、くの字に折れ曲がって声を押し殺して爆笑している。
「あら! 道満さん、意外と大胆ねぇ。お好み焼き屋で足乗せデートなんて、永田町のジジイ共もびっくりだわ。うふふ」
「……有世。お前、いつの間に合流してやがった」
「先輩たちがイチャついてる間に、リオ先生に拾ってもらったんですよ。テーブルの下の接触ログ、バッチリ解析させてもらってます。先輩の五芒星が『外部バッテリー』兼『安定剤』になってるせいで、手を離した瞬間にエグい呪いがかかりますよ。お熱いことで」
「……っ、うるさいわ! このあほ共! 晴明、もうええ、店出るぞ!」
そして有世は、りお先生と博雅にだけ聞こえる小声で囁いた。
「……後それとー。実はもう、いつでも術は解けるはずなんです。解けていないのは……術者本人の、精神的な何かみたいですね」
「「!!!」」
「あらあら……うふふ! 本当に甘酸っぱいわねぇ!」
写真を撮りまくるりお先生。
……やりたかないけど、南京町の事件が終わったら、有世のタブレットは全部水没させてやるよ。
俺は、しがみついてくる道満の熱を腕に感じながら、本当の戦場へと足を踏み出した。
思ったよりも長くなって自分でもびっくり!




