また創作編 漫研続き
細かいことはこれ以外にもいろいろあったが、とにかく
「描いたのなら部誌や展示に使ってやる」
「だが必ず使ってやるとは限らない」
という態度で、私の作品は扱われた。いまだによくこの扱いの意味が分からない。
ちなみに私はその頃この漫研の部長に選ばれていたのだが、今度は
「部長の権力でサークルを私物化しようとしている」
ときた(そう言う本人たちは決して部長などやろうとしなかった)。
そうなると、もともとネットでも交流を持っていたため、私の活動はネット上と即売会に向いて行った。
年四回のコミティアには毎回新刊を出し、同時にサークルの部誌にもイラスト展にも新作を皆勤していたため、この頃は毎日絵を描いていた。
サークルではなんとか平静を装っていたが、毎日が屈辱だった。
絵や漫画を描くのはとても楽しいのに、部を介した発表の場は、必ず何かしらの侮辱を受けるため、苦痛で仕方なかった。
しかし私は自分の人間としての基礎能力の低さから、「自分は下らない人間だが、せめて一度始めたことは最後までやり遂げたい」という妄執のようなものを抱いており、漫研における全ての行事に創作者として作品発表することを譲らなかった。
精一杯描いた32ページのストーリー漫画を上梓した時、同じ漫研部員につまらなそうにぱらぱらとめくられながら、
「こんなもの描くなんて、君は漫研の癌だね」
と言われた時の気持ちは、思い出したくもない(もちろん内容は下卑たものではなく、まっとうな家族ものである)。
そんな私を慰めてくれたのは、ネット上での交流だった。
私よりもずっと優れた描き手の皆さんが、いつも優しく、時に厳しく、私の絵に批評を加えてくれた。
頑張れば褒めてくれたし、拙い出来でも努力の跡は認めてくれた。
もしかしたら、ご自分たちがかつて私のように下手だった頃のことを、思い浮かべてくれていたのかもしれない。
私はネット上での出会いには本当に恵まれていた。
イベントで、何人もの同人作家さんたちとお会いするのは本当に楽しかった。
その中にもちろん、Sさんもいた。
私は漫研でのことをいちいちSさんに報告するようなことはしなかったが、彼女はいつも何かを察して、それとなく励ましてくれた。
どんなに嫌な思いをしても、苦労して描いた作品を、彼女は必ず見てくれる。
私の絵と向き合ってくれる。
それがどれほど励みになったことか分からない。
彼女にもいろいろ生活の変化は会ったことと思うが、いつも変わりなく、そしてやはりちょっと変な人ではありつつ、私に接してくれた。
彼女が与えてくれた安定がなければ、私はきっともっとひねくれたり、他者に対して悪意的な人間になっていたと思う。
心が闇に浸食され、人間不信になりかけても、「でも、Sさんみたいな人はいるしな」と思えば耐えられた。
しかし私はある日、そのSさんといさかいを起こしてしまった。




