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あの夏 編 莫迦者の話

 二ヶ所。

 三ヶ所。

 いない。


 まさか、という思いが頭をもたげる。

 考えたくはなかったし、そんなことはありえないはずの、ある可能性。


 五ヶ所。

 七ヶ所。

 いない。


 心当たりも尽きる、十ヶ所目に着く頃には、私は泣きだしそうな心の中で悟っていた。

 Sさんは、どのサークルにも顔を出していなかった。

 私のスペースにしか、来なかったのだ。


 彼女の居住地は名古屋である。

 ここは東京の、ビッグサイト。

 おまけにカタログを買わねば入場できない。


 もともと彼女は、コミティアに参加するサークルに知り合いは多くても、自分で参加したことは私の知る限り一度もなかった。 

 私に会いに来てくれたのだ。

 はるばる名古屋から。

 欲しい本もなく。

 他の知己と語らうでもなく。

 ただ私に会うために。


 彼女も感じていたのだ。

 私たちの関係の、悲しい変化を。

 それを正し、元に戻るために、来てくれた。

 それなのに私は、のんきに買い物に行っていたのである。

 悔やんでも悔やみきれない。

 なぜあの時、スペースにいなかったのか。

 そうでなくても、なぜもう少し早く戻らなかったのか。


 私はSさんの携帯電話の番号を知らない。

 とうとう、会場である東館を出た。

 昼時ということもあり、ビッグサイトのレストランスペースを外から見る。

 いない。

 

 ビッグサイトを出る。

 ここからのアクセスはふたつ。ゆりかもめかりんかい線だ。

 私はゆりかもめの駅に向かった。

 どういう処理をしたかは覚えていないが、入場券か何かで構内に入れてもらったのだと思う。

 ホームを探し回った。

 いない。


 りんかい線の駅へ向かった。

 同じように探す。

 いない。


 どんな人ごみの中でも、私は彼女がいさえすれば、発見する自信があった。

 見つからないとなれば、絶対にいない。


 駅を出た。

 もう、恥も外聞もなかった。

 私は彼女の名前を――悪いなとは思ったのだが、背に腹は代えられず――叫んで走った。

 ゆりかもめ、りんかい線、ビッグサイト。

 この間を何度も何度も往復した。


 夏場に、汗まみれで、誰かの名前を呼びながら走り回る異様な男が、周囲からどう見られていたかはあまり考えたくないけども。 


 途中、雨が降ってきた。

 しかし、真水に濡れるごときのことで、この千載一遇のチャンスを棒に振るわけにはいかない。

 私は走り続けた。

 半泣きだった。

 むしろ全泣きだった。

 そして。


 とうとう、Sさんとは会えないまま、とぼとぼと自分のスペースに戻った。

 まだ、SNSなどろくに使われていない時代の話である。


 Sさんとは、この時も、それから先も、会っていない。

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