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これはあなたに贈る物語  作者: ノアキ光


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8/11

工事中につき


わたしの仕事は、頭を下げることだ。


朝八時から夕方五時まで、何度も何度も。

足もとの看板には「工事中 ご迷惑をおかけします」とある。

通り過ぎる車の運転手は、誰もわたしを見ない。それでいい。この仕事は、見られないことを前提に成り立っている。


道の向かいに、古い二階家がある。

ある朝、その二階のカーテンが少しだけ開いて、白髪の老婦人が顔を出した。彼女はわたしを見て、小さく会釈をした。


驚いた、と言うべきだろう。

わたしに頭を下げ返す者など、これまで一人もいなかったのだから。


翌朝も、その次の朝も、彼女は同じ時刻に窓辺に立った。

お互いの、静かな挨拶。


念のために言っておくと、わたしは人間ではない。

腹に電池を抱えた、工事用のおじぎ人形だ。現場の作業員たちは「ヤマさん」と呼ぶ。

それでも彼女が窓辺に立つ朝は、胸のモーターの音がほんの少し軽い。気のせいだろう。人形に気などあるはずがない。


「ばあちゃん、そいつ、電池で動いてるだけですよ」

見かねた現場監督がそう言った日があった。

「知ってますよ」

彼女は笑って、毛糸のマフラーをわたしの首に巻いた。

知ったうえで、毎朝、頭を下げていたのだ。


それから彼女は、窓から手を振るようになった。

ときには作業員たちにみかんを配った。ヘルメットの男たちは照れくさそうに受け取り、わたしの足もとにも、ひとつ置いていった。


九十日目、雨の朝。

彼女は傘をさして道を渡ってきて、その半分をわたしにかざした。

「うちの人もね、あなたと同じ仕事をしてたの」

定年後、七十歳まで交通誘導員をしていたという。

「帰ってくるたびに言うのよ。『誰も見ちゃいないよ』って、笑いながら。膝を悪くしても立ち続けてね。私は『そう』としか返さなかった。お疲れさまのひと言も。頭を下げて稼いでくるのが、当たり前だと思ってたの」

雨粒がヘルメットを叩いた。

「亡くなって三年。ずっと考えてたの。たった一回でいいから、誰かが返してあげていたらって」

彼女はわたしを見上げた。

「だから、これはあの人の分。勝手でごめんなさいね」


謝ることなど何もない。

毎日の中で、はじめて、返事がしたいと思った。

けれどわたしにできるのは、頭を下げることだけだった。だから、下げた。数秒ごとに、何度でも。


工事の最終日、電池が切れかけていた。

新しくなったアスファルトの上で、現場監督が彼女に頭を下げた。

「ご迷惑をおかけしました。工事、終わりです」

「いいえ、お疲れさまでした」

彼女は深く頭を下げた。


それから彼女は、わたしの前に立った。

いちばん良い外出着で、背筋を伸ばし、ゆっくりと、深く、腰を折った。

わたしも沈んだ。

そして、起き上がれなかった。電池が、そこで尽きたのだ。


彼女が顔を上げるまでの長い間、わたしは頭を下げたままでいた。

何万回と繰り返してきた中で、はじめて数秒で終わらなかった、誰かのための、本当のお辞儀だった。


「どうせ廃棄なんで」と頭をかきながら、監督はわたしをトラックに積み、彼女の家まで運んでくれた。


作業員たちが帰ると、玄関にはわたしと彼女だけが残った。

「あの人が帰ってきた日、私はいつも、テレビから顔も上げなかったの」

彼女は深く息を吸った。

「おかえりなさい。——お疲れさまでした」

三年分の声だった。

あたたかい手が、わたしのヘルメットにそっと置かれる。


もう、起き上がらなくていい。

深く頭を下げたまま、わたしは思った。


――ただいま。


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