↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
これはあなたに贈る物語  作者: ノアキ光


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/6

引き分けの夏


八月最後の日曜日。

母が亡くなって三度目の夏の終わりを、僕は今年も実家のベランダで迎えた。


毎年この夜、父は線香花火を二本だけやる。百均のバケツに水を張り、小さな植木鉢に砂を詰めて、一本をそこに挿す。

もう一本は、自分の指先に。


鉢の分は、母の分だ。

そう思うと、いつも何も言えなくなる。


「せーの」


父の声で、二つの火がぱちんと点いた。

橙色の玉がふくらみ、松葉のような火花が散る。床に、揺れる影がふたつ。


先に落ちたのは、鉢の火だった。ほとんど間を置かず、父の火玉もぽとりと落ちる。


「……引き分けだな」

「また? 去年も一昨年も、そう言ってたよね」


父の肩が、ほんの少し跳ねた。


「たまたまだ」

「三年連続で? 僕、見てたよ。母さんの火が落ちたあと、父さん、指をちょんって揺らした」


父はしばらく黙っていた。遠くで、鳴き遅れた蝉がジジ、と途切れる。


やがて観念したように、父は携帯を差し出した。

家族で使っていた共有メモ。

タイトルは「花火 勝敗」。


 結婚した年 △

 二年目   △

 三年目   △

 ……


二十六年分、すべて△だった。


「本気でやって、二十六回も引き分けるわけないだろ」父は鼻を鳴らした。「ズルだよ。俺が毎年、あいつの火を見て合わせてた」

「なんで」

「勝っても負けても、あいつすぐ『片付けよっか』って立つんだ。引き分けなら『もう一本』って言える。そうやって、袋が空になるまでやった」


父は咳払いをして、鉢に目をやった。


「一人だと、二本で足りるんだよ。再戦する相手がいないからな」


僕は画面を下にスクロールした。

表の下に空白が続いて、先にまだ続きがあった。

父は毎年、最後の行に△を足すだけで、その先を見たことがなかったらしい。


〈追記。あの人、毎年私の火を見てから落としてます。バレバレ。かわいいので、気づかないふりをしています。

でも本当は、私もあの人の火が弱るのを見て、合わせてました。

先に終わるのも、最後に残るのも、さみしいから。二人分のズルがぴったり重なって、毎年引き分け。内緒ね〉


読み終えても、父は画面から目を離さなかった。


「……嘘が下手なくせに」


かすれた声だった。

それから肩を震わせて、笑ったのか泣いたのか分からない息を吐いた。


「二十六年、二人して、何やってたんだ」


夜風がバケツの水面を揺らす。

僕は袋から、新しい線香花火を三本抜いた。


「ねえ、今年はズルなしでやろうよ。僕も入る」

「やめとけ」父は首を振った。「決着がついたら、終わっちまう」

「終わらないよ。負けた方は、来年取り返したくなるでしょ。再戦するんだよ。母さんがそうしてたみたいに」


父は長いこと僕の顔を見ていた。

それから黙って、鉢の前にしゃがんだ。


「……せーの」


三つの火が灯る。今度は誰も、誰にも合わせなかった。


最初に父のが落ちた。次に、僕の。


最後まで粘ったのは、鉢の火だった。小さく、小さくなって、それでも最後にひとつ大きく弾けてから、静かに闇へ落ちた。


結婚して二十九年目の夏にして、初めての決着だった。


「……勝ち逃げか、あいつ」


父は顔をくしゃくしゃにして笑った。


「来年、取り返す。袋、でかいの買っとけ」

「了解。審判は僕ね」


昼の熱を、夜風がゆっくり連れていく。


夏の終わりは、生まれて初めて、次の勝負までの待ち時間になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。