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これはあなたに贈る物語  作者: ノアキ光


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2/8

一日警察署長


一日署長の仕事は、パトカーの助手席で手を振ることだと聞いていた。


ところが朝九時、岩村署長は私に制帽をかぶせ、窓口の椅子を引いた。

「では、受付をお願いします」

「え、式典は」

「十分で終わりました」


こうして元・地方アイドル(解散済み)の私は、普通に仕事をすることになった。


最初の客は八十代のおばあさんだった。

「自転車を、盗まれまして」

私は震える手で被害届を出し、車種と色を聞いた。

書き終える前に、若い署員が駆け込んでくる。

「ありました! 駐輪場です!」

「あらまあ、よかった」

おばあさんは満足そうに座り直し、出されたお茶を飲み干して、なぜか一時間居座った。


次は小学生の男の子だった。

「おとしものです」

差し出されたボールには、油性ペンで『ゆうた』とある。拾得者の欄にも『ゆうた』と書いて、男の子は胸を張った。

「……ゆうた君が拾ったの、ゆうた君のボール?」

署員が咳払いをした。

男の子は「ちがう」と言った。


午後には行列ができた。

道に迷ったという人は、署の目の前で迷っていた。

財布をなくしたという人の財布は、決まって鞄の一番上にあった。

それでも私は全部を書類にした。

丁寧に、正式に、一件も雑にしなかった。

握手会で十年、一人数十秒の話を最後まで聞いてきた女だ。聞くことだけは得意なのだ。


そして誰もが帰り際、私にではなく建物に向かって、そっと一礼した。


16時50分、人が途絶えた。署員たちが、妙に静かに私を見ている。

「今日は忙しい署ですね。いつもこうなんですか」

署長は笑った。

「いつもは日に三人です。去年の冬は、ゼロの日もありました」

「ゼロ?」

「この署は、明日の朝、閉まります」


ペンを持つ手が止まった。

「町の皆さんが言うんです。最後に来たい。でも用がない。交番なんて、困った時にしか行けない場所ですから」

署長は窓口の向こうを見た。

「だから、みんな困ってくれました。四十七人」


自転車も、ボールも、迷子も。全部。


「どうして私に」

「本物の署長だと、皆さん遠慮して嘘が下手になる。でもあなたは、全員の困りごとを本気で聞いてくれた。だから、本物の困りごとになったんです」


私は机の上の書類の山を見た。嘘から生まれた、四十七枚の正式な書類。

「これ、全部受理します」

「え?」

「この町の記録に残ります。一件も、嘘にはしません」


署長はしばらく黙っていた。

それから引き出しから、分厚い日誌を出した。

「三十八年、毎晩ここに『異常なし』と書いてきました。最後の夜に書くのが、怖かったんです」

ペンを渡される。

「最後の日誌は、署長が書くものです」


私は少し考えて、書いた。


『本日、相談四十七件。全件、解決』


そして、三十八年続いたいつもの一行を足した。


『異常なし』


署長は読んで、ふっと笑った。

「一日署長なのに、一番署長だ」


窓の外では夕日の中、昼間のおばあさんが自転車を押したまま、まだ建物に頭を下げていた。


私は窓越しに、制帽のつばへ手をあてた。


四十七人分の、答礼だった。

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