子供喰らいのブギーマン
扉の先は何もない部屋だった。
一辺50メートル程の四角い空間。爛々と輝く電灯が照らすのは壁と床だ。下水が流れている事もない。
そんな場所に二人はいた。
正座した男の膝を枕にしてスズが横たわっている。
「ッ!」
「ストップ」
楓が前に出ようとする俺の襟首を掴んだ。
こんな時に何を! ……いや冷静になれ。今は楓を信じて従おう。
「落ち着きなよ。遠目で分かりにくいけど胸はちゃんと動いている。まだスズちゃんは生きているんだ。……そうですよね?」
「ああ。プレイヤーが来るかもしれなかったからね、スズには眠って貰ったんだ。もっともあの光は君達の仕業だったわけだが。私を追いかけて来たんだろう?」
男は小さく笑いながら言った。その目には遊園地で見た狂気は映っていない。男は愛おしそうにスズの髪を撫でている。
……どういう事だ? 意味が分からない。
楓は口元を手で隠し、じっと男の様子を見つめている。
「……大丈夫だ。今ブギーマンは眠っているから君達に危害は加えない」
「は?」
「……なるほど」
楓は何かに納得した様だが俺にはさっぱり分からない。
彼女は一瞬だけ俺と視線を合わせ、再び男を注視しながら言った。
「解離性同一症。……俗に言う多重人格だよ」
「……いやありえないだろ? そう都合良く多重人格がいてたまるか」
「普通ならそうだね。ただこのゲームにおいては話が別さ」
楓が男に近付く。それに気づいた男が撫でる手を止め、ゆっくりとスズを床におろした。そして男は下がり、楓がスズの膝枕を引き継いだ。
「このアプリはデスゲームだ。だがそれにも適正と言うものがある。命を奪うストレス、奪われるストレス。そういった事に耐えられないプレイヤーはね、稀に自分をモンスターだと思い込む様になるのさ。そうやって命の取り合いを正当化するんだ。……まあ、多重人格にまでなるケースは初めて見るけど」
……命のやり取りへのストレス。理解は出来るが正直ピンとこない。
そもそもそんな理由で家族を危険に晒しているのが、俺にとっては埒外だ。
いや、危険に晒すどころではない。恐らくこいつはスズを殺す気だった。ストレスだの多重人格だのは何の免罪符にもならない。
俺は楓達の前に出る。戦いの可能性が消えた訳では全くないからな。
「そしてブギーマンね。子供喰らいのブギーマン。私のクランでも討伐指示が出ている有名人だ」
「子供喰らいだと……?」
「ああ、子供ばかり狙って殺すレッドだよ。最近鳴りを顰めていたと思ったらやり口を変えてたんだね」
楓の声は凪のように落ち着いていて何も変わらない。
しかしその瞳は潤んでいた。犠牲になった子の無念を想っているのだろうか。
分からない感覚だ。ただ俺の胸はこの男を屠りたい気持ちで一杯なんだ。
「……そこの彼女の言う通りだ。私は殺し合いの恐怖に負けた。いつからか私自身がブギーマンとなっていたんだよ。……ブギーマンが目を覚ますと私の意識は弾き出されるんだ。そしてこの体は彼の操る人形へと変わり、私の精神はその劇を眺める観客になる。……もう6人も殺したよ。さっきだって妻や娘をこの手にかけるところだった!」
遊園地の騒ぎはやはりこいつか。被害者はスズの母親ね。こいつの話が正しいなら死んではいないか。楽観は出来ないが。
「ブギーマンは子供喰らいの亡霊だ。そんな皮を被ってまでゲームを続けたいと、望みを叶えたいと。……そう思っていたのかい?」
男は自嘲する様な表情でかぶりを振った。
「自殺するのにも才能がいるのさ。……だからここで君達を待っていたんだァ」
こいつの事情など俺は知らない。興味ない。しかしそう言えば……俺はこいつの名前すら知らないのだとここに来て気づいた。
だがこの男を表す言葉はブギーマンでしかない。それで良い。
男が胡座をかくように座った。そして両手で後頭部を抱え、首を差し出す様に項垂れる。
まるで介錯を待つ咎人の様だ。そしてそれは間違っちゃいない。
「ポイントならギリギリある。今ならオリジンにならないから安心してくれ。…………出来れば赤毛の君がいいな。この先生はとても優しそうだから」
初めてこの男と目が合った。いや、二度目か。
男に向かい歩き出すと楓が焦った様に声を出した。人差し指を唇に当てて制止する。スズが起きたら面倒だからな。
男との距離は5メートル程。そこで立ち止まり右腕を掲げる。
「……もう少し近寄ってくれないか? こう見えてとても怖いんだ。出来れば痛みを感じずに行きたい」
「外すのが心配か? 安心しろ。この距離が一番狙いやすい。……何か言い残す事はあるか?」
男が涙目で笑い、再び項垂れた。歪な顔だ。泣いているのか笑っているのかはっきりしろ。
「なら娘に……鈴蘭に伝えてくれ。パパはお前をあいっ……ひっく……すまない、震えて上手く喋れないんだ」
「……ゆっくりでいいよ。必ず伝えよう」
楓の声は柔らかい。きっと振り向けば遣る瀬無い表情をした彼女が見える事だろう。
だが俺は我慢の限界だ。苛立つ気持ちを抑えて終の言葉を待つ。
男はゆっくりと深呼吸をし、震えを止める。その後思い切り顔を上げた。
「鈴蘭に伝えてくれ。パパはお前を————アイテムロード! ばくッ」
「カース・ライトニング」
——バチッ!
虚空から出現した雷が、俺に向けて突き出していた男の両腕を焼いた。
「ぎゃあああああああああああッ!」
「刃ッ!」
「……煩いな。こちとら下手くそな芝居を見せられて我慢の限界なんだ。これ以上俺を煩わせる事なく死ね」
取り繕うならちゃんとやれ。獣欲に歪んだ瞳が全く隠せていない。途中から入れ替わっていたのはバレバレだ。
茉莉花の雷は痛いだろう? 怯んだ隙に殺してやる。
俺は拳を強く握り、ブギーマンの頭に向けて振り下ろした。瞬間、
「——舐めるなぁ! カース・ライトニングゥ!」
「なっ!」
「嘘っ!?」
——バチッ!
先程と全く同じ雷が俺に向かって落ちてきた。雷は僅かに逸れて当たらない。
俺は後ろに大きく飛んで距離を取る。カース・ライトニングは目視での回避は難しい。予備動作を視界に映さなければ。
しかし——、
「本当に癪に障る奴だ。その姿はなんだ?」
「嘘だろ……バーバ・ヤーガだって?」
敵は大きな黒髪のおさげを揺らして不敵に微笑んでいる。
目の前の敵は茉莉花だ。その姿をしている。どうやら楓も茉莉花と面識があるらしいな。
「冴えない中年が美人になったな。どういう絡繰なんだ?」
「滑稽だなァ、その虚勢。……ブギーマンの力はお前が恐怖する者の姿と能力を得る事が出来る。つまりビビってるのはバレバレなんだァよ」
「……随分素直に喋るね。二対一なのを忘れてはいないかな?」
男は茉莉花の顔を下品に歪ませると、茉莉花の声で嘲る様に叫んだ。
「バーバ・ヤーガの力は素晴らしい! お前ら二人を殺す事なんてワケないんだよォ! さらにさらにィ————リペア」
ブギーマンの両腕が光り、火傷が修復されていく。
「これでポイントが無くなってしまったなァ! うっかり殺したらバーバ・ヤーガオリジンになってしまうかもォ? 困ってしまうなァ? 鈴蘭もいるのになァ?」
クズが。虫唾が走る。隣の楓さえも表情を歪めている。
こいつは悪党や殺人鬼なんかじゃない。ただのゴミだ。
「…………刃。スズちゃんは確保している。私達には逃走する選択肢もあるよ。バーバ・ヤーガの強さはよく分かっているよね?」
声も潜めずよく言う。楓はやる気だ。
ブギーマンを仕止めるチャンスは今だけだ。ここで逃走を許したら次の凶行は防げない。
それでも確認したのは俺への配慮か。本当に良い人だよお前は。
「バーバ・ヤーガの強さなら分かってるよ。だがブギーマンの強さは知らないね。個人的には負ける気は全然ない。性格がまず小物っぽいしな、態度も下品だ」
「このガキィ!」
「ふふっ」
楓が声を出して笑っている。そうしながらも、既にスズと自分を中心に防御結界を張っていた。本当に頼もしいよ。これなら周りを気にせず暴れられる。
しかし滑稽なのはどちらなのか?
茉莉花とバーバ・ヤーガオリジン。
どちらも倒したのは俺なんだけどな。




