スコルとハティと
試合開始の合図もスターターピストルの音も無い。
双子の1人がベンチから飛び上がる様に蹴りを繰り出してきた。
「ッ!」
必死で身を逸らし、なんとか避ける。
弧を描いた蹴りの作り出した強風が、俺の髪を巻き上げる。あり得ない速度だ!
後方に倒れる寸前に、手をつきながら地面を蹴る。後方に跳びながら姿勢を戻した。
「ハッ!」
掛け声とともに、飛び蹴りから着地した双子が拳を繰り出してくる。
受ける事は叶わぬ威力。避ける事も難しい。
ならぶっ飛ばしてやる。
「————プロトコル起動。ケルベロス」
溢れ出す力の奔流。
その爆発により双子が吹き飛ばされる、その寸前。
「ッ!」
シュッと何かを顔に吹き掛けられた。……これは香水?
「がッ!?」
ひどく臭い! なんだこれは!? 形容し難い悪臭だ! 周囲のにおいがまるで分からない!
「ネスト展開————プロトコル起動。スコル」
突如発生した暴風が砂を攫う。軽い目潰しに目を瞑った一瞬、グラウンドの様子は様変わりしていた。
「……皆既日食」
空は夕暮れのように赤みが差し、その頂点には漆黒に喰われた太陽が昇っていた。
奇襲を受けてプロトコルの起動を許してしまった。そしてネストも。
だがやはり、こいつのモンスターはスコルだった。
「ハティだっさー。生身相手に不意打ち避けられてる」
「うるさいなスコル……でも鼻は潰せた」
双子は不敵に笑っている。月と太陽の様な笑顔ではない。獰猛な狼の笑み。
北欧神話の狼。ハティとスコル。それが今回の敵か。
———ケルベロス、スコルのプロトコル起動を確認。現在、ネスト内のモンスターは3体です。
スマホからアナウンスが流れる。
やはりだ。ハティは最初からずっとプロトコルを起動していた。コイツの速度は普通の人間が出せるものでは無かった。
「……既にプロトコルを起動済みだったとは。贅沢な奴だ」
「敵になるかもしれないのに丸腰で会うわけない。私のハティは燃費が良いんだよね」
鼻の調子は戻らない。粘膜を刺激する様なツンとした感覚に眩暈がする。
参ったな。これでは咄嗟に2人の見分けがつかない。
「調子悪そうだね先輩。分かるよ、私達も獣系のモンスターだし。だから回復される前にやっちゃうね————アイテムロード、ダマスカスナックル」
ハティの声に合わせる様に彼女の腕に手甲が現れる。ドロップアイテムか。
これで見分けがつき易いと思ったら、スコルの方も同じ物を装着していた。そう甘くはないな。
ならば俺も使うとしよう。別にステゴロに拘るつもりは無いからな。
「アイテムロード、トロールの棍棒」
目の前の空間が歪み、俺の背丈ほどの棍棒が現れた。
ドシンと音を立て、そのまま地面に刺さった。
「ケルベロス——二ツ首解放。PPブースト」
身体能力のギアを一つ上げ、棍棒を片手で引き抜く。
昨夜トロールから頂戴したアイテムだ。頑丈さと威力は保証する。
さらには、このアイテムには一回こっきりの大技がある。切り時を間違わないようにしないとな。
「シッ!」
人数不利に後手後手では勝てるものも勝てない。今度はこちらの番だ。
俺は近場のハティに狙いを定め、棍棒を横に振り抜いた。
ハティは転がるように避け、そのまま曲げた脚を強く伸ばしアッパーカットを狙ってきた。猫みたいな関節をしているな。空いた片腕でそれを受ける。
良い拳だが、強化された俺の体には響かない。このまま組み伏せてやる。
「エクスヘイル・ザ・サン!」
「なっ!」
「ちょっ!」
特大の火炎放射がスコルの両腕から飛んできた。
慌てて飛び退く俺たち。ターゲットから外れた炎はグラウンドの端で壁に当たり霧散した。
見えない壁だ。これに阻まれ、スコルが解除するか死ぬまで俺はここから出る事は出来ない。
「私にも当たる所だったんだけど?」
「むしろそこは抱きついててよ。ハティはポイント余ってるんだし治せばいいじゃーん? 私と違ってコスパ良いんだしさー」
「……絶対後で引っ掻く」
軽く言い争っているが、いざとなれば使ってくるだろう。
しかし神話ではハティとスコルは双子で同格だ。それなのにコストに差があるのか? ……違和感。だがそう詳しく調べられたわけでもない。戦いに集中しよう。
スコルの能力は炎か。伝承でのスコルは太陽を喰らおうとしていた。皆既日食はその結果だと。
上空で輝くリングを見るに、太陽を喰らった後のスコルが奴のモンスターという事か。ならば月を喰らったハティの能力は何になるんだ?
「よっと」
棍棒を振り上げ、地面にあった石を打ち上げる。
狙いはスコルの顔面。単なる牽制だ。
「……っ!」
当たり前の様に避けるが、回避動作がギリギリの割に避け方が大袈裟だ。こっちは近接慣れしていないな。
「ケルベロス——三ツ首解放。PPブースト」
ならばこっちを先に潰す。恐らくポイントは向こうの方が多い。手札もな。ややこしくなる前に数を減らそう。
真っ直ぐ突っ込んで飛び上がり、スコルの顔面に棍棒を振り下ろす。
「ひっ……!」
「……させない」
ハティがスコルに急接近、彼女を蹴り飛ばして逃す。
姉妹思いだが良い手では無いな。
「…………ッ!!」
右腕で受けたが、代わりに骨は微塵に砕けた。
痛みに悲鳴を上げなかったのは賞賛に値するが、動きは止まったままだ。このまま仕留める。
「————プロトコル起動。猫又」
「は?」
左手でスマホを構えてハティは言った。
吹き荒れる暴風により俺の姿勢が崩れる。まずい!
ハティはその隙を見逃さず、俺の顎に頭突きをかましてきた。
金髪の頭が俺の顎を勢い良く跳ね上げる。
「がっ!」
誰だこいつは? 金髪のショートヘア。顔はよく見えない。双子ではない。ハティではなかった。猫又? では一体ハティは————。
———猫又のプロトコル起動を確認。現在、ネスト内のモンスターは4体です。
「エクスヘイル・ザ・ムーン」
「ゴホッ」
何かが後ろから俺の腹を貫いた。
振り返ると俺の影が杭のように変化し、身体に刺さっていた。そしてその更に後方にはもう一人の双子の姿。
やられた……。敵は二人ではなく三人だった。
猫又が双子に化けてやがった。しかもイリーガルを使ってプロトコルだと偽装していたのか。
最初の香水も……くそっ、間抜けだな俺は。
「……悪いね。騙し討ちみたいな真似しちゃってさ。でも先輩は茉莉花の仇だ。手を抜けば私達がやられる」
「先輩に恨みはないんだけどさー。茉莉花には借りがあってね、義理は果たしておきたいじゃん?」
最初から罠か……。あんだけ悪様に言った癖にお前等仲良かったのかよ。
猫又の女が近付いてくる。右腕に負傷はない。リペアを使ったのか。狡いな。俺にもポイントがあれば。
腹の傷が深い。せめて杖を……。
俺は棍棒を握り直し、そして
――Side 稲上蘭華――
「だいじょぶそうだよ」
「ありがとスグリ。……あっっっぶなっ!」
スグリが先輩の様子を確認し、肩の力を抜く。
さっきは本当に死ぬかと思った。予想以上にケルベロスはヤバかった。一歩間違えたら死んでたなー私。庇ってくれたスグリに感謝しなきゃね。蹴られた腰は痛いけど。
「あぶないのは私だよおお。何であんなの相手にプロトコル無しで近接しないといけなかったんだよおお。腕は激痛だし作戦が駄目だよ作戦があ!」
「完璧な作戦だった。完璧じゃないのはスグリの演技だけだね。なんなのあれ? 私はあんな馬鹿そうな顔してない」
スグリと蓮華がお馬鹿に言い争っている。
イリーガルはプロトコルに比べて能力が低い。すぐりの不満は分かるが必要な事だった。初心者だろうとレイドソロを成し遂げた人間を舐めたりはしない。
「こらー! 油断しない! 先輩にリペア使われたらおじゃんだよ。ちゃんと集中してよね」
「だってさああ……わかった。わかったから睨まないでよ蘭ちゃん」
「蘭香は心配し過ぎ。杭は刺したまま生かさず殺さず。死に辛いとこ狙っているけど動ける程じゃない……まあ黙る」
二人が静かになったのを確認して先輩に近寄る。
これで茉莉花への義理は終わり。
あとはステュクスの水を使った隷属契約だ。命を助ける代わりに彼にはポイント奴隷になって貰う。
先輩は両膝をつき、棍棒を握って何とか体を起こしている。目が虚だ。早くしないとまずいかも。
彼の前にステュクスの小瓶を突きつけて交渉に移る。
「ねえ先輩。痛いよね? 苦しいよね? もう選択肢消えちゃったね? この瓶の前で、私は稲上蘭華を害さない。私は稲上蘭華の命令に全て従う。……そう誓うだけで楽になれるよ。使い捨てにはしないし、良い思いもさせてあげる。……だからどうかな?」
「…………ろ」
先輩が何かを呟いたが聞き取れない。まあお腹を刺されてるしね。喋るのも難しいか。
「ゆっくりでいいよ。誓いが終わったら私達はもう仲間だ。リペアを使ってもいいし、ポイントがなければ貸してあげる」
先輩はじっとこちらを見ている。目は虚のままだが、どこか必死な様子だ。なんだ? 何を……
「……早く逃げろ」
——————致死ダメージが検出されました。ポイントの全消失を確認しました。Game Over!
「ッ!」
咄嗟に後ろに飛び退く。ポイント全消失……ヤバい!
先輩の身体から黒い炎があがる。全身を燃やし、両手を地面につくように倒れる。四つ脚の獣のような姿勢で。
「なんでえ!? この人昨日ダンジョンクリアしたんでしょ!? ポイントが払えないわけない!」
「……初心者だから。きっとこの馬鹿は無駄にポイントを使ったんだよ」
「そんな事どうでもいい! くるよッ!」
黒炎が大きく燃えた瞬間。巨大な何かが産まれた。
黒い魔犬。その強靭な体躯には首が三つ。
「グルゥゥゥオーーーーン!!」
————レイドバトル発生! プレイヤーの消滅によりオリジンモンスター、ケルベロスが出現しました。
「逃げッ」
その言葉より先に、ケルベロスがスグリを前脚で叩き潰した。
————猫又のプロトコルが解除されました。現在、ネスト内のモンスターは3体です。
「スグリ!」
レイド相手に隙を見せるなんてアホなの!?
思わずスグリに向かって走りそうになる。だが駄目だ。
スグリはまだ生きているかもしれないが、そんな余裕はない。
プレイヤーの段階でもあの力だ。オリジン化したらどこまでか分からない。私達の手には負えない。
「蘭華! ネストを解除して逃げよう! この化け物にネストを上書きされたら終わりだ!」
蓮華の言う通りだ。逃げるなら今しかない!
「蓮華ッ……わかった!————ネスト解除」
よし! オリジンモンスターは産まれた場所に縛られる。
あいつがネストを張る前に小学校を出れば追いかけてこない。このまま蓮華と一緒に逃げ————
「……助かったよ。ネストを解除してくれて。リペア分のポイントがなくてね、どう治そうか困ってたんだ」
「は?」
声に振り返るとケルベロスの姿は何処にも無かった。
代わりに立っていたのは、棍棒を肩に担いだ無傷の先輩。
足元にはスグリが倒れている。
————固有能力【幻影呪術】の使用を確認。耐久値が限界を超過しました。《トロールの棍棒》が消滅します。
「ああ、お疲れ様。もう十分だ。やはり俺のビジュアルに棍棒は似合わないな」
幻影呪術!?……やられた! オリジンモンスターなど発生してはいなかった。私達は幻覚を見せられていたんだ!
ネスト解除による肉体の修復。それが先輩の狙いだったのか。
しかもその隙を突かれてスグリまで倒されている。
私達は前衛無しで、回復したこの男と戦わなければいけない。
「選択肢がなくなってしまったな。————さあ、どうする?」
どうするもこうするもない。
私はポケットから小瓶を取り出して胸に当てる。
「……蘭華」
「無理。もう勝てない」
十分義理は果たした。スグリの状態も気になる。私達が命を張る理由はもうない。この後どうなるかは分からないが、今死ぬよりはマシだろう。
「私達の負けだよ……。稲上蘭華は斑目刃と敵対しない事を誓う」
「…………そうか」
それを聞いた先輩はつまらなそうな顔で頭を掻いた。




