第八話:町の噂話
それは、ルークが7歳の誕生日を迎えた日のことだった。
診療所の居間で、セオドア、ソフィア、そしてアンナに囲まれ、ルークは温かい夕食が並んだ食卓を囲んでいた。
前世で病室のベッドの上で迎えた誕生日。今、健康な体で、美味しいごちそうをお腹いっぱい食べられる幸せに、ルークの胸は満たされていた。
そんな団欒の最中、アンナがふと思い出したように、窓の外に見えるあの高い塔を見つめて言った。
「そういえば……町で一番高く見えるあの塔の窓際に、毎夜、少女の幽霊が悲しい目をして外を見ているって噂、知ってますか?」
「えっ、幽霊?!」
「ええ。身分の高い父親に疎まれてあの高い塔に幽閉され、短い生涯を終えてしまった少女の霊が、毎夜塔の窓から町を見下ろしているのだそうです」
アンナは少し声を潜め、ルークに語りかける。
「でも、何か悪さをするわけじゃなくて、私たち町の人々を見守ってくれているんですって。ある時は町の放火犯を気絶させたり、ある時は森に誘われて遭難してしまった子供を連れ戻したり、スリやちょっとした困りごとを助けてくれるらしいんですよ」
「塔に囚われている幽霊なのに、森から子供を連れ戻すの?」
「ふふっ、矛盾してますよね。きっと噂話に尾ひれがついたんでしょうけど……その幽霊、八歳の誕生日を迎える前に亡くなったそうで、なんとルーク坊ちゃまと誕生日も一緒らしいんです。なんだか親近感が湧いてしまって」
その言葉に、セオドアとソフィアはそっと視線を交わした。
二人は、あの塔に幽閉されているのが王家の第一王女であるという『真実』に勘付いていたが、あえてそこには言及しなかった。辺境の町で平和に暮らすためには、知らないふりをしておくのが一番だからだ。
しかし、その悲しい幽霊の噂話は、ルークの心に深く刺さった。
◇◇◇
翌日。
町の子供たちと広場で遊んでいると、その噂話が話題に上った。
「なあ、今夜あの塔へ肝試しに行こうぜ!」
「壁に囲まれた建物の中には入れないけど、近くまで行けば塔の窓辺が見えるかもしれないだろ? 俺、親父の双眼鏡を持ってくるから、幽霊の正体を暴いてやろうぜ!」
盛り上がる少年たちに、ルークは少し眉を下げて言った。
「町を見守ってくれている幽霊を、面白半分で見に行くのは可哀想だよ」
「えー? でもさ、もし幽霊なんていないって判明した方が、みんな怖がらなくて済むし、町のみんなも安心するぜ?」
「……なるほど。確かに一理あるね!」
純粋に育ちすぎたルークは、少年の言葉に素直に納得してしまった。
そして、その日の夜。
「パパ、ママ。みんなと集まりがあるから行ってくるね」
「気をつけるのよ。あまり遅くならないようにね」
ソフィアに笑顔で見送られ、ルークは家を飛び出した。
◇◇◇
町外れにある、塔が一番よく見える小高い丘。
子供たちと一緒にたどり着いたルークは、静かにそびえ立つ塔を見上げた。幽霊が住んでいそうなおどろおどろしい雰囲気は全くなく、むしろなぜか、そこだけ空気が澄んでいるような妙な安心感があった。
「何も起こらないねー」
「やっぱりただの噂話かよ」
辺りが暗くなり、子供たちが退屈そうに話し始めた、その時だった。
皆で見上げていた塔の一番高い窓辺に、白い人影が浮かび上がった。
「で、出たああああっ!!」
「本物の幽霊だっ!!」
わーわーとパニックになって騒ぎ出す子供たち。
その騒ぎを聞きつけたのか、鎧を着た城の護衛が「誰か居るのか!」と怒鳴りながら駆けつけてきた。
「やばい、見つかる! 解散!解散! 各自散開しろ!!」
子供たちは蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げ出していく。
ルークは一瞬どうするか迷ったが、ポンッと軽く足に力を入れ、すぐそばにあった巨大な木へと音もなく跳び移った。
「む? 気のせいか……?」
木の下までやってきた護衛が、首を傾げながらキョロキョロと周囲を見回している。
(驚かせてごめんなさい……)
ルークは心の中で護衛に謝りながら、木の天辺へと登り、葉の隙間から、再び塔の窓辺へと視線を向けた。
もともとルークは目が良く、遠くの方まで見ることができたが、さすがに夜の闇の中で、塔の一番上にある窓辺をはっきりと視認することはできなかった。暗闇の中に、ただ白いシルエットがぼんやりと浮かんでいるだけだ。
しかし。
それでもルークがじーーーっと窓辺の人影を見つめていると、不意に、奇妙な感覚に囚われた。
(……え?)
なぜか、遠くにあるはずの窓辺が、ぐんと自分の方へ近づいてくるような感覚。
不思議に思いながらも、ルークはさらに集中してじっと見つめ続けた。すると、再び窓辺が迫ってくる。
いや、違う。まるで望遠鏡を覗き込んだような、あるいはデジカメのズーム機能で遠くを拡大したかのような――そんな魔法のような現象が起きているのだ。
ルーク自身は気付いていなかったが、「もっとよく見たい」という彼の強い意志に呼応して、体内に眠る魔力が無意識のうちに両目へと集中し、高位の『遠視』の魔法を発動させてしまったのだ。
先ほどまで全く見えなかった窓辺の光景が、ルークの網膜にくっきりと映し出された。
そこにいたのは、恐ろしい幽霊などではなかった。
眩い光を透かすような、美しいプラチナブロンドの髪。
まるで職人が丹精込めて作り上げたガラス細工の人形のように整った顔立ち。
そして、その白い頬を伝う一筋の涙と、ひどく悲しそうで寂しげな、澄んだ青い瞳。
それは、間違いなくルークと同じ年頃の、生きた少女の姿だった。
幽霊じゃない。あんなに綺麗で、悲しそうな顔をした女の子が、あんな冷たい場所に一人で閉じ込められているのだ。
ルークが息を呑み、その儚い横顔に釘付けになっていた、その時だった。
不意に、窓辺の少女が顔を上げた。
彼女の青い瞳が、暗闇を真っ直ぐに見透かすように、ルークが潜んでいる木の天辺へと向けられる。
ルークの『遠視』と、アイリスの『千里眼』。
決して肉眼では届くはずのない遠く離れた夜の闇の中で――二人の視線が、確かに交ち合った。
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