最終話:英雄王
闘技場から王城へと無理やり引きずられてきた僕は、豪華な客室のふかふかなソファの上で、ようやく現状を理解し始めていた。
正直なところ、あの熱狂の中でアイリス様が叫んでいた『二代目英雄王』という呼び名が意味するものを、これっぽっちも分かっていなかったのだ。
しかし、急遽お城に呼び出された両親――父セオドアと母ソフィアから詳しい説明を受け、僕は自分がどれほどとんでもない立場に置かれてしまったのかを悟った。
「とはいえ、お前はまだ十四歳だ。この国で成人と認められるのは十六歳。二代目英雄王の襲名と、アイリス陛下との正式な婚約発表は、お前が成人を迎えてからという形に落ち着いたよ」
父さんは紅茶のカップを置きながら、ふぅと深い溜息をついた。
その表情には、英雄王の親になったという歓喜よりも、深い憂いのようなものが滲んでいる。
「……ルーク。父さんはな、内心ではお前が貴族になること、ましてやこの国の王配や英雄王になることには賛成できなかったんだ」
「……うん」
父さんは、かつて高位の貴族だった。しかし、自らその位を捨て、辺境の平民として生きる道を選んだのだ。
「お前が赤ん坊の頃……お前には魔力がまったく無かった。魔力至上主義だった当時の国王は、無力な赤子であるお前を『貴族の恥』として殺すよう命じたんだ。……私はそれに異を唱え、貴族の地位を捨てた」
「……知ってるよ、父さん。全部、鮮明に覚えてるんだ」
僕が静かにそう答えると、父さんと母さんは目を丸くして驚いた。
無理もない。普通の赤ん坊がそんな昔のことを覚えているはずがないのだ。
でも、前世の記憶を持ったまま転生した僕には、生まれた直後からすでに小学校の高学年くらいの自我と精神が宿っていた。
だから、はっきりと覚えている。
僕を出来損ないと見下し、虫ケラのように命を奪おうとした前国王の、あの冷酷な言葉と視線を。
そして、王命に逆らえば自分たちの命すら危うい状況だったにもかかわらず、僕を力強く抱きしめ、すべてを投げ打って僕を守ってくれた両親の、あの震える腕の温もりを。
「赤ん坊の時から、僕は二人がどれだけのものを犠牲にして僕を守ってくれたのか、ずっと分かってた。……言葉は話せなくても、二人の深い愛情は痛いほど伝わってたんだよ」
僕が言葉を紡ぐと、母さんが両手で口元を覆い、父さんは目頭を押さえるように天井を仰いだ。
「だからこそ、心から感謝してる。僕の命は、二人がすべてを捨てて守ってくれたものだから」
「……馬鹿を言うな。犠牲になんてしていないさ」
父さんは少しだけ鼻をすすると、優しく、誇り高き父親の顔で微笑んだ。
「位を失い、平民に落ちたことで、私たちは家族として強く団結できた。お前やソフィアと触れ合う時間が増え、貴族だった頃よりもずっと幸せな人生だったと胸を張って言えるんだ」
「父さん……」
「国王の伴侶ともなれば、どろどろとした醜い権力争いや、国同士のしがらみに巻き込まれることになる。そんな世界にお前が飛び込んでいくことが、本当に愛しい我が子の幸せなのかと……ずっと考えていた。
だが……お前が己の意志でその道を望み、歩んでいくと決めたのなら。私たちはお前の背中を押し、全力で協力する。お前は私たちの、自慢の息子だからな」
温かく、力強い父さんの言葉。
すると、涙ぐんでいた母さんが、部屋の隅でそわそわと控えていたアイリス様に向かって、ニヤリと悪戯っぽい笑みを向けた。
「まあ、でもアイリスちゃんも上手いことやったわよねぇ。あの手この手で外堀を埋めて、うちの息子を逃がさないようにするんだから。ふふっ、私のアドバイス通りだったでしょ?」
「えっ? ソ、ソフィアお義母様、それは内緒の約束では……っ!」
「あらあら、お義母様だなんて……うふふ」
顔を真っ赤にして慌てるアイリス様。どうやら、母さんとアイリス様はずっと裏で結託していたらしい。
相変わらず天然な母さんと、どこか暴走気味な女王陛下のやり取りに、僕は思わず吹き出してしまった。
僕はソファから立ち上がり、部屋の隅でモジモジしているアイリス様へと向き直った。
「僕がこの学園に入学したのは、強くなりたかったからです。……幼い頃、暗い塔の中で出会った、たった一人の女の子を守れる騎士になりたかったから」
僕の言葉に、アイリス様の肩がビクッと跳ねる。
「アイリス様。初めてお会いした時、僕は恋に落ちました。それが僕の初恋で……学園に入って、Fクラスのみんなと色んな思い出ができたけど、その気持ちは今でもまったく変わっていません」
「ル、ルーク様……」
「いまでも僕は、変わらずアイリス様に恋をしています」
少し気恥ずかしかったが、僕は誤魔化すことなく、まっすぐに想いを伝えた。
「最近のアイリス様は、僕のことになるとちょっと暴走気味な気もするけど……僕がずっと側で監視……もとい、協力して、この国に暮らすみんなが平民も貴族も関係なく幸せに笑い合える国になるよう、全力で頑張るよ」
そして再び両親に向き直り、「これからも、よろしくお願いします」と深く頭を下げた。
その瞬間。
「るぅぅぅぅぅく様ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
顔を茹でダコのように真っ赤にしたアイリス様が、感極まった悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
「良かったわねぇ、アイリスちゃん! 良かったねぇっ!」
「お、お義母様ぁぁぁぁっ! わたし、わたし、幸せですぅぅぅ!」
「よしよし、もう泣かないの!」
母さんも号泣しながらアイリス様を抱きしめ、二人して床でボロボロと嬉し泣きを始めるという、なんとも収拾のつかない状況。
父さんはやれやれと肩を竦め、僕と顔を見合わせて静かに笑い合った。
◇◇◇
それから数週間後のこと。
「……申し訳ありません、ルーク様。よろしいでしょうか?」
王城の裏手にある近衛騎士団の専用訓練場。
アイリスはひどく憮然とした様子で、僕の横に並んで立っていた。
「国の軍事を担う将軍をはじめ、ルーク様の真の力をご存じない不埒な者たちが、未だに『二代目英雄王』の力に疑いを持っているようなのです。……一度、彼らの前で立ち会っていただけますか?」
「そりゃそうだよ」
僕は苦笑しながらアイリスに話し始めた。
「突然『英雄王の生まれ変わりだ!』なんて言われて、ホイホイ信じる武人なんていないさ。」
僕が訓練場の中央へ進み出ると、そこには分厚い鎧を着込み、巨大な大盾を構えた屈強な大男が待ち構えていた。
周囲には、僕の力を知る宮廷魔術師たちや将軍の配下、そして大勢の貴族たちがギャラリーとして詰めかけており、もちろん両親とアイリス様も特等席で見守っている。
「手合わせ感謝いたします、ルーク殿。……ですが、いくら木剣とはいえ、当たり所が悪ければ命に関わります。そのおつもりで」
「はい、心してかかります」
将軍は魔法全盛のこの国を象徴するような『魔法騎士』だった。
開始の合図が鳴った瞬間、将軍が振るう木剣から猛烈な炎が立ち上り、不可視の魔法の波動が嵐のように僕を襲う。
「ふんっ!」
将軍が連射してくる致死級の魔法の弾幕。
しかし僕は、最小限の足捌きでそれをヒラリとかわし、木剣の腹で魔法の軌道を逸らして無効化し、左腕のガントレットで炎を真っ向から将軍へと打ち返した。
「なっ……!?」
驚愕に目を見開きながらも、将軍は咄嗟に大盾を構えて炎の反射を受け止める。さすがは国の軍事を担う将軍、見事な反応速度だ。
「行きます!」
僕は将軍に声をかけた。
――ドンッ! と地面が爆ぜる音が鳴り、超加速で将軍に向かって駆けだした。
「?! どこへ……!?」
将軍が周囲を見渡そうとした時には、もうすでに、ルークは将軍の真正面に立ち、すでに木剣を『振り抜いた後』だった。
一瞬の静寂。
直後、ズタズタッ!! という異音と共に、将軍が構えていた鋼鉄の大盾と、炎を纏っていたはずの木剣が、みじん切りになって地面に崩れ落ちた。
僕は、手ぶらになって呆然と立ち尽くす将軍の首元に、スッと木剣の切っ先を突きつける。
「……これで、よろしいでしょうか?」
しんっ、と静まり返った訓練場に、やがて割れんばかりの大きな拍手と歓声が湧き起こった。
唖然としていた将軍は、首元に突きつけられた木剣から、僕がまだ『ほんの少しも本気を出していない』ことを肌で感じ取ったのだろう。
彼は滝のような冷や汗を流しながら、ガクンとその場に跪いた。
「ま、参りました……。この人智を超えた武……あなたこそ、まさしく英雄王の生まれ変わり。我が国の軍部、命に代えてもルーク様に忠誠を誓いましょう!」
将軍の潔い降伏宣言に、観衆の熱狂は最高潮に達した。
アイリス様は「当然ですわ!」と言わんばかりに胸を張り、両親は楽しそうに拍手を送ってくれている。
◇◇◇
――そして、それから数年の月日が流れ。
僕が十六歳の成人を迎えた、戴冠式と結婚式の日のこと。
王都は国中から集まった人々で溢れかえり、祝祭の歓声に包まれていた。
しかし、きらびやかな王城の奥では、少しばかりきな臭い報告が上がっていた。遠い北の国で、二つの国家間の戦争が始まったというのだ。
『今こそ、二代目英雄王の圧倒的な武力をもって、他国を攻め落とし領地を広げるべきです!』
血気盛んな一部の貴族たちが、そんな物騒な声を上げていた。
しかし、その声を真っ向から一蹴したのは、純白のドレスに身を包んだアイリスだった。
「ふざけたことを言わないでください!」
凛とした、女王としての威厳に満ちた声が響く。
「英雄王の力は、他国の民を蹂躙するためにあるのではありません! その力は、愛する者を守り、平和を築くためにこそ使うべきです! 今すぐ北の二国間へ特使を派遣し、停戦に向けた交渉を開始しなさい!」
アイリス様の毅然とした命令に、武闘派の貴族たちはぐうの音も出ずに引き下がっていった。
かつて暗い塔に幽閉され、怯えていた少女の面影はもうどこにもない。彼女は立派な、この国を導く女王となっていた。
玉座の前に立つ僕の横に並び立つと、アイリスは振り返りざまに、満開の花のような笑顔を見せた。
「……これでよかったのですよね、ルーク様?」
その笑顔があまりにも綺麗で。
僕は、初恋の時とまったく同じように胸を高鳴らせながら、二代目英雄王として、そして彼女を一生守り抜く夫として、力強く頷き返した。
「ああ、その通りだよ……アイリス」
窓から差し込む眩い光の中、僕たちの新しい物語が、ここから始まろうとしていた。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
最後までお読みいただきありがとうございます
二人の未来に幸あれということで、この物語は終わります。
またそのうち、お会いできれば幸いです。




