第六十話:暴走する乙女(アイリス視点)
女王アイリスは、深いフードを目深に被り、お忍びの姿で学園の貴賓席に座っていた。
本来、多忙な女王が一学生の大会を観戦するなど異例中の異例である。彼女がここに足を運んだ理由は、隣に控える宰相からの『強い要望』によるものだった。
『陛下も若くして即位されましたが、国の安定のためには早期に「王配(夫)」を迎え、世継ぎを設ける必要がございます。
実は現在、最高学年である四年生のAクラスに、家柄、容姿、魔力、すべてにおいて非の打ち所のない完璧な御仁がおられます。筆頭侯爵家のご子息、クロード様にございます』
『……はぁ』
『すでに内々では、侯爵家にも「王配候補」としてお声がけをしております。どうか本日の闘技大会で、彼の実力と麗しきお姿を、陛下ご自身の目でご確認くださいませ』
宰相の口うるさい進言を断りきれず、アイリスは渋々この場にやってきたのだ。
彼女の心の中には、幼い頃に自分を暗闇から救い出してくれた『初恋の少年』の姿しかない。他の男など見る気も起きなかったが、政治的なポーズとして一度は顔を立ててやらねばならなかった。
(はぁ……つまらない。早く帰って執務を終わらせて……ん?)
退屈そうに闘技場を見下ろしていたアイリスの視線が、ふと、入場ゲートから出てきた一人の男子生徒に釘付けになった。
(えっ!? ル、ルーク様!? なんで!?)
初恋の人が、なぜか学園のワーストクラスである一年Fクラスの制服を着てそこに立っている。彼がこの学園に入学していたことすら、アイリスは知らされていなかった。
(どういうこと!? ルーク様は騎士学校に入学したと聞いていましたのに……
……いや、これは暁光かもしれませんわね。もし、一年生のルーク様がこの大会で上級生たちを打ち負かして優勝したら……『四年生の最強候補よりも強い』という実績になりますよね? そうなれば、ルーク様を私の婚約者として宰相たちに推せるのでは……!?)
彼女の中では、完璧な計画だった。
愛しのルークが自分を迎えに来てくれる。そんな夢のような妄想で、アイリスのテンションは最高潮に達した。
――しかし、その矢先に起きたのが、あの『事件』である。
地下空洞のガーディアンと戦い、命の危機に瀕するルーク。彼の腕が切断され血塗れの凄惨な光景を見た瞬間、アイリスの理性は完全に吹き飛んでしまった。
恐怖と絶望で思考が真っ白に塗りつぶされた結果が、ルークの命を繋いだ恩師・レイモンドをあわやギロチンにかけるという、大暴走『公開処刑未遂事件』を引き起こしてしまったのだ。
◇◇◇
そして、そんな騒動の直後のこと。
王城の美しい中庭で、アイリスは優雅なティータイムの席についていた。
向かいの席に座っているのは、金髪碧眼の美しい青年――宰相が推していた王配の最有力候補であり、四年生Aクラスのリーダー、クロード・ヴァン・アルジェント侯爵令息である。
怪我をしたルークのそばに寄り添っていたかったアイリス、王配候補として顔合わせがセッティングされていた以上、すっぽかすわけにはいかった。
「アイリス陛下、あの忌まわしいテロ事件……お怪我などなく何よりです」
「ええ、気遣い感謝します、クロード殿」
クロードは自信に満ちた笑みを浮かべ、大仰な身振りで胸に手を当てた。
「私もあの時、真っ先に地下空洞へ向かい、陛下と生徒たちをお救いしようとしたのですが……いかんせん、他の騎士や教師どもに『生徒は下がるように』と止められてしまいまして。
ええ、全くもって忸怩たる思いでしたよ。私が前線に出ていれば、あのような被害は出さなかったものを……」
まるで「自分が行けば一瞬で解決したのに」と言わんばかりの、典型的な言い訳と小物ムーヴだった。
「……ええ、そうですわね。(ルーク様のお怪我、本当に大丈夫かしら。先生の処刑もギリギリで止められてよかった……)」
アイリスは、優雅に紅茶を飲みながら、完全に上の空だった。
彼女の頭の中にあるのは、病室で眠るルークのことだけだ。クロードの武勇伝もどきなど、一文字たりとも耳に入っていない。
「(でも、考えてみれば……あの一年生のルーク様が、四年生の上位貴族の子息たち全員を救った『大英雄』になったのよね。これって、身分差を覆して私の婚約者にするには、これ以上ない完璧な大義名分なのでは……?)」
むしろ、事件のおかげで宰相たちもルークの功績を認めざるを得なくなっている。
「(ふふっ、ルーク様が成人されたら、すぐにでも結婚の準備を進めなくては……)」
「……陛下? アイリス陛下?」
「えっ? ああ、はい。素晴らしいですわね、クロード殿」
アイリスはハッとして、完璧な女王の微笑みで適当な相槌を打った。
しかし、プライドの高いクロードは、その『心ここにあらず』な女王の態度が許せなかった。彼が必死に自分をアピールしている間、女王の瞳は一度として自分を見ておらず、どこか遠くの誰かを思い浮かべて熱を帯びているように感じていた。
(……私という完璧な四年生を前にして、退屈されているとでもいうのか?)
クロードは静かにティーカップを置いた。
女王陛下が最近、あの地下で無茶をしたFクラスの一年のガキをひどく気にかけているという噂は聞いている。そして、二人の関係性も……。
「(あのような平民上がりの一年のガキが……。まぐれで得た英雄の肩書きで、陛下の御心を惑わしているというのか。アルジェント侯爵家の、この私の顔に泥を塗ったこと、絶対に後悔させてやる……!)」
完璧にコケにされた形となったクロードの胸の内に、ルークに対するドス黒い逆恨みの火が灯った瞬間だった。
◇◇◇
――そして、季節は巡り、三年後。
ルークたちがついに『四年生』の春を迎えた日のこと。
執務室で書類仕事に追われていたアイリスは、ふと思い出したようにバッと顔を上げ、歓喜の声を上げた。
「そうです! ルーク様が四年生になられたということは……学園の規定で、卒業後の進路の『オファー』が解禁されたということですわ!」
アイリスは鼻歌交じりに一枚の最高級の羊皮紙を取り出すと、万年筆を猛烈な勢いで走らせる。
「変な虫がつく前に、王家から最高の条件を提示しなくては!」
さらさらと書き連ねられていくのは、彼女の愛と欲望がこれでもかと詰め込まれた特別待遇のオファー状である。
『アイリス女王陛下直属・専属近衛騎士(※城内での居住必須、夜間護衛含む。待遇は公爵位に準ずる)』
「ふふっ、これでルーク様は私のものです!」
アイリスはうっとりとした顔で王家の紋章が入った分厚い蝋封を押し付けると、その無茶苦茶な書状を、愛しのルークが待つ魔法学園へと意気揚々と発送したのだった。




