第五十八話:目覚め
気がつくと、僕は学校の救護室のような場所のベッドで目を覚ました。
体の節々が、ミシミシと鈍く痛む。
僕は恐る恐る、自分の右手を確認した。あの時、完全に千切れて吹き飛んだはずの右手がそこにあった。
「……よかった」
手首から先がどす黒く変色していて「本当にこれ大丈夫かな」と不安になる見た目だが、グーパーと手を握ってみると、ズキッとした鋭い痛みは伴うものの、ちゃんと指は動いてくれた。
時間が経てば色も元に戻るのだろうか。ともかく、くっついただけでも御の字だ。魔法の世界の治癒力に、心から感謝するしかない。
ぼんやりと、白い天井を見つめる。
前世の病室で、長い間見つめ続けていたのもこんな白い天井だったな……。
少しだけ感傷に浸る。部屋の中は、静かすぎて逆に耳が痛くなるほどだった。死の淵を覗き込んだ恐怖と、血の匂いがまだ鼻の奥にこびりついている気がする。
左手側にある窓には厚いカーテンが引かれており、外の様子は窺えない。
ゆっくりと体を起こし、ベッドの縁に腰掛ける。体がひどく重たい。前世で大きな手術を受けた後の、全身麻酔から覚めた直後のような、お腹の中に石でもあるかのような重さと気だるさだ。
ひんやりとした石の床に、裸足の足をつける。熱を持って火照っている体に、その冷たさがひどく心地よかった。バキバキに砕けていた両足もすっかり回復しているようで、立ち上がるのに支障はなさそうだ。
重い足取りで窓に近づきカーテンを開ける。
すると、窓のずっと下、中庭のような広場に大勢の人々が集まっている光景が目に入った。
「なんだ……?」
不思議に思って窓を開け放つと、拡声の魔導具を通した野太い声が響き渡ってきた。
『――これより!! ルーク様を死地へ連れ出し、半死半生の大怪我を負わせた大罪人、レイモンドの処刑を執り行う!!』
……は?
『アイリス女王陛下より、即時の斬首が決定された! 刑吏よ、構え!』
「ちょっ、ちょっとまったァァァァァァーーーー!!!!」
僕は窓枠から身を乗り出し、喉が裂けるほどの声で叫んでいた。
◆◆◆
「……先生、災難でしたね」
「あ、ああ……ルーク、助かったよ……」
救護室の丸椅子に座るレイモンド先生は、未だにガクガクと全身を震わせ、顔を真っ青にしていた。首元には、ギロチンの首を固定する拘束具『ルネット』から抜け出そうと必死に首をグリグリとよじったせいで、痛々しい内出血の跡がくっきりと残っている。
「こ、こわかった……。あと数秒お前が起きるのが遅かったら、俺の首は胴体とお別れしていたぞ……」
「本当にギリギリでしたね」
「ええ、本当に……うんうん」
僕の言葉に、少し離れた場所からアイリス様が深く頷いて同意してきた。
いや、どの口が言ってるんだ……
僕がジロリと冷ややかな視線を向けると、処刑を命じた張本人であるアイリス様はハッとして、シュンと体を丸めて気まずそうに俯いた。
僕は改めて先生へと向き直る。
「……先生が僕を運んでくれたんですよね? ありがとうございます」
「お前が倒れた後、あの六本腕のガーディアンは完全に沈黙した。だが……お前の右腕がボトッと落ちた時は、俺も心臓が止まるかと思ったぞ」
思わず今は繋がっている右腕をさすり、感触を確かめる。
「俺は急いでフロアの中央へ向かい、残っていた楔を叩き壊した。するとどうだ、大気中に徐々に魔力が満ちてきてな……結界が解けたことを実感したよ」
「結界が……」
「ああ。俺は気を失って血を噴き出しているお前の口に、無理やりポーションを流し込み、切断面にも直接ポーションをぶちまけて強引に止血した。俺は、初級の回復魔法しか使えんからな……必死だったよ……」
先生は、自分の左肩の傷跡をさすりながら、当時の絶望的な状況を語った。
「自分の服を破ってお前の傷口を縛り、道中、魔力が空になるまで何度も何度も初級魔法をかけ続けながら……お前と、落ちた右腕を抱えて、十階層分の階段を死に物狂いで登り切ったんだ。あの魔法でギリギリ生命を繋ぎ止められたのは、本当に運が良かった」
「まぁ……! ご自身も重傷を負いながら、自ら楔を破壊し、魔法をかけ続けて……」
アイリス様が、口元を両手で覆い、ハッと息を呑んで涙ぐんだ。
アイリス様の千里眼で確認できたのは楔の位置だけで、最下層の情景はもやがかかり確認出来なかったらしい。だからこそ、彼女は今初めて聞く地下での死闘と、決死の救出劇に身を乗り出すようにして聞き入っていた。
「地上に出た途端、待機していた魔導士たちに取り囲まれてな。血まみれのお前を見た瞬間、女王陛下が氷のような目で『その男を捕らえなさい』と……。俺は弁明する間もなく地下牢へ叩き込まれたというわけだ」
過酷すぎる真実に、僕は大きなため息をつき、アイリス様の方へ向き直った。
彼女は気まずそうにシュンと俯き、もじもじと指を弄っている。
「アイリス様」
「……はい」
「僕のことを思って怒ってくださったのは大変嬉しく思います。
でも、先生は僕を庇って重傷を負い、僕の命を繋ぎ止めて最後まで見捨てずに運んでくれた命の恩人なんですよ!?」
僕が少しだけ強めの口調でお説教を始めると、アイリス様の背後に控えていた護衛の筆頭魔導士が激高して前に出た。
「無礼者! 陛下に向かって何たる口の利き方か! いくら功を立てたとはいえ、王に対するその態度は――」
護衛が剣の柄に手をかけようとした瞬間、アイリス様はスッと右手を上げ、威厳に満ちた冷ややかな声で彼を制止した。
「おやめなさい! 良いのです。ルーク様は、あの絶望の結界を打ち破り、この国を救った大英雄。彼には、私の過ちを咎める権利があります」
その言葉は、王族としての誇りと慈愛に満ちていた。
周囲の騎士や魔導士たちが「おお……」と感嘆の息を漏らす。
「アイリス様! まだ話の途中です!」
「ひゃい!?」
僕が容赦なく言葉を遮って声を張り上げると、アイリス様は肩をビクッと跳ねさせ、思わず変な返事をしてしまう。
さっきまでの女王の威厳はどこへやら、彼女は涙目で僕を見つめ返してくる。
「命の恩人だって言ってるんです! 恩人を即刻処刑だなんて、早とちりにも程があります!」
「ご、ごめんなさ……っ、ち、違運です! 地上に戻ってきたルーク様のお姿が……あまりにも血まみれで、腕も……だからもう、ルーク様が死んでしまうかと思って、私、頭が真っ白になってしまって……っ!」
慌てふためき、顔を真っ赤にして弁解するアイリス様。
しかし、彼女はふとレイモンド先生の痛々しい傷跡と、未だに青ざめている彼の顔に目を向けると、ハッと我に返ったように表情を引き締めた。
そして彼女は、一介の教師であるレイモンド先生に向かって、深々と頭を下げたのだ。
「レイモンド殿。私の愚かな早とちりで、あわや取り返しのつかない事をしてしまうところでした。……本当に、申し訳ありませんでした」
「へっ!? 陛下、頭を上げて……っ!」
突然の女王の謝罪に、周囲の騎士や文官たちが息を呑む。
アイリス様は静かに顔を上げると、今度は目に涙を浮かべながら、両手で先生の手を力強く握りしめた。
「そして……私の……この国にとって最高の武勲をたてたルーク様の命を繋ぎ止めてくださったこと、心より感謝申し上げます。ご自身の命を懸けて彼を守り抜いたその功績は、計り知れません」
「あ、いえ……彼は僕の教え子ですので……」
アイリス様は先生から手を離すと、クルッと文官たちを振り返り、今度は誰もがひれ伏すような凛とした女王の声で宣言した。
「だれか!! 今すぐこの者に、王室より相応の『爵位』を与えなさい! 英雄を救い出した偉大な恩人として、最大限の礼遇を以て迎えるのです!!」
「「「は、ははぁーーっ!!」」」
「……えっ?」
レイモンド先生がポカンと間抜けな口を開ける。
こうして、Fクラス担任レイモンド先生は、公開処刑の死刑台から一転、突如として貴族へと成り上がったのだった。




