第五十七話:代償
「――は?」
反射したエネルギー波を、ガーディアンはいとも容易く躱した。
呆然とする僕の目に映ったのは、エネルギー波を躱した勢いそのままに、僕の首元へ向けて無慈悲に振り下ろされる大剣の刃だった。
「くそっ!」
咄嗟に、右手の戦斧を掲げてガードする。
左腕を盾にすることもできた。だが、左手に括り付けた『第八階層の装甲』を失うわけにはいかなかった。これが砕かれれば、もう敵のエネルギー波を跳ね返す手段が無くなってしまうからだ。
ガァァンッ!! と重い衝撃が右腕に走り、僕は数メートルほど後方へ吹き飛ばされた。
床を転がりながら体勢を立て直し、すぐさま右腕を確認する。
「……ふぅ。ちゃんと、くっついてるな」
斧で防いだとはいえ、生身で受けた衝撃は凄まじかった。薬のおかげで痛みはないが、骨の何本かはいったかもしれない。
息を吐きながら、僕はガーディアンの動きを分析する。
さっきの反射は、敵との距離を取りすぎていたんだ。
だから、跳ね返ったエネルギー波が敵に届くまでの間に、回避する時間を与えてしまった。
もっと至近距離で反射させなければならない。当然、敵の近接攻撃を躱す難易度も跳ね上がるし、カウンターの閃光が放たれてから装甲で受けるまでの猶予も極端に短くなる。最悪の場合、反射する前に僕自身が消し飛ぶだろう。
だが。
「パターンは掴みかけている! 今の僕ならやれる!」
恐怖を振り払うように、自分自身を鼓舞して大声を上げた。
その時だ。階段の安全地帯から、レイモンド先生の焦燥に満ちた叫び声が響いた。
「ルーク! お前の両眼の赤い光が、徐々に消えかかっているぞ!!」
……あっという間だな
どうやら、僕の体は長く薬効が続く体質ではなかったらしい。あまり時間は残されていないようだ。
次はない。
僕は大剣より短い戦斧のリーチを補うため、さらに深く前傾姿勢をとり、ガーディアンの懐へと飛び込んだ。
「オオォォォォォッ!!」
敵の猛攻を紙一重で躱し、斧を叩き込む。
時間がないという焦りからか、自分でも無意識のうちに一撃一撃の威力が上がり始めていた。薬で誤魔化しているものの、肉の奥深くで骨が悲鳴を上げ、軋むような感覚がある。
敵にはダメージを与えられていないのに、奪った武器には確実にダメージが蓄積されていた。刃こぼれし、柄に亀裂が入り、今にも壊れそうだ。
頼む……! あと一回だけ、保ってくれ!
敵の剣を弾き飛ばし、完全にがら空きになった胴体へ向けて、渾身の力を込めた斧を振り下ろす。
完璧な追撃。
しかし、装甲に叩きつけられた瞬間――限界を迎えた戦斧は、パァンッと甲高い音を立てて粉々に砕け散ってしまった。
そして、僕の最大の一撃を吸収したガーディアンの魔石が、限界を告げる眩い光を放った。
きたっ!
直前で武器が砕けた反動で、僕の体勢は僅かに崩れていた。
しかも今回は、文字通り手が届くほどの『ゼロ距離』。
閃光が放たれる。間に合わせろ!
至近距離の閃光を浴びて、視界が真っ白に染まった。
み、見えない……!?
終わった、と絶望が頭を過った瞬間。
『ルーク、よく聞きなさい。魔法の本質は視覚で捉えるものじゃありません』
かつて、魔力探知の特訓で母さんが言っていた言葉が、ふと蘇った。
『眼を閉じて、感じるの。魔力の淀みを、その流れを』
僕は、ふっと両眼を閉じた。
感じる。
僕を焼き尽くそうと迫り来る、膨大で純粋なエネルギーの淀みを。
あと少し……もう少し、あと一呼吸……。
「……ここだァッ!!」
僕は眼を閉じたまま、左腕の装甲を前方に突き出し、迫り来るエネルギー波の『中心』めがけて、渾身の力で殴りつけた。
バギィィィィィンッッ!!!!!
装甲とエネルギー波が激突し、凄まじい衝撃波がフロア全体を揺るがした。
弾き返された極大の閃光は、今度は回避する隙すら与えず、ゼロ距離でガーディアンの胴体を真っ向から貫いた。
同時に、跳ね返した衝撃の余波で僕の体も弾き飛ばされ、受け身も取れないまま床に激突し、ボロ雑巾のように何度も地面を転がった。
ズザァァッと滑って停止したのと同時に、ガーディアンの巨体がメリメリと音を立てて崩れ落ち、完全に活動を停止したのが見えた。
「やった……! やったぞーーっ!!」
歓喜の声を上げ、立ち上がろうと地面に手をつく。
……が、足腰に全く力が入らない。いや、力が入らないのではない。感覚そのものが、足元から急速に削り取られていくような、ひどく冷たい喪失感。
ああ、そうか。薬の力が切れたのか……
そう認識した瞬間だった。
頭の芯で、極限まで張り詰めていた太い鋼の糸が『ブツンッ』と弾け飛ぶ音がした。
バキィッ!!
ポーションの力で一時的に繋ぎ止められていた左腕が、僕の意思とは無関係にあらぬ方向へと捻じ曲がり、皮膚を突き破らんばかりに骨が飛び出す。
「――ぁ」
悲鳴を上げる間もなかった。続いて、両足の骨が内側から爆ぜるような『メキィッ!』 『ゴキバキバキッ!』というおぞましい破砕音が連続して鳴り響いた。
支えを完全に失った僕の体は、糸を切られたマリオネットのように無惨に床へ崩れ落ちる。
一気に。本当に、一気に……
遮断されていた激痛と、限界を超えて肉体を酷使し続けた致死量の代償が、真っ黒な大津波となって全身の神経を蹂躙した。
「ああ、あ、アアアアアアアアアァァァァァァァァッッッ!!!!!!」
喉が裂け、血の塊を吐き出しながら絶叫する。
痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い!! 全身の骨が砕け、筋肉が千切れ、血管が内側から破裂するような地獄の苦しみ。
床を掻きむしろうにも指が動かず、ただ芋虫のようにのたうち回り、酸素を求めて陸に上がった魚のように喘ぐ。
その、視界の端で。
――ズルリ。ボトッ。
何か重く、生温かい『肉の塊』が、僕の体から滑り落ちて地面に叩きつけられる、ひどく不快な音がした。
直後、ドクンッ、ドクンッ、と心臓が脈打つたびに、チャプッ……と液体が波打つ音が耳を打つ。
床が、急速に濡れていく。
水じゃない。赤い。真っ赤だ。僕の血だ。尋常じゃない量の血が、凄まじい勢いで石畳をどす黒く染め上げている。
どうして……こんなに、血が……?
激痛で白濁する意識の中、熱を失っていく体を引きずるようにして、僕は出血元を探した。
視線を、己の右半身へと向ける。
ああ……。
そうか……。
思い出した。さっき、敵のエネルギー波の反射に失敗し敵の攻撃を、咄嗟に『右腕』を盾にしてガードしたんだった。
あの時、僕の右腕は攻撃を防げたわけじゃなかった。剣の圧倒的な威力の前に、すでに骨ごと完全に『切断』されていたんだ。
ただ『狂戦士の血』のデタラメな効力が、千切れた血管や神経、肉の断面を強引に張り合わせ、死肉を動かしていたに過ぎない。
薬の効果が完全に消滅した今。
限界を迎えた右腕の接合部が、腐り落ちるように僕の肩から剥がれ落ちたのだ。
切断面から、噴水のように真っ赤な血が噴き上がっている。
指先から急速に体温が奪われ、視界が外側から黒く塗りつぶされていく。
絶望的な虚脱感と共に薄れゆく意識の最果て。僕の『右腕』が、凄惨な血溜まりの中で、まるでゴミのようにぽつんと転がっているのが見えた。




