第五十五話:狂戦士の血
ついにたどり着いた第十階層。
最下層のフロアはこれまでの階層とは比べ物にならないほど広く、その中央には、独特の存在感を放つ黒い杭――『虚無の楔』が突き刺さっていた。
そして、その楔を護るように立ち塞がったのは、異形のガーディアンだった。
四足歩行の獣の強靭な下半身に、屈強な戦士の上半身。そして背中から生えたものを含め、合計『六本』の腕を持っていた。それぞれの腕には、大剣、長槍、戦斧が握りしめられている。
「ルーク、気をつけろ! 見た目からして強そうだ!」
「……ええ、わかってます!」
僕が踏み込むより早く、四足のガーディアンが爆発的な瞬発力で距離を詰めてきた。
速い。速さは同等か……。さらに、六本の腕が独立した意思を持つかのように動き、流れるような連続攻撃が嵐のように襲いかかってくる。
上段からの剣を弾き、横薙ぎの槍を屈んで避け、迫る斧を大剣で受け流す。防戦一方の僕だったが、相手の僅かなリズムの切れ目を読み切り、強引に背後を取った。
「もらったァッ!」
渾身の力を込めた大剣が、ガーディアンの無防備な背中を捉える。
完璧な一撃。しかし――。
「……っ!? 感触が……無い!?」
大剣は確かに装甲に命中した。だが、手応えが全くない。まるで巨大な泥沼に剣を叩きつけたかのように、衝撃が全て吸収されているような……。
僕の踏み込みが足りなかったのか? 疑問を抱く暇もなく、ガーディアンは上半身の胴体部分だけをクルクルと不気味に回転させ、再び嵐のような攻撃を仕掛けてきた。
手数が多すぎる。隙を作るのが難しいなら、せめて腕を切り落とし活路を見いだせ!
僕は敵が剣を振り下ろした瞬間の隙を突き、その腕の関節めがけて大剣を振り抜いた。刃は完璧に腕へ直撃したが、やはり手応えがおかしい。またしても衝撃が吸収されている。
直後、死角からの横薙ぎの剣撃が僕を襲った。
咄嗟に左腕のガントレットで防いだものの、防ぎきれず、壁へと弾き飛ばされた。
「ぐっ……!」
空中で姿勢を制御し、壁に両足で着地する。
足腰に限界まで力を込め、壁が陥没するほどの力で踏み込んだ。弾き飛ばされた反動すらも推進力に変え、猛烈なスピードで再びガーディアンへと飛び込んでいく。
迎え撃つように、ガーディアンは上半身を独楽のように超高速で回転を始めた。
トップスピードに達したのか、遠心力を利用して敵の手から二つの『戦斧』が投げられた。斧は嫌らしい弧を描き、左方向と上方向から正確に僕の方へ向かってくる。
「くそっ……!」
空中で無理やり姿勢を捻ってかわそうとするが、完全には避けきれない。
鮮血が舞い、左腕と太ももに斧の刃が深く食い込む。強烈な痛みに支配されるが、歯を食いしばって耐えた。
このままではやられる。僕は、敵の斧を受けて体が回転した衝撃をそのまま利用し、自らも空中でコマのようにスピンした。
突進の速度と、回転の遠心力。僕の持てる全ての物理エネルギーを乗せた最大級の一撃を、ガーディアンの首元へと叩き込む。
「これで、どうだァァァァッ!!」
刃が首にめり込む。やった、と思ったのも束の間。
僕の持てる全てのエネルギーは、またしても敵の装甲に吸収されてしまった。
そして、それこそが敵の狙いだった。僕の最大の一撃を吸収したことで、ガーディアン内部のエネルギーは頂点に達したのだ。
ガーディアンの胴体に埋め込まれた巨大な魔石が、太陽のように眩く発光する。
直後。今まで僕が与え、蓄積されたすべての物理エネルギーが、性質を変えて一気に『放出』された。
「なっ――」
極大の閃光。
僕は咄嗟に愛用の大剣を盾にして身をすくめた。
凄まじい衝撃波と光の奔流が僕を飲み込む。母さんの地獄の特訓にも耐え抜いてきた頑強な大剣が、まるで飴細工のようにボロボロと崩れ去り、チリとなって消滅した。左腕のガントレットも砕け散り、防具が次々と紙屑のように引き裂かれていく。
「あ、がぁっ……!!」
僕は再び壁に向かって吹き飛ばされ、今度は容赦なく石壁に叩きつけられた。
口から大量の血を吐き、床に崩れ落ちて悶絶する。息ができない。意識が暗い底へと沈んでいく。
その時。朦朧とする視界の中で、信じられない光景を見た。
「ルークッ!!!」
絶対に安全地帯から出ないはずのレイモンド先生が、なりふり構わずフロアへ飛び出してきたのだ。
先生が僕の襟首を掴んだ瞬間、ガーディアンの六本の腕が動き、無慈悲な長槍が追撃として突き出された。
「先生、危な……っ!」
ズバァッ! と、肉を裂く音が響いた。
僕に覆いかぶさるように盾となった先生の左肩を、ガーディアンの長槍が深々と抉り抜いていた。
「ぐ、ぉぉぉぉぉッ!!」
先生の口から苦悶の絶叫が漏れ、僕の顔に温かい血が降り注ぐ。
それでも先生は、僕の襟首を掴む手を決して離さなかった。槍が引き抜かれる激痛に耐えながら、血まみれの体で僕を引きずり、文字通り『命懸け』で階段の安全地帯へと転がり込んだ。
――ビーーッ! ビーーッ!
僕たちが階段に崩れ落ちた瞬間、ガーディアンは追撃を諦め、フロアの中央へと戻っていった。
「先生……っ、肩が……血が……!」
「喋るな……! 私の傷なんて、お前に比べれば掠り傷だ。ほら、早くこれを飲め!」
自分の肩から大量の血を流しながらも、先生は震える手でポーションの瓶を僕の口に押し当ててきた。
生暖かい液体を飲み込むと、少しだけ呼吸が楽になった。だが、ポーション一本で僕のダメージを全快させるのは到底不可能だ。
痛む体を動かさず、冷静に自分の肉体を確認する。
左腕の骨は完全に折れている。あばらも数本いってる。足も満足に踏み込める状態じゃない。
敵の斧で受けた傷など、単なる掠り傷に過ぎない。敵から受けた最後の一撃……あれはヤバかった。本気で死ぬかと思った。
おまけに頼みの綱だった大剣も、防具もすべて失ってしまった。次の攻撃は、絶対に受けきれない。
「……先生、助けてくれてありがとうございます」
「だから喋るなと……っ」
「武器は、とりあえずこれでいきます」
僕は、壁に叩きつけられた時に体から抜け落ち、先生が僕を引きずるついでに咄嗟に回収してくれていた『敵の戦斧』を右手で握りしめた。
「だが、僕の物理攻撃は全く効かなかった。物理無効どころか、反射してくるなんて……」
「…………」
レイモンド先生は苦痛に顔を歪めながらも、ボロボロになった僕の目をじっと見つめた。
お前はまだ戦う気なのか。ここで一旦引いてもいいんじゃないか。彼の痛ましげな瞳が、そう語りかけているのがわかった。
「……逃げたくありません。でも、正直、勝てるビジョンが想像できない」
「ルーク。さっきの敵のカウンターだが……あれには強い『魔力』を感じた」
「え?」
「敵は、お前が与えた物理エネルギーを内部で『魔力』に変換し、魔法攻撃として撃ち返してきたんだ。結界の影響で大気中の魔力は使えないが、お前のエネルギーを触媒にしたというわけだ」
先生の推測を聞いて、僕はハッと合点がいった。
「確かに……殴られたり切られたりした物理的なダメージとは違いました。母さんから『重力魔法』をゼロ距離で食らった時のような、皮膚の奥がビリビリ痺れる感覚……あれは間違いなく、魔法攻撃です!」
「お前のご母堂はどうなってるんだ……」
肩の痛みを忘れたようにドン引きして頬を引きつらせる先生だったが、すぐにハッとして、血に染まった手で背嚢の中から『ある物』を取り出した。
それは、第八階層で回収したガーディアンの破片――ちょうど腕に装備する『肩当て』や『小型の盾』のように使える、美しい鏡面加工の装甲だった。
「ルーク。さっきの一撃が魔法なら、魔法を完全に無効化・反射するこの破片で、敵の攻撃を跳ね返せるはずだ」
渡された破片を見つめる。
(これを使って、敵の攻撃を跳ね返せば、あるいは……!)
第十階層の敵が『物理無効』なら、相反する『魔法』が弱点である可能性は極めて高い。
だが、これは賭けだ。次に敵がエネルギーを反射してくるとは限らないし、さっきの一撃が魔法ではなかったら、この破片ごと僕は消し飛ばされる。仮に跳ね返せたとしても、高速で動く敵に正確に撃ち返せるかどうかも分からない。
「……よし、決めた。敵を倒します」
僕が口元の血を拭って笑うと、先生はギリッと唇を噛み締め、苦渋の決断を下したように、懐から特別厳重に封をされた黒い小瓶を取り出した。
「……『狂戦士の血』と呼ばれる特殊なポーションだ」
「狂戦士……」
「一時的に肉体のリミッターを外し、身体能力を爆発的に上昇させる。おまけに痛覚を完全に遮断するため、どれだけ骨が折れていようと、数分間は無傷の状態と同じように動ける。敵の致死攻撃を受けても、即死だけは免れる効果がある」
先生の言葉に僕は息を呑んだ。そんな都合のいい薬には、当然とんでもない代償があるはずだ。
「だが、これはまやかしだ。薬の効果が切れた瞬間、遮断されていたすべての痛みと、無理やり動かした肉体へのダメージが数倍になって蓄積され、一気に返ってくる。死ぬほどのダメージを受けていれば、死ぬほどの激痛に襲われる。未熟な者が飲めば、その苦痛によるショックで死に至る劇薬だ」
レイモンド先生は、血まみれの右手で祈るように小瓶を僕へと差し出した。
「成功率を上げるには、これが必要になるかもしれない。教師として、こんな劇薬の使用は絶対に勧められない。
だが……これを飲めば、もし失敗しても、次の一撃だけは生き延びられるかもしれない。お前は強い。肉体的にも精神的にも、この薬の反動に耐えられるかもしれない」
先生は真っ直ぐに僕の目を見た。
「お前が決めろ。飲むか、飲まないか」
黒い小瓶を見つめる。
先生は身を呈して僕を救ってくれた。アイリス様は今も、あの闘技場で怯える人々を励まし、僕の無事を祈ってくれているはずだ。
彼らの思いに応えるためなら、そしてこの世界を救うためなら――。
「……貰います。」
僕は迷うことなく小瓶を受け取り、一気に喉の奥へと流し込んだ。




