第五十一話:地下空洞
僕がフッと一歩を踏み出した直後、空気を裂く凄まじい轟音と共に、黒装束の賊たちはまとめて宙を舞っていた。
魔法が一切使えないこの暗闇の結界内において、実は僕も少しだけ『やりづらさ』を感じていた。いつも無意識に使っていた、大剣の重量を軽くするための魔力操作や、周囲の気配を察知する微弱な魔力探知が全く機能しない。本来の鉄の塊としての重さがズッシリと腕にのしかかり、敵の死角からの動きも、目と耳の感覚だけで追わなければならなかった。
……けれど、父さんと母さんの特訓で鍛え上げられた僕の身体能力の前では、その程度のハンデは些細な問題だった。彼らが誇る暗殺術など、僕の目にはただのお遊戯にしか見えない。
「ぞ、賊を捕縛せよ!」
事態が落ち着いてから慌てて動いた宮廷魔導士たちが、地面に這いつくばる賊たちを取り押さえようとする。しかし、賊たちは不適な笑みを浮かべたかと思うと、ためらうことなく奥歯に仕込んでいた毒を噛み砕いた。
情報を吐く前に命を絶つという、あっけない自死。主犯格の目的がわからないまま、闘技場に再びパニックの火種が燻り始める。
「外へ! とにかくこんなところから脱出するんだ!」
数人の貴族や生徒たちが闘技場の出入り口へ殺到するが、彼らは見えない壁に激突して弾き飛ばされた。闘技場をすっぽりと覆う暗黒のドームは、完全な物理的結界としてこの空間を閉ざしていたのだ。
「みんな、下がって」
騒ぎを聞きつけた僕が大剣を構え、黒いドームの境界に向かって渾身の一撃を振り下ろす。
ズガァァァァンッ!!
闘技場全体が揺れるほどの衝撃と轟音が響き渡った。手応えが全くない……。
砂埃が晴れた後、そこにあったのは絶望的な現実だった。分厚い鉄板すら両断する僕のフルスイングをもってしても、暗黒の結界には傷一つ、ヒビすら入っていなかったのだ。
「嘘だろ……ルークの一撃が、全く通用しないなんて……っ」
Fクラスのみんなが立ち尽くす。
シーン、と。闘技場に不気味なほどの静寂が落ちた。自分たちは完全に、この暗闇の中に閉じ込められた。息が詰まるような重い絶望が、じわじわと全員の顔を蒼白に染めていく。
「皆さん、聞いてください……っ」
その沈黙を破ったのは、王族の『千里眼』を極限まで研ぎ澄ませていたアイリス様の声だった。気丈に振る舞っては居るが、心なし震えるような声だった。
彼女の視界が捉えたのは、闘技場の地下深く、星の魔力の大動脈『龍脈』に打ち込まれた『虚無の楔』という古代のアーティファクト。それが世界の魔力を喰らい、このドームを拡大させているのだという。
やがて世界中に打ち込まれた楔で発生したドーム同士が繋がり、世界全土の魔法が永遠に失われてしまう。この絶対の結界を解くには、地下へ直接潜り、物理的な破壊で楔の核を砕くしかない、と。
その事実を知った途端、大人たちは一斉に後ずさった。
「ま、魔力なしで地下の古代ゴーレムや魔獣と戦えと言うのか!?」
「無理だ! 我々のような高貴な者が泥水など啜れるものか!」
さっきまで大口を叩いていた貴族や宮廷魔導士たちは、恐怖に顔を引きつらせ、誰一人として立ち上がろうとしない。
アイリス様は唇を噛み締め、激しく葛藤しているようだった。誰かが行かなければいけない。しかし絶望的な死地へ誰を送れば良いのだろう……彼女の優しい性格なら、絶対にそう思って苦しんでいるはずだ。
だから僕は、大剣を背負い直し、一歩、静かに前へ進み出た。
アイリス様と目が合う。僕は彼女を安心させるように優しく微笑み、力強く頷いた。
「僕が行きます。僕にお任せください!」
彼女は小さく息を呑むと、決意を固めたように僕の方へ歩み寄ってきた。
「陛下! お下がりください!」
護衛の筆頭魔導士が、血相を変えて彼女の前に立ちはだかった。
「相手は素性も知れぬ平民の学生です! 迂闊に近づかれては、万が一のことが――」
その瞬間、アイリス様はスッと右手を上げ、無言で彼を制止した。
片手での静かな仕草。しかし、そこに込められた絶対的な威圧に、筆頭魔導士は息を呑み、怯えたように道を空ける。
僕の目の前に立ったアイリス様は、女王としての威厳を纏って僕を見据えた。
……けれど、僕にはわかる。ローブの下でぎゅっと握られた彼女の小さな手が、微かに震えていることに。
「……ルークさ…ルークよ。我が誇り高き騎士よ。貴方に『女王の勅命』を下します。地下へ潜り、あの忌まわしい楔を打ち砕いてきなさい」
「――御意。必ずや、陛下の御心のままに」
僕は片膝をついて臣下の礼をとった。
「ルーク! アタシらも――」
「待て、ミア」
一歩踏み出そうとしたミアの肩を、クラウスがガシッと掴んで止めた。
「よく考えろ。魔法が使えない今の俺たちでも、確かに並の魔獣なら倒せるかもしれない。だが……さっきのルークのあの『規格外』の動きに、俺たちがついて行けるか?」
「……」
「ルークの足手まといになるだけだ。……逆に、俺たちがいない方がアイツは全力で動ける」
クラウスの言葉に、リリアも悔しそうに唇を噛みながらコクリと頷いた。
「……ええ。わたくしたちが、ルークさんの邪魔をするわけにはいきませんわ。ルークさん、どうかご無事で」
「みんな、ありがとう」
彼らの気遣いを受け取り、僕は頷いた。
すると、アイリス様が側に控えていた文官から羊皮紙と羽ペンを受け取り、サラサラと素早く何かを書き込み始めた。
「ルークさ…ルーク。この絶魔の結界内では、魔導具による通信も一切機能しません。私の千里眼で見た情報を直接伝える術がない以上、これが頼りです」
彼女が書き上げたのは、千里眼で視た地下の構造と、楔への最短ルートを記した『地図』だった。
アイリス様がその羊皮紙を僕に手渡そうとした、その時。
「――その役目、俺が引き受けよう」
気怠げな声と共に進み出てきたのは、ボサボサ頭を掻きながら欠伸を噛み殺す男――僕たちFクラスの担任だった。
普段は授業中も窓の外を眺めてばかりで、全くやる気のない先生だ。彼が自ら進み出たことに、僕は思わず目を丸くした。
「先生……?」
「陛下、その地図は俺が預かります。闘技場の地下に広がる古代の空洞……あそこは昔、俺が研究のために潜り歩いていた場所だ」
先生はアイリス様からスッと羊皮紙を受け取ると、いつにない真剣な眼差しで僕を見た。
「加勢してやることはできねぇし、魔獣の相手はお前に任せることになる。だが、道案内と古代の仕掛けの解除なら役に立てる。……それに、いくら規格外とはいえ、教え子を一人で死地に行かせるほど、俺も腐った教師じゃないんでね」
「先生……っ。よろしくお願いします!」
普段の怠惰な態度の裏に隠されていた、教師としての強い責任感。その思いに触れ、僕は力強く頷いた。
「よし、行くぞルーク」
「はい!」
僕は大剣を再び構えなおし、地下の空洞へと続く闘技場の中央の床へ向けて、再び渾身の一撃を振り下ろしたのだった。




