第五十話:魔法の消えた世界
王立魔法学校の闘技場、その貴賓席。
私は分厚いローブのフードを深く被ったまま、闘技場の中央で起きた光景に、思わず身を乗り出していた。
(すごい……。ルーク様、また強くなったのですね)
最上級生を相手に、魔法も使わずに一瞬で一刀両断にしてみせた少年。
平民と王族。私たちの境遇は全く違うし、簡単に会えるような立場ではなくなってしまったけれど……彼は私にとって、誰よりも信頼できるたった大切な英雄。
初めて出会った時から圧倒的な強さで輝いていたけれど、数年ぶりに会う彼は更に逞しく成長していた。
彼が放つ圧倒的な強さとまっすぐな姿に、私の胸の奥が熱くなり、鼓動が高まる。一言でもいい……直接話をしたい。
――私は心地よい余韻に浸っていた、その時だった。
「ルーク! やったぁぁっ、ウチらの勝ちっしょ!!」
「うわっと! み、ミア、もう大丈夫なの!?」
闘技場の端から、先ほど医務室へ転送されていたはずの金髪の少女が猛ダッシュで飛び込んできたかと思うと、あろうことかルークの首に勢いよく抱きついたのだ。
「ルークのバカ強な一撃見たら、痛みとか一瞬で吹っ飛んだし! マジありがと、ルーク!」
「わっ、ちょっとミア、顔が近いって……っ」
「えへへっ、お礼のチュー!」
チュッ!
なんとその派手な少女は、満面の笑みでルークの頬に思いきりキスをした。ルークは顔を真っ赤にして固まっている。
……えっ?
ちょっと、何あの派手な子。なんで私のルークにキスなんかしているの? ルークもどうしてされるがままになっているの!?
私が思わず身を乗り出し、二人をジロジロと凝視しようとして千里眼が無意識に発動してしまった――その瞬間。
「――っ!?」
嫉妬に駆られた私の瞳が、闘技場の上空に広がる『異常』を捉えた。
空を覆う結界のさらに上を、まるで太陽の光を喰らうように、どす黒い『何か』が急速に覆い尽くそうとしていたのだ。
「上空です! ただちに防衛結界を展開しなさい! 何かが来ます!」
私が反射的に立ち上がり指示を飛ばすと、護衛の筆頭魔導士が一歩前に出て頼もしく胸を張った。
「陛下、ご安心を! どのような異変であろうと、我ら宮廷魔導士が誇る『絶対防壁』で弾き返してみせましょう!
さあ皆の者、詠唱開始!」
十数人の宮廷魔導士たちが自信満々に杖を天へと掲げる。
しかし――彼らが結界を張り終えるよりも、敵の動きの方が早かった。上空のどす黒い何かがドーム全体を一瞬で覆い尽くし、闘技場が不気味なほどの暗闇に閉ざされる。
パリンッ、パリンッ!
闘技場を守っていた結界が、まるで薄いガラスのように砕け散った。
「な、なんだと……!? 私たちの結界が展開する前に、魔力が霧散させられただと!?」
「杖の魔力が吸い取られていく……! 一体何が起きている!」
宮廷魔導士たちの顔から血の気が引き、パニックに陥る。
空を覆うどす黒い闇の領域。体内の魔力を重い鎖で縛り付けられたような息苦しさを感じる。魔法を封じられた?!
それは学園の生徒たちも例外ではなかった。魔法が使えなくなったことで、今まで自分たちを最強だと信じて疑わなかったエリート生徒たちや教師たちが、恐怖で腰を抜かし、悲鳴を上げて逃げ惑い始めていた。
「魔力に溺れた愚者どもよ、絶望せよ! 魔法とは本来、選ばれし特別な者のみが持つべき力!」
混乱に乗じて、観客席のあちこちから不気味な黒いフードで姿を隠した武装した集団が立ち上がる。
「貴様らのような薄汚い者たちが、気安く魔法に触れる時代は終わる! この場から、貴様らの特権を永遠に奪い去ってやる!!」
黒フードの者たちが、ただのひ弱な人へと成り下がった生徒たちを次々と襲い始めた。
私はローブを脱ぎ捨て、玉座の前に進み出た。
隠していた銀色の髪が解き放たれ、貴賓席から闘技場を見下ろす。空中の魔力が封じられようと、私には王族として成すべきことがある。
「――『静まりなさい、我が愛しき民よ』」
私は民の心に語りかけるように歌い始めた。
闘技場の暗闇に響き渡ったのは、王家に伝わる『三種の歌』が一つ――『戦の歌』。
それは、私の魂そのものを震わせて紡ぐ、魔力を帯びた特別な歌声だ。風に乗り、闘技場の隅々にまで波及していく。
如何に強力な結界が張られていようともこの歌を妨げることはできない。
かつて、私が幽閉されていた頃。国王の許可なくこの歌を紡ぐことは国家反逆罪に等しく、前王である私の父から命を狙われる口実とされた。
……けれど、今の私に誰の許可も必要ない。私が、この国の女王なのだから。
「あ……。あれは、女王陛下……?」
「女王陛下が、直々に歌で我々を……!」
非戦闘員の心を穏やかに癒やし、パニックを防止する歌の力によって、生徒たちが落ち着きを取り戻し始める。
この歌は、戦闘員に対しては、普段以上の攻撃力、防御力、そして『決して折れない勇気』を沸き起こさせる効果を持っている。
「あそこに女王がいるぞ! 魔法さえ封じれば、宮廷魔導士などただの案山子だ! あの小娘の首を獲れェェッ!!」
当然ながら黒フードたちの標的は私へと集中した。
十数人の暗殺者たちが、剣を振りかざして一斉に貴賓席へと飛び込んでくる。宮廷魔導士たちは杖を構えるが、魔法が出ない彼らには、迫り来る白刃を止める術は何一つなかった。
「ひぃぃっ! や、やめろぉっ!」
「た、助けてくれぇっ!」
先ほどまでの威勢はどこへやら、宮廷魔導士たちは無様に尻餅をつき、あっという間に私の目の前まで暗殺者の凶刃が迫る。
でも私は信じている。孤独な私を照らす光の存在を。私は信じている、あなたが必ず駆けつけてくれることを。
ズガァァァァァァァンッッ!!!
貴賓席を囲む重厚な石の欄干が粉々に砕け散り、下層の闘技場から一人の少年が『跳躍』だけで飛び込んできた。
「アイリス様に……気安く触れるなッ!!」
空気を裂く凄まじい轟音と共に、巨大な大剣が薙ぎ払われる。
私に剣を振り下ろそうとしていた黒フードたちは、まるで羽虫のようにまとめて薙ぎ払われ、壁に激突して血を吐いた。
「ル、ルーク様……!」
「お待たせしました、アイリス様。貴女の事は、僕がお守りします!」
大剣を肩に担ぎ、私を背中で庇うように立ったルーク。魔法が使えないこの絶望的な暗闇の中で、純粋な物理の力だけで戦う彼ほど頼もしい存在はいない。
「ば、馬鹿な! 魔力封じの闇の中だぞ! なぜあんな大剣を平然と振り回せる!?」
「それに下を見ろ! なんだあいつらは!?」
黒フードの一人が、信じられないものを見たように闘技場を指差した。
私も視線を向けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「魔法が使えねえからってビビるな! 俺たちは毎日丸太を振って、血反吐を吐きながら走らされてきたんだぞ!」
「魔力に頼り切りのヒョロガリのエリートどもは下がってな! オラァァッ!!」
闘技場の下層。私の『戦の歌』による極大のバフを受け、ルークのクラスメイトであるFクラスの面々が、武装集団を相手に大立ち回りを演じていた。
黒髪でロングヘアーの綺麗な女性が、長大な魔杖を棍術のように振り回して敵を打ちのめし、真面目そうな精悍な顔つきをした青年たちは大盾を構えて物理的に敵の進軍を食い止めている。
「ふふっ……すごい。ルーク様の周りには、あんなに頼もしいお友達がいるのね」
私は安堵の笑みをこぼした。
……さっきのキスのことは、あとでたっぷり問い詰めるとして。
「さあ、ルーク様。あの不敬な賊たちを、貴方の剣で追い払ってくださいませ」
「我が女王陛下の御心のままに!」
ルークはウインクをしてニッと笑うと、大剣を構え直し、黒装束の賊へ向かって神速の踏み込みを見せたのだった。
ルーク様……素敵……。




