第四話:魔力回路
少しだけ、時間を遡る。
僕がまだ言葉を話せず、ようやく寝返りやハイハイを始めようかという、生後1〜2ヶ月頃のことだ。
その日の夜、僕はベビーベッドの中で寝たふりをしながら、両親の密やかな会話に耳を傾けていた。
「……今日、町で新しいポーションの卸先と契約を結んできたよ。だが、やはり契約書には『魔力認証』が必要だった」
「そう……。やっぱり、どこへ行ってもそうなのね」
ソフィアが小さくため息をつく気配がした。
セオドアの声には、深い憂いが混じっている。
「あぁ。この世界は、あまりにも魔力に依存しすぎている。家の鍵を開けるのも、部屋の明かりを点けるのも、仕事の契約を交わすのも……日常のあらゆる場面で、微量とはいえ魔力が必要不可欠だ。魔力が皆無のルークには、将来、自分の家のドアを開けることすら一人ではできないかもしれない」
二人の会話から、僕はこの世界の厳しい現実を知った。
魔法が使えることが前提の社会では、魔力を持たない人間は、現代日本で言うところの「身分証も指紋もない人間」のような扱いになってしまうらしい。
「でも、悲観することはないさ」
セオドアの声が、力強いものに変わる。
「ルークが魔力を使えないなら、魔力がなくても動く魔導具を私が作ればいい。空気中の魔素を取り込んで自家発電するような鍵や、照明を作ってやる。あの子が不便なく生きていける世界を、私たちがこの手で作るんだ」
「ええ、そうね。私も全力で手伝うわ」
親の深い愛情に、僕はベッドの中で密かに胸を熱くした。
「……とはいえ、少しでも自前の魔力があれば、それに越したことはないのだけれどね。実は以前、王都の文献で興味深い論文を読んだことがあるんだ」
「どんな内容なの?」
「『魔力というものは、幼い頃から自ら練り上げる訓練を続ければ、少しずつだが後天的に底上げできる』という仮説だ。器が固まりきっていない幼少期であればあるほど、効果が高いらしい」
「まあ……じゃあ、ルークの魔力も増やせるかもしれないの?」
「ゼロからのスタートだから未知数だが……やってみる価値はある。ルークが言葉を理解できるようになって、物心がつく三歳くらいになったら、無理のない範囲で少しずつ教えてみようと思う」
そこから、セオドアはソフィアに向けて、その「魔力を練る訓練のカリキュラム」を詳しく説明し始めた。
おへその少し下にある丹田にあると言う魔力の器に意識を集中する。それを深い呼吸に合わせて、血液と一緒に全身の血管へ巡らせるイメージを持つこと。細いストローに無理やり息を吹き込むように、少しずつ魔力回路を広げていくこと――。
(……なるほど。言葉が分かる三歳からって言ってたけど)
暗闇の中で、僕はこっそりと目を閉じた。
(言葉の意味なら、もう全部理解できてる。なら……今から始めればいいじゃん!)
善は急げだ。
僕は両親の会話をBGMにしながら、早速おへその下あたりに意識を集中させた。すると、確かに小さな小さな熱の塊のようなものを感じる。
前世の知識があるからか、「血管に巡らせる」という人体のイメージも容易にできた。僕はその小さな塊を、呼吸に合わせて全身へと押し流してみた。
――その瞬間だった。
「っ……!?」
突然、目の前がぐわんと激しく揺れた。
ひどい目眩だ。全身の血の気が一気に引き、指先が恐ろしいほど冷たくなるのを感じる。息が苦しい。
これが『魔力枯渇』の症状だと気づく間もなく、猛烈な睡魔が襲いかかり、僕はそのまま泥のように意識を失った。
◇◇◇
「ふぇぇ……あぁぁん!」
翌朝。僕は強烈な空腹感で目を覚まし、たまらず泣き声を上げた。
胃袋が空っぽどころか、全身の細胞が「カロリーをよこせ!」と悲鳴を上げているような、経験したことのない飢餓感だった。
「あらあら、ルーク。どうしたの、お腹が空いたのね」
すぐにソフィアが駆けつけてくれ、たっぷりとお乳を飲ませてくれた。
しかし――正直に言って、全然足りなかった。満たされたのは胃袋の表面だけで、体の奥底の飢えは全く治まらない。もっと、もっと栄養が必要だ。
(でも……これ以上泣いたら、ママが困っちゃう)
僕は泣くのをやめ、空腹をぐっと飲み込んだ。
前世で長い闘病生活を送っていた僕は、痛みや飢えを「我慢する」ことには慣れきっていた。親に心配をかけたくないという思いが、赤ん坊の本能よりも勝ってしまったのだ。
夜、両親が寝静まると、限界まで魔力を練り上げて魔力の通り道を広げる。
魔力枯渇で気を失うように眠りにつき、翌朝、強烈な飢餓感で目を覚ます。
ソフィアのお乳を飲み、足りない分はひたすら前世で培った忍耐力で我慢する。
日中は言葉が話せないため、ただニコニコと笑って「手のかからない良い子」を演じ続けた。
そんな無茶な日々を繰り返すうち、僕の魔力量は、常人とは比較にならないほど異質なペースで膨れ上がっていった。
本来なら数年かけて広げるはずの魔力回路を、毎日無理やりこじ開け続けたのだ。
気がつけば、生後三〜四ヶ月を迎える頃には、僕の体の中には「常人の大人並み」の莫大な魔力が渦巻くようになっていた。
『魔力ゼロ』と判定された赤ん坊としては、信じられない成果だ。
しかし、その代償は確実に肉体へと現れていた。
急激な魔力回路の構築と、それに伴う膨大なカロリー消費。にもかかわらず、栄養源は母乳のみ。
結果として、僕の体からは赤ん坊特有のふっくらとした脂肪が完全に削ぎ落とされ、肋骨がうっすらと浮き出るほど、痛々しく痩せ細ってしまったのだ。
(毎日すごくお腹が空くし、体が細くなってきちゃったけど……まだ上手く喋れないしなぁ)
心配をかけたくない一心で我慢を重ねた結果、事態は思わぬ方向へと進んでしまっていた。
魔力は増えたが、このままでは栄養失調で倒れてしまうかもしれない。僕がそんな危機感を抱き始めていた、ある日のこと。
セオドアとソフィアが、僕の体の『異変』に気がついてくれたのだった。
◆◆◆◇◇◇◆◆◆
読んでいただきありがとうございます。
少しでも面白かったと思っていただけたら、ブックマークや評価を頂けると幸いです。
皆様の応援が、モチベーションアップの原動力となります。
毎日更新予定です。よろしくお願いします!!




