第三話:家族
辺境の町での新しい生活は、驚くほど穏やかに過ぎていった。
指輪の魔導具によって身分を隠したセオドアとソフィアは、町外れの小さな診療所で薬士として働き始めた。
二人の作るポーションは「安くてよく効く」とまたたく間に町で評判になり、アンナも元気いっぱいに看板娘兼ルークの世話係として働いている。
王都での重苦しい空気が嘘のような、笑い声の絶えない平和な日常。
しかし、そんな穏やかな日々の中で、セオドアとソフィアは我が子の『異変』に気がついていた。
ルークの成長速度が、明らかに異常だったのだ。
一般的な赤ん坊がハイハイを始めるのは生後八ヶ月前後、自力で立ち上がり歩き始めるのは一歳を過ぎた頃だと言われている。
しかし、ルークは生後三ヶ月を迎える頃には部屋中を猛スピードでハイハイして回り、五ヶ月になる頃には自らの足でしっかりと床を踏みしめ、トテトテと歩き始めていた。
身長に至っては、平均的な同月齢の赤ん坊と比べて頭一つ、いや二つ分は大きい。
「……あなた、ルークの成長が早いのは嬉しいのだけれど、なんだかおかしくないかしら?」
「あぁ、私も気になっていた。いくらなんでも早すぎるし……何より、体が」
二人が最も懸念していたのは、その成長スピードに肉体が追いついていないことだった。
普通、赤ん坊といえば手足にぽっちゃりとしたお肉がついた幼児体型になるものだ。しかし、ルークの体には特有の「むちむち感」が全くない。
むしろ、少し肋骨が浮いて見えるほど痩せ気味だった。
嫌な予感がしたセオドアは、急いで引き出しから医療用の『身体情報解析』の魔導具を取り出し、淡い光をルークの体にかざした。
空中に浮かび上がった文字を見て、セオドアは青ざめた。
「こ、これは……『極度の栄養失調』!?」
「えっ!? あんなに毎日、たくさんお乳を飲んでいるのに!?」
ソフィアが悲鳴のような声を上げた。
彼らは知る由もなかったが、ルークは、セオドアとソフィアの話を理解し、赤ん坊の頃から密かに体内で魔力を練り上げるトレーニングを繰り返していたのだ。
さらにルークの他の子供よりも一回りも二周りも大きい体は、常人とは比較にならないほどの激しいカロリーを消費し続けていた。
「私の……私のお乳の栄養が足りていないのね。ごめんね、ルーク……!」
「ソフィア、自分を責めるんじゃない。ルークの体質が特別なんだ。至急、対策を打つぞ!」
その日から、ルークを健康にするための家族の総力戦が始まった。
ソフィアは自身の母乳の栄養価を極限まで高めるため、食生活を根本から見直した。栄養価の高い薬草や木の実をすり鉢で挽き、目分量ではなく数グラム単位で精密に重量を量って調合し、特製の滋養スープを毎日飲んだ。味は最悪だった。
セオドアはアンナと共に町中を駆け回り、良質な山羊のミルクや、赤ん坊でも消化できる特別な栄養食を大量に買い求めた。さらには、町で子供を産んだばかりの健康な母親たちを複数人「乳母」として高給で雇い入れた。
当然、そんなことをしていれば、王都から持ち出した一袋の金貨などあっという間に底をつく。
みるみる減っていく資金。しかし、セオドアに迷いはなかった。彼は自身の親から「本当に困った時に使いなさい」と託されていた先祖代々伝わる高価な宝飾品などの遺品を躊躇なく質屋に持ち込み、すべて売り払ったのだ。
「お金なんて、また稼げばいい。ルークの健康には代えられないさ」
セオドアはそう笑って、徹夜でポーションを調合し、自作の便利な魔導具を町で売り捌いてはルークの食費を稼ぎ出した。
両親の狂気的とも言える深い愛情と、惜しみない努力。
その甲斐あって、ルークの体はみるみるうちに変化していった。生後半年を少し過ぎた頃には、浮き出ていた肋骨は消え、代わりに赤ん坊とは思えないほど引き締まった筋肉が薄っすらとつき始めていた。
◇◇◇
そして、ある日の夜。
診療所の居間で、ソフィアが作ってくれた柔らかい煮込み料理をペロリと平らげたルークは、暖炉の前で寛ぐ両親の元へとトテトテと歩み寄った。
「パパ、ママ……あのね」
生後半年とは思えないほどはっきりとした口調で、ルークは小さな頭を下げた。
「ぼくのせいでお家、なくなっちゃって……ごめんなさい」
「え……?」
ルークの言葉に、セオドアとソフィアは目を丸くした。
ルークの頭の中には、あの王城での出来事がしっかりと記憶に残っていた。
自分が「魔力ゼロ」と判定されたこと、そしてそれが理由で、この両親が大きなお屋敷から追放されてしまったのだという事実。
前世でずっと病室にいて、親に迷惑ばかりかけていたという負い目があるルークにとって、今世でも自分のせいで優しい両親からすべてを奪ってしまったことが、ずっと胸の奥にトゲのように刺さっていた。
「ぼくに魔力がないから……パパとママ、王様から怒られちゃったんでしょ? お金も、いっぱい使わせちゃった……ごめんなさい」
小さな肩を震わせるルーク。
しかし次の瞬間、ルークの体はふわりと温かい腕の中に包み込まれた。
「……何を謝ることがあるんだい、ルーク」
「そうよ。あなたは何も悪くないのよ」
見上げると、セオドアとソフィアがとびきり優しい笑顔でルークのことを見つめていた。
セオドアはルークの頭を大きな手で撫でながら、ゆっくりと語りかける。
「いいかい、ルーク。あの大きなお屋敷にいた頃、私とソフィアは貴族の義務や魔導研究に追われて、とても忙しい日々を送っていた。もしあのまま王都にいたら……きっと、お前と一緒に過ごす時間なんて、ほんの少ししか作れなかっただろう」
「……」
ソフィアがルークの頬にすりすりと顔を寄せた。
「でも今は違うわ。毎日あなたと一緒にご飯を食べて、あなたが歩けるようになったのを一番近くで見守ることができる。
……お屋敷にいた頃よりも、家族みんなで一緒に過ごせる時間がいっぱい増えて、パパもママも、すっごく幸せなのよ」
地位も、名誉も、財産も。
そんなものよりも、家族揃って笑い合えるこの小さな診療所での生活の方が、何倍も価値がある。二人の瞳には、一点の曇りもなかった。
「だからね、ルーク。魔力がないことなんて、これっぽっちも気にしなくていい。お前はただ、いっぱい食べて、元気で健康に育ってくれれば、それだけでパパ達は世界で一番幸せなんだ」
セオドアの言葉に、ルークの瞳からポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
(……あぁ、なんて優しい人たちなんだろう)
前世でも今世でも、自分は本当に親に恵まれている。この二人の子供に生まれてこられて、本当に良かった。
「う、うん……っ! ぼく、いっぱい食べて、すっごく強くなる!
そしてパパとママのこと、ぼくがぜったいまもるから!」
「ははは、それは頼もしいな」
「ふふっ、期待しているわね、私たちの小さなナイト様」
温かい暖炉の火が照らす部屋の中で、三人はいつまでも抱き合って笑い合った。
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