第三十七話:終結
東のゼント王国軍を完全に退けた、数日後。
セオドアは、王都にいる旧知の有力貴族、マクシミリアン公爵と極秘に魔法通信を繋いでいた。
「――というわけだ。東の軍勢は完全に崩壊し、敵将はこちらで確保している」
『なんと……。たった十数人で三千の大軍を退けたばかりか、無傷だと? 相変わらずの夫婦だな』
通信の向こうで、公爵が呆れたようなため息をつくのが聞こえた。
「公爵。この防衛戦の勝利の功績は、すべて『あなたの采配と戦略』によるものとして、王都で大々的に発表してくれ。我々夫婦の名前は、一切伏せるように」
『……本気か、セオドア。今お前たちが王都に戻れば、間違いなく国の英雄として最高の地位で迎えられるぞ?』
「辞退させていただきます。」
セオドアの隣で、ソフィアがキッパリと言い放った。
「私たちはもう、王家のしがらみや貴族のドロドロとした権力争いには二度と関わりたくないの。これからは愛する息子と、辺境で静かに暮らしたいのよ」
「そういうことだ。今後の王都の技術的な発展や復興には、影からいくらでも協力しよう。だが、我々が貴族社会に戻ることは絶対にない」
セオドアの固い決意に、通信の向こうの公爵はしばらく沈黙し、やがて静かに笑った。
『……よかろう。では、この奇跡の勝利は私の功績として大々的に利用させてもらう。西の敗戦で実権を失った愚王を引きずり下ろし……辺境の塔にいる『アイリス王女』を、新たな国の象徴として私が擁立しよう』
こうして、王都の政治のうねりは、辺境の少女の運命を大きく変えることになった。
――数日後、忘却の城
アイリスを王都へと迎え入れるため、マクシミリアン公爵の遣わした豪奢な馬車と、厳格な近衛兵の一団が到着していた。
アイリスは、これまで着ていた質素な服ではなく、王女としての気品あふれる豪奢なドレスに身を包んでいた。
その周囲には、彼女を『次期女王』として担ぎ上げようとする貴族の使者たちが壁のように立ち塞がっており、辺境の護衛兵や、その子供であるルークが気安く近づけるような空気ではなかった。
(ルーク様……)
馬車へと乗り込む直前。
アイリスは、遠く離れた護衛隊の列の中にい少年の姿を見つけた。
言葉を交わすことは許されない。けれど、アイリスは真っ直ぐにルークを見つめた。
『私は、行ってきます。この国を、平和にするために』
ルークもまた、何も言わずにアイリスを見つめ返していた。
『大丈夫。パパとママが一緒だから、絶対に君を守ってくれるよ』
言葉はなくても、お互いの思いは痛いほど伝わっていた。
アイリスとルークは、視線を絡ませたまま、ゆっくりと遠ざかっていく馬車の中で、無言の別れを告げたのだった。
――王都
アイリスを新たな王に擁立する『アイリス派』の貴族たちは、マクシミリアン公爵の巧みな扇動により、瞬く間に王都の政治を席巻した。
完全に実権と求心力を失ったヴィルヘルム王は、ついに次期女王候補である実の娘、アイリスとの直接会談の場を設けることを余儀なくされた。
王都、玉座の間。
重苦しい空気が漂う中、重厚な扉が開き、アイリスが静かに足を踏み入れた。その後ろには、正体不明の凄腕の護衛として、フードを目深に被った一組の男女が付き従っている。
「……よく生きて戻ったな、アイリス」
「お久しぶりでございます。お父様」
玉座に座るヴィルヘルムは、忌々しげにアイリスを睨みつけた後、その後ろに控える男女へと鋭い視線を向けた。
「公爵から報告は受けている。辺境の防衛戦で、たった数人でゼントの大軍を壊滅させたという正体不明の魔法使いの夫婦だな。……貴様ら、一体何者だ?」
王の問いかけに対し、男――セオドアは、静かに一歩前に出た。
「ご無沙汰しております、陛下」
セオドアは、右手に嵌めていた『認識阻害の指輪』を外した。隣に立つソフィアもフードを下ろし、同様に指輪を外す。
見覚えはあるが、誰だか思い出せない……そんな二人の顔が、はっきりと王の目に映り込んだ。
「なっ……き、貴様らは……っ!?」
ヴィルヘルムは、幽鬼でも見たかのように玉座から腰を浮かせた。
彼らが何者かなど、誰よりも王自身が知っている。かつてこの国を支え、自らが嫉妬と保身のために追放した最強の宮廷魔導士夫婦であった。
「セ、セオドア……! ソフィア……! なぜ貴様らがこの国に……いや、あの辺境の城にいるのだ!」
「私たちの思い出の地が、たまたまアイリス様がいらっしゃる場所だったのですよ。運命とは、数奇なものです」
静かに微笑むセオドア。
一方、誰よりも驚いていたのは、他でもないアイリスであった。
「えええっ!? ソ、ソフィア様たちが、あの……お父様が追放した貴族だったのですか!?」
アイリスは目をまん丸にして二人を見上げた。彼女にとって、二人はただの「ルーク様の優しくて強いご両親」という認識でしかなかったのだ。
驚愕と混乱が渦巻く中、ヴィルヘルムはギリッと奥歯を噛み締め、何かを決断したような顔で口を開いた。
「……公爵。それに、セオドアとソフィアよ。少しの間、下がってはおれまいか」
「陛下?」
「これからの国のことについて……娘と二人だけで、腹を割って話がしたいのだ」
王のその言葉に、セオドアたちはアイリスと顔を見合わせる。
アイリスが小さく、しかし力強く頷いたのを確認し、セオドアたちは「何かあればすぐに踏み込める距離」まで、静かに後退した。
没落する国の王と、新たな光として祭り上げられた王女。
二人の因縁が今終わろうとしていた。




