第三十二話:不意打ち
アイリスが幽閉されている塔を擁する『忘却の城』。
それは東の国境側、町全体をぐるりと囲う外壁の一部として、敵国に向けて大きく出っ張るように建てられた最前線の砦である。
地平線を埋め尽くすように現れた東のゼント王国・先遣隊。およそ三千にのぼるその軍勢は、城の正門の真正面に密集し、横隊に並んで陣取っていた。
広範囲殲滅魔法を操る術者など、こんな辺境にいるはずがないという侮り。
そして「この門さえ突破すれば、背後に広がる町など赤子の手をひねるように蹂躙できる」という、圧倒的な数の暴力が生み出した慢心の陣形であった。
「……さすがに、あの数はエグいな」
城壁の上に並んだ十数人の護衛隊たちに、一瞬の動揺が走る。
ルークやセオドアたちとの特訓で、個々の戦闘力は飛躍的に上がっているとはいえ、二百倍以上の戦力差を前にすれば、どうしても本能的な恐怖が足をすくませる。
――その時、美しい歌声が聞こえてきた。
城で一番高い場所。町と敵軍の両方を見渡すことができるアイリスの塔の最上階から、美しく澄んだ『歌声』が響き渡った。
『――♪』
それは、王族の一部にのみ伝わる『戦の歌』。
無断使用は固く禁じられている秘術だが、今のアイリスにとって、そんな規則など知ったことではなかった。
魔力を帯びたその歌声が風に乗って兵士たちの耳に届いた瞬間、彼らの内から湧き上がっていた恐怖が嘘のように消え去った。
代わりに、全身の血が沸騰するような強烈な戦意と勇気が爆発的に満ちていく。
「おおおおっ!! 力が湧いてきやがる!!」
「一歩も引くか! 俺たちの城と町を、絶対に守り抜くぞ!!」
護衛隊の士気が、最高潮へと跳ね上がった。
一方その頃。
町の中心近くにあるルークの自宅では、ルークが両親に向かって真っ直ぐに頭を下げていた。
「パパ、ママ。僕も、戦いに出るよ」
「……ルーク」
「僕……まだ子供だし、人を斬る覚悟が本当にできているのかは分からない。でも……ここで安全な町に隠れて、お城の護衛のオジサンたちが倒れたら。アイリスの命が奪われたら……絶対に、一生後悔する!」
震えを抑え込むように拳を握りしめ、ルークは断固たる決意を口にした。
ソフィアは何も言わず、ルークの前に膝をついた。
そして、セオドアの作った魔導鎧をルークの体にあて、ベルトを一つ一つ、祈りを込めるようにしっかりと締めていく。
セオドアもまた、息子の瞳に宿る決して曲げられない意志を感じ取り、止めても無駄だと悟った。
「ルーク。これを持っていきなさい」
セオドアが差し出したのは、彼が更なる改良を重ねた『魔剣』だった。七歳の子供が持つには、あまりにも巨大な大剣だ。
「絶対に、死ぬな。お前が生きてさえいれば、パパとママが必ずお前を助け出す。だから……思いっきりやってこい!」
「……うんっ!!」
ルークは軽々と魔剣を背負い、両親と共に町を駆け抜け、最前線である正門へと向かった。
走りながら、三人は手短に作戦を共有する。
「いいかい、ルーク。パパはまず、町全体を覆う『絶対防御の結界』の構築を最優先する」
「結界が完成し、安全が確保でき次第、パパとママの二人で敵陣に先制攻撃を叩き込むわ。ルーク、あなたは残党の相手をお願いね」
正門に到着すると、護衛隊の兵士たちが力強い顔つきで待機していた。
セオドアが前に出て彼らを鼓舞し、戦術の指示を出そうと口を開きかけた――その時だった。
『ええい、いつまで待たせる気だ! 降伏せぬというなら、まずあの目障りな塔をへし折ってくれよう!!』
城からの返答に痺れを切らした敵の指揮官が、部下に命じて一発の魔法攻撃を放った。
それは、町で一番高く目立つ建造物――アイリスがいる塔をピンポイントで狙った、巨大な火球だった。
ドゴォォォォォォンッ!!!!
凄まじい爆発音と共に、塔の最上階付近が激しい炎と黒煙に包まれた。煙が酷すぎて、塔の原型が保たれているのかどうかすら下からは確認できない。
「あっ…………」
ルークの頭の中で、何かが『ブツリ』と千切れる音がした。
(塔が、破壊された……?)
(ア、アイリスが……こ、殺された!?)
「ルーク!? 待ちなさい、ルーク!!」
ソフィアの制止の声は、もうルークの耳には届いていなかった。
ルークの瞳孔が開き、全身の毛穴から爆発的な魔力が噴き出す。
彼はその莫大な魔力を、一切の出し惜しみなく【肉体強化魔法】へと変換し、全身の細胞に行き渡らせた。
「アァァァァァァッ!!」
獣のような咆哮と共に、ルークは背中の大剣を抜き放ち、地面を蹴った。
ドガァッ! という地響きを残し、ルークの体は十メートル以上ある正門の城壁を『一跳び』で軽々と飛び越え、そのまま三千の敵軍のド真ん中へと、単騎で突っ込んでいったのである。
「待てルーク!! 塔にはパパの強力な結界が張ってあるから、あんな攻撃じゃ傷一つ付かないんだ!!」
セオドアは城壁の上から必死に叫んだが、音速を超えて敵陣へ突撃していくルークの耳には届かなかった。
「開門ッ!! 正門を開けなさい!! 私も行きます!!」
「ソフィア! ルークを頼む! 私は急いで町全体を覆う防御結界を完成させる!!」
青ざめたソフィアを先頭に、護衛隊の面々が怒涛の勢いで正門を開け放ち、ルークの後を追って出撃していったのだった。




