第十八話:人を斬るということ
「お前は、人を斬ることができるのか?」
父さんの静かな、けれど重い問いかけが、頭の中で何度も繰り返された。
暖炉の火がパチパチと音を立てる暖かい部屋の中。ソファに深く沈み込みながら、ぼくはずっと自分の両手を見つめていた。
前世の記憶。
ぼくが生きていた『日本』という国は、異常なまでに平和な世界だった。
子供が一人で道を歩いていても、突然誘拐されることなんて滅多にない。夜道で酔っ払いに絡まれることすら非常に稀で、ましてや『人を斬る覚悟』なんてものを持っている人間は、おそらく皆無だっただろう。
良くも悪くも、命のやり取りとは無縁の温室のような世界。
だが、この異世界は違う。
子供が攫われて奴隷として売り払われたり、路地裏に連れ込まれて乱暴されたり、道を歩いているだけで野盗や追い剥ぎに命を奪われる。
そんな理不尽が、ここでは決して珍しいことではないのだ。
ぼくは……慢心していたのだろうか。
師匠から剣の型を学び、前世とは比べ物にならないほど健康で強い肉体を手に入れた。
ついこの間は、スタンピードで押し寄せてきた魔物の群れを、この剣で打ち倒すことだってできた。
『ぼくは強い』。無意識のうちに、そう思い上がっていたのかもしれない。
魔物は斬れた。命の危機に瀕した町を守るためなら、ためらいなく剣を振れた。
でも、相手が『人』だったら?
もし、突然襲ってきた野盗を前にして、ぼくは躊躇わずにその命を切り捨てることができるのだろうか。
もし、明確な悪意を持った敵から刃を向けられた時、恐怖で足がすくんでしまったりしないだろうか。
パパやママ、大切な人を守るために、自分の手を血で染める覚悟が……本当に、ぼくにあるのか?
「…………」
深く考えても、答えは出ない。
ただ、胸の奥に渦巻くモヤモヤとした焦燥感だけが膨らんでいく。
気づけば、ぼくはスッと立ち上がり、壁に立てかけてあった愛用の木剣を手に取っていた。
じっとしてはいられなかった。
「あっ、ルーク坊ちゃま!? どこへ行かれるんですか、外はまだ寒いですよ!」
暖かい部屋を飛び出そうとしたぼくに、アンナが慌てたような声をかける。
「ごめん、アンナ! 少し体を動かしてくる!」
「えっ、ちょっと坊ちゃま!? 待って……」
アンナの制止する声も聞かず、ぼくは家の外へと飛び出した。
冬の刺すような冷たい空気が、火照った顔を叩く。それが今のぼくには、ひどく心地よかった。
庭の中央に立ち、息を吐く。
白く濁った呼気が空に溶けていくのを見届けながら、ぼくは無心で剣を上段に構えた。
――ふっ!
鋭い風切り音とともに、剣を振り下ろす。
迷いを断ち切るように。
自分の中にある弱さと甘さを、叩き潰すように。
ただひたすらに、剣を振る。
何度も、何度も、何時間も。
凍てつくような寒さの中、汗でびっしょりになるまで、ぼくは黙々と素振りを繰り返すのだった。




