第十一話:戦の歌
カーン、カーン、カーン――!
非常事態を告げるけたたましい警鐘が、冷たい風に乗って町中に響き渡る。
いち早く魔物の大群の接近を『千里眼』で察知し、見張りの護衛を通じて町へ警告を発していたアイリスは、塔の窓辺から祈るような気持ちで眼下の光景を見下ろしていた。
東の森から押し寄せる魔物の数は、決して大きくはないこの辺境の町の兵力に対して、あまりにも絶望的だった。
だが、町の人々は決して諦めることなく手に武器を持ち、東門へと集結していく。
実はこの町、辺境とはいえ、そんじょそこらの要塞都市とは比べ物にならないほどの強固な防衛力を誇っていた。他国に『千里眼』を持つアイリスを奪われることを危惧した国王が、念のために強力なバリスタなどの防衛兵器を多数配備させていたからだ。
(どうか、皆が無事でありますように……)
アイリスは集結した町の防衛隊を見つめ、胸の前で両手をギュッと組み合わせた。
全員が無傷で済むはずがないことなど、痛いほど分かっている。それでも、そう願わずにはいられなかった。
ふう、と一つ深呼吸をして、アイリスは静かに唇を開く。
そして、紡ぎ出した。
――王家に伝わる、『三種の歌』の一つを。
それは、聞く者の魂を震わせ、兵士を鼓舞し、普段以上の攻撃力・防御力・そして折れない勇気を沸き起こさせる魔法の歌。同時に、非戦闘員の心を穏やかに癒やし、民衆のパニックを防止する力を持った『戦の歌』である。
アイリスの透き通るような歌声は、風に乗り、町のすべての人の耳へと優しく、力強く届いていった。
「おお……! なんだか体の底から力が湧いてくるぞ!」
「恐ろしくない……女神様の祝福だ!!」
町の人々は歓声を上げ、武器を握る手に力を込める。
かつて大規模な戦に参加したことのある歴戦の兵士たちは、「なぜ辺境で王家の歌が聞こえるんだ!?」と驚愕しながらも前線を固め、アイリスの正体を知る一部の者たちは、塔を見上げて感謝の涙を流した。
国王の許可なく、王家の歌を使用することは重罪である。過去には、国家反逆罪に問われて死刑になった王族さえ存在した。
聡明なアイリスがそれを知らないはずはない。しかし、彼女にとって自分の命など、とうの昔にどうでもよくなっていた。
この冷たい塔の中で、ただ一人無駄に時間を過ごして朽ちていくくらいなら。私の歌で、町の人々が一人でも多く生き残ることができるなら――それこそが、私がこの世に存在した意味なのだと、アイリスは命を削るような思いで歌い続けた。
◇◇◇
「この歌は……王家の、『戦の歌』」
「アイリス様……」
診療所の庭でその歌を聴いたセオドアとソフィアもまた、塔に囚われている孤独な少女の覚悟を思い、静かに涙を流していた。
二人は元々、王城からの追手や監視の目を警戒し、前線には立たず「後方支援」に徹して死傷者を減らす方向で動こうとしていた。しかし、命懸けで歌うアイリスの声を聴き、己の保身を激しく恥じた。
「……身の安全のためとはいえ、我々は少し臆病になりすぎていたようだな。まさか、ルークと同じ歳のお方に教えられるとは」
「ええ。本当に、お恥ずかしい限りだわ」
セオドアとソフィアは見つめ合い、互いに深く頷いた。
そして、診療所の地下室に厳重に封印していた長箱を開け、二本の杖を取り出す。
それはかつて、二人が王城の天才魔導研究者と呼ばれていた頃に、古の名工が彼らのためだけに鍛え上げた『夫婦の杖』。同じ神木を素材として作られた二本の杖の違いは、先端に埋め込まれた核となる宝玉の色だけだった。
セオドアが深紅の宝玉の杖を握りしめると、かつての最強魔導士としての覇気が静かに立ち上る。
「じゃあ、僕も行くね」
ふと振り返ると、いつの間にか身支度を整え、おもちゃの木剣ではなく、本物の鉄の剣を腰に帯びたルークが立っていた。
「ルーク? 何を……まさか、お前も戦うつもりかい!?」
「いけないわ、ルーク! あなたはまだ子供なのよ、安全な地下室に……!」
慌てて止めるソフィアに対し、ルークは大人びた、酷く落ち着いた口調で告げた。
「僕は、パパとママの子供だ。だから僕も一緒に戦うよ」
「ルーク……」
「それに、僕には力がある。……昔、強くなってパパとママを守るって約束したよね?」
ルークの真っ直ぐな瞳。その言葉には一片の偽りも、気負いもない。
ソフィアはルークの放つ静かな、けれど圧倒的な圧力と闘気を感じ取り、なぜか「この子なら絶対に大丈夫だ」と理屈抜きで思わされてしまった。
二人は顔を見合わせ、やがて諦めたように息を吐く。
「……わかったわ。三人で一緒に戦いましょう。その代わり、どんな怪我をしてもママが絶対に治すから、必ず私の目の届く範囲にいること! いいわね!?」
「ルークに近づく敵は、パパの魔法で全て塵にして排除しよう」
「ふふっ。二人とも過保護だなあ」
過激な護衛宣言をする両親に、ルークは嬉しそうに笑った。
「パパとママはすごいんだから、僕だけじゃなくて、前線で戦う町の人たちのこともちゃんと助けてあげてね!」
そんな強くて温かい家族のやり取りを見守りながら、救護用の包帯やポーションの準備を手伝っていたアンナは、ポロポロと涙をこぼしていた。
「セオドア様、ソフィア様……ルーク坊ちゃま。どうか、ご無事で……っ」
鳴り止まない警鐘と、町を包み込む勇気の歌。
最強の魔導士夫婦と、規格外の力を持つ少年は、愛する町と『塔の上の少女』を守るため、魔物の大群が迫る東門へと駆け出した。
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