第十話:ルークの初恋
初めて塔に住む少女の姿で見たあの日から、ルークの心は完全に囚われてしまっていた。
(あんなに遠かったのに、僕に向けて笑ってくれた……? 手を、振ってくれた……?)
直接会って言葉を交わしたわけではない。それに、夜の暗闇でこれだけ距離が離れているのだから、冷静に考えれば『気のせい』だということはルークにも分かっていた。
それでも、彼女の儚げな顔や、花が咲いたような笑顔を思い浮かべるだけで、トクトクと鼓動が早くなる。どうしても、彼女の本当の声を聞いてみたいと思ってしまうのだ。
「ルーク? あらあら、どうしたの? スプーンが止まっているわよ」
「えっ!?」
朝食の席で、ソフィアの声にルークはビクッと肩を揺らした。
気がつくとシチューをすくったスプーンを持ったまま、完全に上の空で固まっていたようだ。
「昨日夜更かしして肝試しなんて行ったから、まだ眠いのかしら?」
「う、ううん! なんでもないよ!」
「……ははーん?」
慌ててシチューを口に運ぶルークを見て、ソフィアは何かを閃いたように目を輝かせた。
「まさか、町で可愛い女の子のお友達でもできたの!? もしかして、恋!?」
「こ、恋!?」
ルークは思わずむせそうになった。
前世では入退院を繰り返しながらも仲の良い異性の友人はいたが、「恋」というものをした経験は一度もなかった。だからこそ、この胸を締め付けるような不思議な感覚の正体が分からなかったのだ。
「ねえママ。恋って……なんなの?」
「うふふ……恋っていうのはね、パパとママが王城の研究所で初めて出会った時のように、目が合った瞬間に雷に打たれたような衝撃が走って――」
「そう、あれは運命だった。君のママが落とした書類を私が拾おうとして、手が触れ合った瞬間に――」
どこからともなくセオドアが会話に乱入してきて、そこから延々と「パパとママの劇的な出会いと甘いロマンス」を聞かされる羽目になってしまった。
いちゃつき始める両親を前に、ルークは(聞く相手を間違えた……)と深いため息をついた。
だが、二人の惚気話を聞き流しながらも、ルークは自分の胸に手を当てる。
(そっか。この、胸がギュッとなる感じが……恋、なんだ)
ルークはあっさりと自覚した。
自分は間違いなく、あの塔に閉じ込められている孤独な少女に恋をしてしまったのだと。
◇◇◇
その日から、ルークの日常に新たな『特訓』が加わった。
塔をよじ登るための訓練――ロッククライミングである。
「よしっ、今日も登るぞ!」
町外れにある直角にそびえ立つ断崖絶壁。ルークは指の力と体幹だけで、岩壁のわずかな窪みを掴んでスルスルと垂直の壁を駆け登っていく。
もちろん、白髪の師範との剣の特訓や、両親の診療所の手伝いも欠かさない。
そして夜になれば、塔がよく見えるあの高い木に登り、『遠視』を使ってこっそりと窓辺を眺める日々。運が良いと、月明かりに照らされた彼女の美しい顔を見ることができた。
(次の僕たちの誕生日に、絶対にあの塔に登って直接会いに行こう! ……でも、知らない男の子がいきなり窓から入ってきたら、怒られるかな……?)
自問自答を繰り返しつつも、ルークは彼女の誕生日に贈るプレゼントを考え始めた。
彼女はいつも、塔の窓から空を見上げている。きっと、大空を自由に飛ぶ鳥が好きなのに違いない。
「よし、手彫りの小鳥を作ってプレゼントしよう」
ルークは日頃から、お手伝いのお礼として手彫りの動物を作って町の子供たちに配っており、木彫りの腕前には自信があった。
大空を自由に舞う『羽ばたく鳥』をモチーフにしよう。彼女が少しでも外の世界を感じられるように。
そう決めたルークは、特訓の合間を縫って、丁寧に丁寧に木を彫り進めていった。
◇◇◇
温かい春は過ぎ、暑い夏、実りの秋、そして厳しい冬がやってきた。
「ルークよ。もはや、ワシから教えることは何もない」
雪が舞い散る草原で、白髪の師匠は満足げに頷いた。
「驚くべき速度で我が流派のすべてを吸収したお主は、今日から免許皆伝じゃ。これからは、毎日己自身で剣を振り続けなさい」
「おじい、いや師匠!……今までありがとう!」
「ルークなら何も心配はいらんじゃろうが……その圧倒的な力と剣は、どうか弱き者を助けるために使ってくれ」
そう言い残し、師匠は風のように町を去っていった。
ルークの作る『木彫りの鳥』は、実は秋の時点で完成していた。しかし、初恋の相手に贈る初めてのプレゼントである。「もう少し羽の形を滑らかに」「もっと本物っぽく」と、ルークはクオリティアップに余念がなく、冬の間もずっと磨きをかけ続けていた。
そして……
町が深い雪に閉ざされた数ヶ月の厳しい冬を越え、徐々に雪が溶け始め――いよいよ二人の『八歳の誕生日』が目前に迫ってきた。
まもなく聞こえてくるであろう春の音ではなく、町に響きわたったのは、けたたましい警鐘だった。
『緊急事態!! 東の森から、魔物の大群がこちらへ向かってきているぞ!!』
町民たちの悲鳴と怒号が飛び交う。
冬の間、魔物たちは深い森の奥で冬眠をしている。しかし、冬眠から目覚めて腹ペコになった魔物たちは極度に凶暴化し、数年に一度、大きな群れとなって人里や町を襲うことがあるのだ。
それが今、ルークとアイリスの住むこの町に、大きな黒い津波となって押し寄せてこようとしていた。
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