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憤怒の代行者  作者: KKSY
23/38

023 魔王様、落ちる

 切りよく、切りよく、きり……あれ?

 洞窟型ダンジョンは意外性も何もなく、普通にごつごつとした岩肌が露出している。

 もっとこう、外見は地味だけど中は豪華絢爛な城模様とか、辺り一面が紅蓮の溶岩が流れるマグマ地帯とか、実は海でしたー! とか。そういう意外性を求めていたのだが、幻滅である。失望、落胆。兎に角残念である。


 ダンジョン内の通路は幅が狭く、大の大人が三人も並んで歩けば隙間はない。代わりに天井は高く、大剣で縦切りする分には問題ないだろう。それだけあれば充分だ。


 落とし穴でも仕掛けてたのか、硬い地面が一部粉砕されており、ダンジョンモンスターの死骸が道の脇で山を築いている。


 屍山血河を築き上げた張本人といえば、奥の闇から返り血ひとつなくやって来る。栗色のツインテールも鮮やかなもので、例の侍女式なんちゃらで滅多刺しにしたのだろう。両手一杯にダンジョンから射出されたであろう刃物の山を抱えて大変満足げだ。


 何気に消耗品扱いだったらしく、無くなったらどうするつもりだったのだろうかと少し気になる。が、直接聞く気はない。誰が好き好んで秘密だらけのスカートの秘密を暴くのか。下手したら滅多刺しである。


 キャンは苦労して狩った初めての獲物を親に見せるような笑顔を浮かべ、両手一杯の刃物を差し出すよう僅かに動かした。


「大収穫ですっ!」


 興奮しているのか、鼻息が荒い。もしかしたら底を尽きかけていたのかもしれない。今度からはもう少し苦労を掛けないようにしようと心に決め、三秒で忘れた。


 取り敢えず新たな罠を設置されていないかを確認し、鷹揚に頷く。


「それは貴様が納めるが良い。俺には魔剣がある」


 黒鉄に輝く大剣を見せつける。二メートル超の魔王様が背中に吊って、地に擦れるか擦れないかの瀬戸際だ。少しでも気を抜けば剣先が地に擦れていざという時に後退出来ないという事故が発生しかねない。困りものだ。


 彼女は頷いて、キョロキョロと不思議そうに辺りを見回す。粉砕された地面と死体の山しかないが、何か気になるのか頻りに首を傾げている。


「どうした?」


 それに気づかない魔王様ではなく、当然尋ねる。

 キャンは首を横に振り、「いえ」と前置きしてから確信のない憶測を広げるように、自信に欠ける声音で、


「なん、と言いますか。変なんです。妙というか、噛み合ってないというか」


 要領を得ない言葉の羅列。その中から気になるものを抜粋して聞き返す。


「噛み合ってないとは? どう感じた」


 暗に感じたままを言葉にせよと告げ、期待に応えるべくキャンは命令に従う。


 石壁から飛び出る矢があった。その射線にダンジョンモンスターが飛び込んだ。

 突貫してくるダンジョンモンスターが居た。設置されていた落とし穴に落ちていった。


 噛み合っていない。ふたつの歯車が微妙にずれている様な、そんなギシギシ感。回転する度互いを削り合っているような些細な違和感。


 故に予測出来、だからこそ予想出来ない。


 思いもよらない相乗効果はかなりやりずらかった。


「…………」


 魔王様の意識が記憶の海を泳ぐ。銛を片手に、目的の獲物を見据えるが殺気に気付いたのか魚は遠ざかっていった。


(記憶では分からんか)


 歴代魔王の記憶に答えはない。ならば目で確かめ、耳で聞き、指で触れる事でしか謎は解けないだろう。


「行くぞ」


 いそいそとスカートの下に両手一杯の刃物を仕舞っているキャンに声を掛け、魔王様は歩き出す。


「ああっ! ちょっ、今仕舞って、待ってくださいよー!」


 置き去りをくらった彼女は大声で訴えるが、魔王様は止まらない。やっぱり、と諦めたように息を吐き、仕舞い切れなかった武器の山を放り捨てて後を追う。

 勿体無いとは思うが、魔王様に追従出来ない事と比べると迷う余地はない。自分の事など二の次である。


 しばらく歩いていると、魔王様が突然立ち止まる。キャンは斜め後ろを歩いていたので背中に頭をぶつけるなどというお約束はなかった。


 疑問符を浮かべて、キャンは魔王様の背中を見つめる。ついで、小さく、ほんの僅かに響いている足音に気付き、すっとスカートに手を這わせた。


「これは違うな」


 来た道から響く足音。ぽつりと溢れた魔王様の呟きは、キャンに先制攻撃を躊躇わせた。

 結果として、それは正しかった訳だが。


「うぉ~い!」


 ガシャガシャと金属鎧の擦れる音、聞き覚えのある嗄れた声。


 やって来たのは昨日酒場で逢った老人バグングである。


 彼は鉄兜を外して、滝のように流れる汗を首に巻いたタオルで拭う。ほっと一息吐いて、鉄兜を被り直した。


「ふう。やっと追い付いたぜ」


 金属鎧に全身を覆われると、その中身が老躯であると知らないひとが見たら一目では看破出来ないだろう。実際、ここまで活力に満ちた老人も稀である。


「また逢ったな。バグング」


 振り返り、何処か弾んだ声音。

 バグングはニヤリと返した。


「またなって言っただろうに。ったく、案内人も付けずにダンジョンに入る奴があるか普通」


 呆れと不機嫌さが入り交じった口調。


 バグングは、昨日酒場で魔王様が溢した言葉を思い出し、ならばダンジョンの案内人を買って出ようと待ち伏せていたのだが、魔王様達が酒場に寄る事なくダンジョンに突入した事を知ったのはそれから数分後のこと。つまりダンジョンの入り口から槍が飛び出し、キャンが掴み取ったすぐ後である。


 思いっきり親切心が空回りし、老人とは思えない走りっぷりで急ぎダンジョンに突入した。というのがバグングの事情。


「ふむ。ダンジョンには案内人を付けるものなのか」


「最初はな。ベテランにダンジョンの特色を説明して貰って、おっちぬ奴を減らそうってこった。まっ、あの死体の山を見る限りあんちゃん達なら問題ないみてぇーだけどな」


「……やはりダンジョンは訓練に丁度良い」


 誰にも聞こえない呟き。魔王様の頭の中はいつも魔族の事で一杯なのだ。


 振り返った関係で、道の先に背中を向けた魔王様。そんな彼に代わり通路の先を警戒するキャンは、奥の闇からキラリと光るものを見た。ひとつやふたつではない。瞬時に計測しただけで十を超えている。


 キャンの対応は素早かった。刃の煌めきを察知し、脚をたわめてスカートをたくしあげる。そこから刃物の数々が射出される――それよりも前に動く人物が居た。


「吹き散らせ」


 腰に携えた杖を抜き、力強い魔力の籠った言霊が紡がれる。言葉は力となって空間に作用し、煌めく飛翔物を言葉の通り吹き散らした。

 無風だった空間に突如として激しい旋風が巻き起こる。風が止む頃には、武器の山が壁にその凶刃を突き立てていた。


 キャンは驚きに目を見開く。己よりも速い反応速度。練り上げる魔力の精緻さ。行使する魔術構築の緻密さ。そのどれもが高水準。日々の努力の積み重ねが魔術の結果に繋がる。


 魔術師の質は行使する魔術で見極められる。

 何故なら努力の結晶である魔術に費やした時間が分かるからだ。


「むっ」


 誰が見ても完璧と言える魔術。だというのにバグングの顔は険しい。まるで不出来な創作物に溜め息を吐くような鼻息。

 不満を顔に現して、老人は杖を腰に差した。


 そして、にかっと歯を見せて苦笑する。


「やっぱダメだなあ。妻のようにはいかんわ」


 ガッハッハッハッハ、と哄笑。


 バグングの妻はこれ以上なのかと驚愕し、ここで殺すべきかとキャンは視線を鋭くさせる。魔王様、果ては魔族の脅威は即排除する。そこまで思考を巡らせて、そういえば魔王様は? と目を向ける。


「うむむむむむ」


 魔王様は何かに頭を悩ませていた。


 考える事が苦手な魔王様。実は背後から迫っていた刃物の山に気がついていない。が、どの道半径三メートルの認識範囲に入れば百でも千でも瞬時に対応して見せるので大した問題ではないのだ。


 では、魔王様が一体何に頭を悩ませているのか。

 その内容は単純明快。先程のキャンが言った噛み合わないという言葉である。


 噛み合わない、噛み合わない。一体何が噛み合わないのか、回る歯車がふたつ。ふたつの歯車がぐーるぐる。


 魔王様は混乱している。


「ま、魔王様あーっ!? 頭から煙出てます! すっごい出てます!」


「キャンよ。何故俺は頭が悪いのか。お前の疑問を解消する事すら出来やしないこんな脳みそ、今こそ入れ換えるべきだと思わないか?」


「止めてください! 死んでしまいます!」


 今までにない魔王様の様子にキャンは狼狽。珍しく弱気ながらもトンでも発言をする魔王様を正気に戻すべく頬をぺしぺしする。


 何故か魔王様がおかしい。


 その最もたる原因が自分の一言であると気づかずに、ハッと我に帰る魔王様の背中を鎧越しに擦る侍女。果たして意味のある行為なのかと疑問ではあるが、気持ちの問題なので細かい事は放っておけ。


 魔王様の身内贔屓は止まる事を知らない。その内、主従なのにやってる事が逆になるのではないか? そんな良からぬ不安がキャンの胸に去来する。ないない。


「む? キャンよ。服が少し裂けている。どれ、後で我が裁縫スキルを披露してやろう」


 もうダメかもしれない。


 後とは言わず今見せてやろうと何処からともなく裁縫セットを手に持つ魔王様。その辺の家事スキルは侍女の役割なのだが、そこで彼女は思い出す。


 今日という日まで侍女らしい事ってしたっけ?


 ガラガラと足元が崩れ、存在意義が落っこちていく錯覚。


「魔王様っ! それは自分で――」


「うむ。完璧」


「魔王様のバカあーっ!」


「むむ? じゃれたいお年頃なのか?」


 割りと本気の拳を叩き込むキャン。そんな彼女が傷付かないよう細心の注意を払って往なす魔王様。近接戦に於て魔王様に敵は居ない。


 右右左からの下段蹴り。一発ごとに大気が唸り、当たり判定が二回り程拡大される。拳に纏う衝撃波で岩壁が盛大に抉れた。


 キャンよりも速く魔王様を護ったというのに、まるっきり存在を忘れられているバグング。しょぼんぬとしょげながら、眼前の嵐をどうしようかと沈思黙考。熟考の末に落ち着くまで放置する方針をとる事に。


 死ねない理由がある以上、巻き込まれて死ぬのは御免である。


***


 嵐もといじゃれ合いが終わったのはそれから数分後のこと。肩で荒く呼吸を繰り返すキャン、対して、魔王様は汗が滲む程度である。


「どっからどう見ても十階級(ガラス玉)の実力じゃねぇよなー」


 そう訝しむバグング。魔王様は何言ってんだこいつといった風に、


「良くある話だろう」


「良くある話だな。少なくとも、そういう奴にはちょっとした前評判が付きまとってるもんだがね。気を付けろよ? 前評判のない奴が目に見える活躍をすると、インチキだなんだと騒ぎ立てるバカが居るからよ」


「覚えておこう」


 何かしらの妨害工作をしてくるのならそれなりの報復をする腹積もりである。

 力自体は十二分にある為、どんなに手を尽くそうとも目立つ事は避けられないだろう。回避する手立てとしては「何もしない」になるが、それではキャンを冒険者にした意味がない。


 バグングの案内の元、先へ進む。進んでいくと、ダンジョンの異様さに気付いたのか、バグングは思案顔を浮かべる。


 そう、先程からダンジョンはその構造を変化させ続けている。


 まるで迷路の如く同じ道を通り、新たに設置されたであろう罠。そして見掛けないダンジョンモンスターの数々。


「おかしい」


 ついにはそうまろび出る程。


「あんちゃん、嬢ちゃん。一度ここを出た方がいい、変だ」


 ダンジョンの異変を冒険者組合に報告する義務がある。


 命を懸けた探索よりも、報告する事が先決。

 そう投げ掛けるが魔王様は聞く耳を持たない。


「ならば、貴様ひとりで戻る事だな。我等はこの先に用がある」


「何言ってんだあんちゃん! ここは危険だ! 冒険者組合に報告して、少なくとも五階級(トパーズ)六階級(アメジスト)の冒険者に応援を要請しねぇと、っておい!」


 嗄れた声での制止。だが魔王様は止まらない。

 堂々と一歩大きく踏み出し、感圧式トラップの罠を踏み抜く。


 重い音を立てて天井が開き、大の大人が易々と潰されるであろう巨岩が流星の如く落ちる。

 狙いは魔王様、巨岩との距離残り五メートル。


 キャンとバグングが反応する暇すら与えず、流星は、魔王様の認識範囲である半径三メートルに侵入する。


 ――瞬間、ぱっかりと真っ二つに両断された。


 黒鉄の大剣を振り抜いた体勢。そんな魔王様の左右に割れた巨石は落下し、地に衝突する寸前で同時に蹴り飛ばされ、それぞれが岩壁に激突して停止する。

 隕石の如く落下する巨岩をそのままの尋常ではない落下エネルギーで地に衝突させる訳にはいかなかったのだ。


 土埃が舞う。巨岩は細かく砕け、岩壁は蜘蛛の巣状にひび割れる。パラパラと欠片が落ちた。


 一瞬での動作、神速の域に達したそれを認識する事敵わず。キャンとバグングの目には突然ふたつの巨岩が左右の壁に激突し、大剣を背に収める魔王様しか映らなかった。

 ただひとつ、翻る裏地が赤の黒いマントだけが魔王様が動いた徴証である。


「俺は、冒険者ではない」


 響くは重圧感に満ちた至極静かで、絶対零度のように冷めた声音。


「故に、俺が義務を果たす道理はない」


 決して荒くなく、逆に穏やかな口調。だからこそ、より不気味。


 バグングは一瞬で呑まれた。抵抗する事それ自体が意味を成さず、魔王様から醸し出される赤黒い力に意志力を侵食され、浅い呼吸を繰り返し脱水症状に陥る。

 心臓が痛い程早鐘を打ち、手足が痙攣して体温が低下する。

 頭痛と吐き気を催して、老人は屈するように膝を付いた。


「っ……。よせって、あんちゃん」


 絞り出された声は掠れていて、相当無理した事が窺える。


 だが、


「断る。この先に居るであろう天使とダンジョンマスターに話を聞くまで出る気はない」


「天使? マスター……?」


 そこで力尽きたのか、バグングは気を失った。


 前のめりに倒れた老人を一瞥して、魔王様は天井を見据え、声を大にして訴える。


「ダンジョンマスターよ。聞こえているだろう。貴様は人間嫌いだが、わざわざ人間に進んで危害を加える者でもない。代替わりしていないのなら、この老人を弾き出せ」


 二呼吸分程してから、バグングは淡い光に包まれる。一際強く瞬いたと思えば、次の瞬間には老人の姿は消えていた。


 魔王様の要望通り、ダンジョンの外かまたは何処かに弾き出したのだ。

 弾き出された老人は何処かの誰かに保護されて、無事に意識を取り戻すだろう。

 意識を取り戻した老人は諦めて冒険者組合に向かうのなら儲けもの。再びやって来るのなら愚かと罵るしかない。


 どの道この異変は今日限りのものだ。調査が入る頃には全てが元通り。いや、違うか。


(天使は殺さねばな)


 僅かな瞑目。次に開かれた時、その瞳は鮮やかに、然れど禍々しく、赤く輝いていた。

 天使に対する眷属の怒りを取り込み、湧き上がる力の濁流を実感する。


 魔王様の固有能力『憤怒の代行者』。怒りを赤き力に変換し、眷属全てに分け与える能力。

 王と民との怒りの循環は、止まる事なく力を溢れ出させる。


 赤と黒の入り交じった髪は赤一色に染まり、今は胸当てだが、脈のように引かれた赤い線は自己主張するように爛々と輝く。マントも同様で、裏に隠れた赤色が表の黒を侵食した。


 変化が起こったのは魔王様だけではない。


 眷属化の影響で瞳だけ赤黒かったものが、魔王様と同じく赤に染まる。栗色の髪は赤色が混じり、侍女服に至っては赤を基調としたものになった。


 魔王様が静かに問い掛ける。


「ここからが本番だ。ついて来れるな?」


 侍女は頷いて、芯のある声で答えた。


「何処までも」


 魔王様は満足げに頷いて、微笑する。

 硬く握った拳を引き絞り、狙うは岩に覆われた地面。


 「おお」とキャンは感嘆する。

 魔王城で壁をぶち抜きながら進んだ過去を懐かしく思い、ダンジョンに入ってからよく今まで壁や床をぶち抜かなかったと感心したのだ。


 拳から赤いオーラが迸り、力の度合いを示すように脈動する。


 鋭い呼気と供に、打ち出されるは神速の鉄拳。


 ダンジョンの壁や床は、特殊な鉱石で造られているのか冒険者がどんなに手を尽くそうとも壊れる事のない代物。

 電磁加速させたパイルバンカーを打ち付けても、逆に杭の方が耐えられずひしゃげるだろう。


 そんな床を、魔王様の拳が打ち砕く。


 耳障りな轟音が鳴り響き、岩壁に反響して喧しい。

 粉砕されるのは一部ではない。連鎖するように床の崩壊が広がり、落下したと同時に生き埋めにならないかとキャンの胸に不安が過る。

 そんなものは杞憂だった。


 落ちる浮遊感の中、下ばかり見ていたキャンは突然ふんわりと受け止められる。視線が上を向き、視界の中に見るだけで安心感を覚える存在が居た。

 そして気が付く、自分が優しく横抱きにされている事に。


「これはっ! お姫様抱っこ!!」


「貴様、姫なのか?」


 身も蓋もない一言。飽きれ顔の魔王様は、何処までも続く階下の暗闇を見据える。


「これ、何処まで続くんですかね」


「うむ。やり過ぎたか」


 キャンは超反応で魔王様にじと目を向ける。


「……何したんですか?」


「集めた魔力をブラスト仕様にしてな。こう、拳を打ち込むと前方に放出される、みたいな?」


「みたいな? じゃないですよ! なんかどんどん落下速度が増してきて怖い怖い怖い怖い怖い!!」


「何を今更、これぐらい自力で出せるだろうに」


「自分で加速するのと自然に加速されるとじゃ感覚が違うんです!! 伝われ、この思い!」


 当然伝わる事はない。


 ビュンッ! という勢いで落下していく魔王様。既に一キロぐらい落ちていそうではあるが、未だに底は見えない。


 速度に慣れたのか、キャンは手と脚で魔王様にガッチリ掴まりながら下を見る。


「……これ、何処まで落ちるんですかね?」


「うむ。ダンジョンは文字通り迷宮であるからな。空間をねじ曲げるなど造作もない」


「あれ? でもここって駆け出し冒険者でも楽に踏破出来るって」


「表向きはな。言ったであろう。ここからが本番だ、と」


 そういう意味かと納得し、しばしの間魔王様の腕の中で一息吐く。それぐらいは許されるだろう。

 甘えるように頬を擦り寄せて、強大な存在が確かにそこに在る事を実感する。


 猫のように目を細めて、ぽつりと呟いた。


「魔王様?」


「ん?」


「もう、何処かに行っちゃ嫌ですよ?」


 驚いたように目を丸くして、魔王様は微笑みを浮かべる。

 強く抱きすくめ、キャンの耳元で小さく囁く。


「俺が何処へ行こうと、ついて来るのだろう?」


 尤もである。


 魔王様が何処へ行こうと、喩え火の中水の中森の中、それこそ異世界だろうと付いて回る。そう決めている。


 返答は要らなかった。


 ふたりの姿は、闇へと消える。何処まで続く深い暗闇に呑み込まれるようにして、掻き消えた。

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