018 魔王様、見開く
一泊して、冒険者然とした格好をする為に旅人の服でも購入しようとしたが、そこでキャンの猛抗議が始まった。
「ダメです。これは私の大事なアイデンティティなんです! 取っちゃやです! 取っちゃやですーっ!」
表通りに響くキャンの叫び。民衆は何事かと注目し、野次馬が増え、痴話喧嘩かと人垣が築かれる。
「しかしな、キャンよ。冒険者がふりふりの侍女服とかないだろう」
尤もである。
そんな珍しく困った様子の魔王様。どうしたものかと悩むもキャンは不退転の構え。魔王様が折れるまで決して彼女は引かないだろう。
「私はレイモスさんから侍女式戦闘護身術を習ったんです! それは! この侍女服でしか為し得ない戦闘技術でですね!」
「なんだその意味分からん戦闘術」
尤もである。
(というか待て、その侍女式なんちゃらとはあれか? あのスカートたくしあげて小股おっぴろげのあれなのか? レイモスとは後日話し合う必要があるな)
何教えてんだあの野郎と固く拳を握り締め、泣き喚くキャンにどうしたものかと辟易する。
このままでは事が進まない。他人の我が儘を聞くのは癪だが、キャンは眷属、身内である。
これまで傍に付き従い。あの眠りに就いていた二十年間、たったひとり自分の目覚めを待っていた少女。少しくらいの我が儘を聞いても良いだろう。
そんな諦めが胸中に去来し、優しげに微笑んで侍女の頭を撫でる。
いや、それは撫でるというには力が入りすぎている
ぐしぐしと髪型を滅茶苦茶にされ、キャンは目をぱちくりと瞬かせる。
慈愛を含んだ微笑みを見て、キャンの赤黒い双眸に涙が溜まる。
余程嬉しいのか、勢い余って魔王様の胸に飛び込む始末。
周囲は何故か微笑ましいもの見る生暖かい眼差しで二人を眺め、誰とも知れず散り散りに去っていく。
だが、綺麗に終わらせないのが魔王様。
魔王様の胸に飛び込んだキャンだが、次第に増していく圧力にじたばたと暴れだす。黒い胸当てに押し付けられ、万力の如く締め付けられる。締め上げられている関係で声も出ず、掠れた声が意味を成す事はない。
ぐるりとキャンが白眼を剥く。泡を吹いてだらんと脱力する様は死人の様で、魔王様は何事もなかったかのように肩に担ぐ。
その顔は「一仕事終えたぜっ!」ってぐらい爽やかである。
最低? 外道? 人の気持ちを踏みにじるな? いやいや、我等が魔王様は身内にはとても優しいのである。
道行く人に奇妙な眼差しを向けられながら、適当なタイミングで裏路地へ入る。分かれ道で表通りに戻る為の道とは反対へと行き、しばらくすると立ち止まった。
面倒そうに吐息して、キャンをその場にやんわりと壁にもたれ掛かるように座らせる。当然、煉瓦で舗装された地面をわざわざ魔術で浄化してからだ。キャンを汚い所へ置くなど、言語道断である。
やがて魔王様が辿ってきた道から、三人の男が姿を現す。みな一様に見下すように嘲笑を浮かべ、顔からは育ちの卑しさを感じさせられる。見た目も薄汚い。腐って濁った汚臭が漂うようで、
実に不愉快だ。
「へへへ、あんたもそのガキ狙ってたのかよ。だが残念、そのクソガキは俺達が目を付けてたんだぜ?」
小太りの中年。前髪が後退している男は、行儀悪くズボンのポケットに両手を突っ込み、猫背という姿勢の悪さ。ニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべて、その目はあからさまな悪意に満ちている。
(分かりやすい)
二メートルを超え、軽装姿の関係で見える体の筋肉は誰が見ても分かる程に鍛え込まれている。そんな見た目の魔王様に臆した様子もない。余程の間抜けか、それとも実力差も見抜けない大間抜けか。どちらだとしても間抜けだという事に変わりはない。
魔王様は腕を組み、見下すように鼻を鳴らす。
「同類と思われるのは不愉快だ。面倒だが説明してやろう。狙っていたも何も、俺はこの娘の保護者のようなものだ。娘につき纏う害虫は、駆除するのが親の務めだろう?」
冗談めかすように言ってのける。
バカにされたのが分かったのか、男の沸点が低いのか、挑発されたと分かるや怒りで顔を赤くし懐から短剣を取り出した。
男達は甲冑を着ていない。布の服装だけで、武器らしい武器も忍ばせていた短剣のみ。だが、
(ふむ。視線の置き方、短剣の構え、安定した重心。お粗末ではあるが洗練されたものだ)
玄人ではないが素人でもない。が、対人戦の心得のある構え。
騎士や衛兵、傭兵などは見た目から判断するに違うだろう。それ等を除くと、対人戦の心得がある者などは限られる。
「十階級以下のゴミクズが、この七階級様に歯向かうかよ。身の程ってもんを教育してやる。おい! 構えろ!」
男の号令に、嘲笑を浮かべていた残りの二人が同じ様な短剣を出す。構えの割りに、新品同様の使い込まれていない短剣。キラリと輝く刃に、魔王様はぽんと手を叩く。
「ああ。貴様等もしや、キャンに絡んだ末に装備を破壊されたな?」
ピキリとヒビが入る音がして、男達が固まる。図星らしい。
「成る程、成る程。自慢の装備を壊されれば報復したくもなる」
うんうんと頷く魔王様。
合点が行き、出そうで出なかったくしゃみがようやく出た時のような爽やかな笑顔。
「――が」
一転して、その赤黒い瞳に冷酷な光が灯る。
「責任転嫁は些か不愉快だ」
ゾワリと、心臓を直に鷲掴みされたような恐怖が、体の四肢をもがれるような寒気が、男達を包み込む。
「貴様等がキャンに絡んだのは貴様等の責任で、装備を破壊されたのは己の不始末だ。酔った勢いか何か知らんが、逆怨みされた方の身にもなってみろ? 実に面倒だ」
不愉快ではあるが、憤りはない。
魔王様にとって、ファスト大陸に棲む人類は観察対象に過ぎない。王国を滅ぼす為に必要な生態観察。対象から威嚇された程度で怒りを抱くかと言われれば答えは否。
もしも魔族の島で人間に同じ様な絡まれ方をしたら、その瞬間汚いミンチが出来上がるだろう。
魔王様の理性的な受け答えは、下等生物に対する機械的なまでに無機質な感情しか生まないが故に為せる業で、どのような反応を示しているのかを記録しているに過ぎない。
それとは別に、もしも怒りが湧くのだとしたら、それは、身内に良からぬ手が伸びようとしている時だろう。
「面倒ではあるが」
ズンと、圧力が増す。男達が正気を保っているのが不思議なくらいで、滲む脂汗はコップ何杯分なのかは不明。極度の緊張に脱水症状が起こっている。
「手を出す相手を間違えたな」
すっと目が細められる。声音はより平坦なものになり、感情による揺れ幅はない。
感情を排し、然れど湧き上がる怒りに力が増す。
「ただでさえ俺に依存的であるというのに、自分のせいで俺に迷惑を掛けたと知れて見ろ。壊れかけの精神が完全にイカれるであろうが。冒険者にし、様々な事を触れさせ情緒を快復させようと目論んでいるのに、しょっぱなから躓くところだったではないか」
栗色の少女が目を覚ます様子はない。確かに意識がない事を目視で確認し、血のように赤い瞳をカッと見開く。
そして、静かに、ゆっくり、紡いだ。
「ただで死ねると思うなよ?」
***
マスキエルが魔王城を歩いていると、奇妙なゴーレムと出会した。
花瓶の水を入れ換える作業をしているようだが、やけに動きが人間的だ。普通、もっと正確無比を地で行く程に作業的なのだが、もたついたり、花瓶を落としかけたりしている。
研究室でロサンティーヌに尋ねた。
「んー? あぁ、魔王様が試しにゴーレムに人間の魂をぶっ込めないかって無茶ぶりが来てね。今試験運用中なのよ」
「流石魔王様だ」
「いやこれ私が全部やったんだけど、まぁいいや、図書館様々だし」
***
「むぅー」
目が覚めてからというもの、キャンはずっとご立腹だった。
「どうしたキャンよ。便秘か?」
「……魔王様はあれです、デリカシーが足りません」
「すまんなあ、正直者で」
「殴りたい、この、魔王」
「割りと頻繁に殴られている気がするのだが?」
「殴られるような事を言うからですっ。ふんっ!」
上から、ダイヤモンド、エメラルド、ルビー、サファイヤ、トパーズ、アメジスト、真珠、琥珀、マカライト、ガラス玉。




