012 不信
一万超えました。
神藤祐介達が異世界に召喚されて一ヶ月の時が経っていた。
喚ばれた先は今にも戦争が勃発しそうな異世界で、ファスト大陸を災厄の魔王に征服されてから、2年の時が経っているらしい。祐介はそう教えられた。
異世界へ来た時、拓斗が居ない事にはすぐに気が付いた。
気付いてすぐ王女に問い詰めた祐介達はそこで驚愕の真実を知る事となった。
勇者召喚の儀式には大勢の生け贄が要る。十人や二十人ではない、一千人や二千人、ぼかされている可能性を考慮するともしかしたら一万かもしれない。兎も角正気を疑うレベルの人数だ。
当然、当時自分達の強さに浮かれていた彼等彼女等は頭を鈍器で殴られた様な衝撃を受け、比較的気の弱い者に至ってはショックの余りに寝込んでしまう程に。
今ではだいぶ持ち直した方で、時折散歩している所へ出会している。
召喚で命を使い、勇者に力を与える為に残りの命を使う。十七人の召喚は不測の事態だったらしく、もしかしたら不足分として拓斗は選ばれたのではないかと祐介は勘繰っている。
問い詰めた王女があからさまに脇へ置いて別の話題へと話を逸らしたのだ。そこに都合の悪いものを邪推し、拓斗の最期の瞬間を思えば充分に有り得る話だった。
あの時、召喚される一瞬前、拓斗は光の粒となって消え、その直後にあの魔法陣(正確には魔術陣)が現れた。
勇者神藤祐介をはじめとする彼等彼女等は、自分達を召喚した国。
レイリスに不信感を抱いている。
***
「――――」
思いを馳せる過去から、現在へと意識が戻る。
鈍い輝きを見せる甲冑着込み、腰には二本の剣。周囲は夜営の準備を進めていて、焚き火の弾ける音が耳朶を打つ。
夜の帳が下りて空を覆い、星と月が地上を照らしている。
思えば遠い所へ来たものだと我が事ながらに祐介は感心した。
「祐介」
声のした方へ顔を向ける。
そこには高坂南が居た。
日本では化粧をし、ギャル風だった彼女だが、ここ異世界では化粧品の類いの出来は日本に比べて悪く、更には高級品。肌に合わないと彼女は言い、現在は肌が小麦色に焼けている見た目健康的な女性だ。髪もショートボブにまで短くしている。
「ホントにアンタ大丈夫なんでしょうね?」
相変わらずの強く当たる様な口調。だがそこに含むものはない。言葉通りの純粋な心配である事は、長い付き合いの祐介には分かっている。
「大丈夫。誰も殺さない。誰にも殺させない。その為に俺は今ここに居る」
あの日の誓いを違える事は、絶対にしない。
言外にある強く固い意志を、高坂南は確かに察した。
彼女は深い息を吐く。
「お優しい事で」
苦笑する。
「優柔不断なだけだよ。二兎を追う者は一兎をも得ず。ただの我が儘だ」
「…………そうね。アタシはもう割り切っちゃったから、そう言えるアンタが時々羨ましい」
「南……、本当に帰る手段が見つかっても残るつもりなのか?」
「くどい。もうひとを殺しちゃったんだから、もし帰っても殺した事実は消えない。それに、これはアタシの八つ当たり。死んでもこの世界を赦したりはしない」
そう言い切って、彼女は去っていく。祐介はその背中を見送った。
拓斗が消えた事実に、一番取り乱したのは高坂南だ。周りが止めなければ王女を殺しそうな勢いで。だが彼女はすぐに落ち着きを取り戻した。
彼女の言葉通り、割り切って。
選んだのだ。日本を捨ててこの世界で生きる事を。
(俺は…………)
頭を振る。
(やっぱ我が儘だよな。誰も殺したくない、誰にも死んでほしくない、なんて)
未だに、祐介は異世界に順応出来ずにいる。それは祐介だけでなく、城に引き籠る彼等彼女等も同じで、例外が高坂南だ。
浮かれた思いはすぐに砕かれた。現実の冷たさは、常に力となって寄り添っている。
彼等彼女等が持つ力は、大勢の犠牲で成り立った代物で、意識から外す事は出来ない。
彼等彼女等にとって、殺しは忌避すべき事柄で、受け入れる事は不可能に近い。
当たり前だ。人死にから最も縁の無い日本人が、突然紛争地域に飛び込んだところで何も出来はしないのだから。それこそ、劇的な変心でもない限り。
ひとの気配が近付いてくるのが分かった。
「勇者様」
兵士のひとりだ。恭しく礼をして、彼はひざまずいて述べる。
「夜営の準備が整いました。御休み下さい」
「うん、ありがと。もう少し風に当たってるから、戻っていいよ」
兵士はまたひとつ礼をして、戻っていく。
祐介は憂いを含んだ溜め息を吐く。
以前に一度、彼は無礼講でいいと命じ、そして相手は国に罰せられた。彼等を思うなら、必要な事を聞いて下がらせる他ない。
窮屈だ。
半時程して祐介はようやく動き出す。
勇者の為に建てられた天幕は他よりも少し大きい。それが二つ、祐介と高坂南のものだ。
天幕の中には絨毯が敷かれていて、毛布が数枚、上等な枕もある。勇者が出張るだけで必要以上の経費が掛けられた光景に、祐介はぽりぽりと頬を掻いた。
人類の最終兵器として顕現する勇者。その不興を買いたくないという現れがここにある。重宝されていると言えばそれまでだが、人類にとって勇者は最強戦力だ。
些細な事でも変に勘繰る癖がここ一ヶ月でついてしまっている。それだけの事をされていた。
ランプには油がたんまりと注がれており、天幕を淡い輝きで満たしている。
運び込まれた食事は、塩の利いた干し肉入り栄養たっぷり野菜スープとチーズの入ったパンである。
夜風に当たり冷えた体を内側から温められ、鼻を啜りながらスープを飲み干しパンを胃に収める。
寝る時間にはまだ早く、剣の鍛練でもするかと外へ出る。
天幕の裏へと周り、地面に目立つ石などがないかを確認して、二本の剣を抜いた。剣はなんの変哲のない鉄製のもの。
異世界での師範に教わった型を反復練習して体に覚え込ませる。
殺す為の剣、殺す為の技。それ等を糧にして護る力としたい。祐介はそう考えている。
舞う剣には風が纏まりつき、轟、と唸りをあげる。剣舞が風を起こし、旋風となる。
風を切る鋭い音が途切れなく奏でられ、幾つもの剣閃が宙を走り、無限の時を刻む。
「――――ッシ!」
時を刻む。それは未来へ届ける剣戟。
祐介が最後の締めに入り、四方八方へと風が拡散しても続く剣閃の嵐。
過去の剣舞が、今に届けられたのだ。
剣閃が止む。息を吐いて、滲む汗を拭うと複数の視線を感じた。見ると、兵士達が覗き見ている。
適当に手を振ると、彼等は一礼して立ち去った。
祐介は握る剣を見つめる。
彼は召喚された勇者の中でも弱者の部類に入る。だが、力の使い方を理解してからは、強者の枠に収まった。
純粋な力では一歩遅れをとるが、この未来へと届ける斬撃が強者足らしめる。
だが慢心してはいけない。これは所謂初見殺し。タネを知られれば対策され、強みは消える。
現に祐介の師匠であるあのひとには通じなかった。
動きを予測し、そこに斬撃を置いても易々と避けられる。
(…………いやあれはレイモス師匠がおかしい)
青みがかった長髪の男性が脳内でキメ顔を決める。あれは間違いなく超人や変人の部類だ。
うんざりとした溜め息を吐いて、祐介は天幕へと戻る。
明日は山賊退治がある。今日の疲れを後日へ残す事のないように、軽いストレッチをして彼は毛布にくるまる。
しばらくして、祐介は穏やかに眠った。
***
山賊が絶える事はない。村から追放された村人、仕事にあぶれた傭兵、犯罪に手を染めて町へ居られなくなった犯罪者。
毎年毎年現れては領地を荒らしていく。山賊は各国共通の、目の上のたん瘤である。
誰も殺したくない。誰にも死んでほしくない。そんな考えを抱く祐介が山賊退治に参加した切っ掛けは、ちょっとした事だった。
「あいつの魂がこの世界に在る。でも生まれ変わってる可能性もあるし、到底見付けられない」
死霊術師の力を得た勇者の言葉だ。
あいつとは拓斗の事である。体は消滅し、然れど魂はこの世界に在る。携帯小説などにある転生を果たしているのか、生まれ変わって全くの別人として生きているのか、祐介に知る術はない。
けれど、確かめたくはある。
消える前の姿なら再会を喜ぶのも良い。別人に成っているのならその人生を見守りたい。そんな思いが確かにある。
(ここで活躍すれば、世界を旅する事も許可されるかもしれない)
逆に、こいつは使えると思われ、彼方此方に飛ばされる可能性もあるが、それでもよかった。世界を旅する事には変わらない。
(…………彼女は)
高坂南の心には、この世界に対する暗い怒りが根付いている。拓斗の魂の話はしてあるが、ばっさりと切り捨てられていた。
結局は別人、彼女はそう言った。
分からなくはない。理解出来るし、納得も出来る。
「――――」
神藤祐介と高坂南は違う。互いに尊重し合えるし、心を通わせる事も出来る。しかし、行く道が違う。
怒りがないと言えば嘘になる。レイリス国に思う所は多々ある。正直、仲間を連れてとっとと国を出たいと思う程には。けれど、実行するには余りにも世界を知らなすぎる。幾らかの準備が必要だった。
一行は街道を進み、山の麓、その手前で止まる。
山賊は山の廃坑に住み着き、その規模は三百まで確認されている。当然それだけの人数を養う為には食糧が要り、多くの村が襲撃を受けていた。
ここまで被害が大きくなった原因の一端は勇者召喚によるごたごたである。領主の怠慢もあるが、想定外の事態に混乱が伝播したのは事実。その隙に山賊は勢力を拡大していた。
とは言っても、所詮は山賊である。彼方此方に存在する山賊を集めても三百人。対して、五百の王国兵士に勇者が二人。戦力の差は歴然だ。
だから、王国兵士達は慢心していた。油断とも言ってもいい。
山の麓、その街道沿いは木々で囲まれていて、見通しが悪い。斥候を放っていたし、周辺の地図も完成させていた。
しかし、突如として四方八方から魔術が迫る。
咄嗟に対応できたのは三人。祐介、高坂南、そして総指揮官。
祐介は剣で魔術を落とし、高坂南は魔術で迎撃し、総指揮官は大盾で防ぐ。だがカバーし切れない。街道を歩いた王国軍は縦に伸びていて、後方まではカバーが届かないのだ。
「総員警戒! 副官っ、被害は!?」
総指揮官が指示を飛ばす。被害状況は負傷者か十数人。死者はゼロ。被害の少なさに安堵するも、その表情は張り詰めている。初手で場の流れを持っていかれた。
雄叫びをあげて、三百の山賊が坂道を駆け降りてくる。手練れの傭兵崩れでも混じっていたのか、やけに手際が良い。
「弓兵部隊、構え! 射てえ!」
百の矢が空に放たれ、放物線を描いて山賊へと降り注ぐ。
山賊には盾を腕にくくりつけた者が居て、立ち止まって盾を構える。盾のない者は陰に隠れたり、粗末な剣や斧で叩き落とすが、それ以外の者は脚や腕、肩や胸に矢が突き刺さり絶命する。
それでも二十人程度。山賊はまだまだ居る。
大気を震わせ、地響きを鳴らし、土煙を舞い上げて山賊は突撃してくる。呑まれれば蹂躙。後退もつっかえていて不可能。周囲は樹で、地の利のない兵士では逃げ切れない。
迎え撃つ他に手はなかった。
「ッ! 魔術部隊に詠唱をさせてください! 敵を抑えます!」
「勇者殿、出来るのかっ?」
「五分はもたせますよ!」
飛び出す。腰から二本の剣を抜いて、殺す為の剣技で、殺さない為に、祐介は舞う。
頼んでいない筈の高坂南が後に続き、魔術で祐介を援護する。
先行する山賊が風に巻き上げられる。魔術で切り裂かれ絶命する。側頭部を殴られて気絶し、膝から下を刈られて転倒する。
山賊の勢いは止まった。流れが変わり、形勢が逆転する。
だが、それも長くは続かない。
徐々に数で押され始め、殲滅が間に合わなくなる。少しずつ後退して粘るも限界はすぐに訪れるだろう。
高坂南が舌打ちをする。一撃必殺の魔術でも、一発一発に数秒の時間を取られる。威力を抑えて数を重視すると、祐介を巻き込む可能性が出る。
時間はない、すぐに決断する。
「――――約束は守る。殺さないし、死なせない。五分はもたせる」
言葉は、風に載って彼女の耳に届いた。
「――時限斬――」
瞬間、剣戟の嵐が起こる。祐介が過去から現在へと届けた剣閃が乱舞し、進軍していた山賊の丁度中央で巻き起こる。
山賊に動揺が走り、見えない剣戟に困惑している。
足は止まった。時は刻々と刻まれ、そして、
「水ノ陣、放てえー!」
後方の魔術部隊の詠唱が完了した。
津波を思わせる激流が、祐介と高坂南を避けて山賊を飲み込む。五十の魔術師による同時詠唱。ただの山賊が、それに耐えきれる道理はなかった。
揉みくちゃにされながら流された山賊は疲弊し、殲滅戦が始まる。残った三百五十の兵隊が剣を、鎚矛を手に山賊を蹂躙する。
流された山賊が起き上がる前に兜ごと頭を割られ、鎧の隙間から剣を差し込まれて絶命し、飛来する魔術に滅多打ちにされ、遠く離れた位置から放たれる矢に貫かれる。
そして、
「投降しろ!」
山賊退治は終わった。
戦意を失った山賊は、奴隷として南へと売られる。南の国は常に労働力を必要としていて、捕らえた野盗などを押し付けるのに最適だった。
山賊が強奪などで溜め込んだ装備や金品、そして捕虜は戦利品だ。今回出征した兵士達への補償として与えられる。
それが当然であるのだが、祐介は複雑な面持ちだった。
「持ち主に返したりはしないんですか?」
総指揮官に尋ねる。彼は首を振って肩をすくめた。
「持ち主が分からんのです。探したとして、偽者が湧き出るでしょう、労力には見合いません。運がなかったと諦めてもらう他ないでしょう」
少し考えれば分かる事だった。
それに帰るまでにも捕虜の世話がある。食糧だって要るし、逃げられないよう見張りを立てる必要だってある。
その上で金品の持ち主を探す。確かに労力には見合わない。徒労に終わる可能性だってあるのだ。
祐介は天を仰ぎ見る。もうすぐ夕焼け。今夜は山賊の根城を荒し、ここに夜営し、来たときと同じかそれ以上の時間をかけて帰る。
生まれてこの方20年。まだまだ青いお年頃なのである。
(あれもこれもなんて、無理な話で、いつかは決めなくちゃならない。んだよな)
鬱屈とした心情のまま、山賊が住み処にしていた廃坑へと潜る。ランプは消えていて、松明を片手に数人の兵士達と中を進む。
頻繁に分岐があり、進んだ先は高確率で落盤している。
兵士のひとりがマッピングして迷う事はないが、行き止まりに行き着くとうんざりとした。
暗い、狭い、じめじめする。悪環境が祐介の心をささくれ立たせていた。
「…………壊すか」
兵士達がぎょっとする。
「お待ち下さい勇者殿! 落盤を崩せば更に崩落の危険性があります!」
すがりつく勢いで諫言し、なんとか祐介を鎮めようとするが、彼の憤りが鎮火する事はない。
「いいや止めるな兵士さん。そもそもこんな廃坑残してる方が問題だ。いっそ崩してしまおうそうしよう」
「勇者殿が乱心したーっ! 押さえろ! 押さえるんだ! 勇者殿を外へ運びだせーっ!!」
「ちょまっ! 放せ! こんな場所埋めてやる! 埋めてやるんだ! っ!? 誰だ今尻撫でたやつ!? は・な・せ!」
わっしょい、わっしょいと兵士に運ばれる勇者祐介。なんとも滑稽な光景だが、彼等はみな真剣だ。
外へと運ばれる道中、祐介の耳が小石の転がる音を確かに拾った。
「――――っ」
より小さな音を拾おうと、意識を聴覚に集中させる。そして聴いた、僅かな呼吸音を。
恐怖と緊張から息を潜めているのか、呼吸音は震えている。
身を翻して、脱出。しゅたっ、と着地して兵士達に静かにするようにジェスチャーを送る。
彼等は顔を見合わせて頷く。
トロッコを走らせる為に敷設され、未回収のままのレール。そこに足を乗せて、音を立てないように進む。
すらりと剣を抜き、どんな事態にも対応出来るように身構える。
音がしたのは横穴の扉のない部屋。一度調べたはずのそこは、大の大人が隠れられる空間などない。
祐介は首を傾げたが、慎重さは変わらない。
逃げた小柄な山賊か、それとも出損ねた山賊か。どちらだとしても無力化する。
横穴を覗き込む。入り口付近から部屋を照らしても死角が出来るだけ、松明を中に放り入れて反応を待つ。
息を飲む音が聴こえた。
(居る。確かに居る。でも何処に?)
見渡しても、大人が隠れられる場所はない。
祐介はひと芝居打つ事にした。
「誰も居ないか、聞き間違いか?」
あからさまに足音を立て、松明を回収し、部屋を出た。その瞬間に剣を激しく打ち付ける。
耳をつんざく金属音。それと同時にガタンと揺れる音が祐介の耳に届く。
「そこかっ!」
剣を構えて突撃し、樽を蹴散らして相手の影を押し倒す。
「ん?」
やけに手応えがない。寧ろ力を入れたら壊れそうな手応え、更には柔らかな感触に疑問を抱く。
冬の寒さで悴む指先を思わせる体温、寒さのせいか小刻みに震える体と呼吸。そこまで確認して祐介はようやく気がつく。
自分が少女を押し倒している事に。
絵面はまさに強姦魔。いたいけな少女を襲う鬼畜野郎で、更に松明に照らされる少女の姿はあられもない。下半身が剥き出しである。
「ぁ――――」
喉の奥で掠れた声が漏れる。直視したくない現実に思考が停止すること数呼吸程。様子を見に来た兵士がその決定的瞬間を目撃する。
「…………」
絶句。兵士は目を真ん丸に見開いて絶句していた。
(このままだとマズイっ!)
そう考え、説明しようと口を開きかけて何かが崩れる音に気付く。先程の突撃で、棚の上などに乱雑に置かれていた物が振動で揺れ動き、傾いた音だ。
「――っ」
思考が挟まる余地はなかった。鼓膜の振動を脳が感知した瞬間には手と脚が動き、少女を抱いて飛び退いていた。その瞬間、硬質な音を立てて物が地面に激突する。間一髪であった。僅かにでも遅れていれば祐介はまだしも少女には大怪我となっていただろう。
少女からの抵抗はない。見知らぬ男に抱き寄せられたというのに拒絶する事なくじっとしている。体を固くしている訳ではない。寧ろ弛緩している。力を抜いて無力な状態。まるで抵抗するだけ無駄だと教えられたかの様だ。
「…………」
そこで気付く。腕の中の少女がここに居た理由を。
(そう、だよな。異世界だもんな)
薄汚れ、無気力で、下半身が剥き出し。ここまで条件が揃えば発想の乏しい祐介でも気付く。
この少女は、山賊の慰みものにされていたのだと。
緊張を解くと、確かに臭う。しかも強烈だ。思わず眉根を寄せる。
兵士は少女の状態をひと目見て、なんであるかを察した。その事をどう説明したものかと悩み、口をつぐんでいたのだ。
祐介は少女を連れて廃坑を出る旨を伝える。山賊は居ないだろうから、自分達の判断で戻ってきて良い。そう伝えて、廃坑を出る。
方向感覚には自信があり、来た時と逆転していても迷う事なく外へ出る。
腕の中の少女は夜になり、暗い空でも眩しく感じたのか目を細めた。未だ抵抗らしい抵抗はない。細められた目も虚ろで、活力に欠けている。祐介はなんとなく悲しくなった。
人死にとも不幸とも縁のなかった人生。これから先、数え切れない程の死と不幸を目にする。そんな予感がしたのだ。
(物語みたいなハッピーエンドは、きっとない。終わってからも人生は続く。幸せの先にも幸せがある保証なんて、ないんだ)
不幸から始まって幸せに終わるなどは極僅か、大半が不幸なまま終わるくそったれな現実。今まで漠然としていた幸せや不幸を、祐介ははっきりと形として見た。そして、これから見続ける。
総指揮官に川に行く事を伝える。彼は祐介の腕の中に居る少女を見て、そっと目を伏せた。その手に作られた握り拳は震える程の力が込められている。顔は無表情ながらも、感情は形になって出ていた。
水の流れる音を頼りに、川に辿り着く。山脈から流れる川の流れはゆるく、気を付けていれば滑る事はないだろう。水温は少し冷たく感じる程度。念の為、石で囲いを作って流れを止め、魔術で水を温める。
慣れない魔術に三分程時間を取られた。主に魔力の練りが甘く、何度も魔術詠唱をする羽目になったのだ。
魔術で出来ない事は基本的にない。祈り、念じれば大抵はなんとかなる。尤も、それは感覚的な才能が必要で、祐介には余り魔術適性がない。それでも勇者補正でそこらの達人よりも優れているのだから、勇者召喚とは反則にも程がある。
代償に、百人単位からの生け贄が必要だが。
少女のボロ布を引っぺがし、生暖かい水にタオルを浸した所で己の失念に気付く。
替えの服がない――――!
焦る思考のまま、少女を囲いの中に入れて垢や埃を擦り落とす。
とその時。
「居た」
高坂南が、その手に子ども用らしき服とタオルを数枚持ってやって来た。祐介は救世主が降臨した思いで見上げる。余りにもその瞳がキラキラと輝いていたもので、彼女は一瞬だけ踵を返した。
「待った待ったっ」
慌てて制止する。高坂南は本気で戻るつもりはなかったらしく、あっさりと祐介の元へと引き返す。そして手に持つ服とタオルを「んっ」とやると、
「これ、総指揮官さんから。使えだってさ」
苦笑する。
「物資はカツカツだろうに。よく捻り出せたよな」
「近くの村に兵を走らせてたから、意外と子ども好きなのかもね」
「あー、村。あるよなそりゃ、ここ廃坑近くだし」
忘れてた忘れてたと呟く。
廃れる前は頻繁に利用され、ちょっとした町もあったはずだ。今でこそ面影もないが、村程度は残っていても不思議ではない。何しろ山賊はそこを狙って襲撃していたのだから。
あらかた少女を綺麗にし、肩にタオルを掛けて濡れる事も構わず胡座の上に乗せる。土の上や冷たい岩の上に乗せる気にはなれなかった。
「南、温風出せる?」
「大魔術師の力を嘗めないで。五大元素なら思い通りよ」
高坂南は火、水、風、地、空の五大元素を操る大魔術師の力を得た勇者である。
攻撃力のない温風程度、息を吸う様に出せる。
「第一に火を、第二に風を、求めるは肌を撫でるゆるやかな温風」
指先から魔術陣が現れ、温風が少女の髪を揺らす。薄汚れていた白銀の髪は美しさを取り戻し、細い髪は絹糸の様に踊る。
淡く輝くその髪はどこか神秘的で、神の手により作り出されたと言っても過言ではないだろう。それ故に、死んだ眼差しが実に勿体無い。
窶れてはいるが、水を弾く肌はきめ細かく、健康的に育てば誰もが思わず道を開ける程の美貌を持つだろう。物憂げな様子も、儚く映り庇護欲を掻き立てられる。
服を着せて、仕上げに冷風で艶を出す。髪をすいて整えれば完璧だ。
「ん、綺麗になった。どう? 歩ける?」
まともな食事を出されていたとは考えられず、自力で歩けるか分からない。
視線を合わせて、微笑みながら柔らかな声音を意識して尋ねる。
「…………」
虚ろな瞳に答えはなく、ただ無機質に見つめ返されるのみ。挫けそうになるも諦めてなるものかと己を奮い立たせ、再度質問を変えて尋ねる。
「これからお兄さんが住んでる所まで歩くんだけど、そこまではかな~り時間が掛かるんだ。辛いなら、おぶって行くけど」
「…………」
返事はない。
祐介は泣きそうな思いで高坂南を見上げる。
「こっち見んなし」
「心が折れそうっ」
酷く情けない声だった。彼女は深く溜め息を吐く。
「……言いたくないけど、その子、心が死んでる。見て分からない?」
「そりゃ、分かるけど。…………ごめん、放っておけない。助けてほしい」
少女を助けるのは正義感や善意ではない。良心の呵責は勿論あるが、それが理由でもない。これはただの我が儘なのだ。郷に入っては郷に従えとは言うが、従いたくない。
生粋の日本人である神藤祐介は、この世界に慣れたくないという強い想いがある。心の底から拒絶している。
祐介は自分の価値観を大事にする人間だ。そもそも異世界の価値観とは相容れないが、それでも、自分の考えを持っている。
それは最早、意地だった。
そんな我が儘な自分に手を貸してほしいと、祐介は頭を深く下げる。
しばしの沈黙。やがて諦めた様な呼吸音。
「子育ては甘くないよ?」
「分かってる」
「それにその子の心が回復する見込みもない」
「それも分かってる」
「ここで死なせた方が幸せかもしれない」
「それは分かりたくない」
「…………」
「だって、勿体無いじゃないか。こんな小さい内に人生を諦めるなんて、早すぎるだろ」
「押し付けね」
「押し付けだ。言っただろ? 我が儘だって」
「……ふぅ。まっ、我が儘だって自覚してるならいっか。分かった。困った事があったら相談すること」
「っ! ありがとう!」
「それと、その日の出来事でも良いから話して聞かせること」
「おう!」
「一日に一回は散歩に出すこと」
「あぁ!」
「栄養バランスを考えた食事を食べさせること」
「あ、あぁ」
「それから手を繋いだりしていない時は絶対に目を放さないこと」
「…………」
「それから――、それから――、それから――」
高坂南の約束事はそれから半時程も続き。少女は既にすやすやと寝息を立てている。祐介はぐったりとしながらも、数えるのも億劫な約束を片端から頭に詰め込んだ。
「それで、あー、その子の名前ね」
「あ、そっか。呼び名か」
「後日にしましょ。もう結構時間経ってるし」
「…………」
思わず半眼で見つめた。
眠る少女を連れて立てられた天幕へと戻る。穏やかに眠る少女を見た総指揮官が気を利かせたのか、兵士達は極力音を立てないように夕食の仕度を完了させ、速やかに休む。
躊躇いながら少女を起こし、食事をとらせる。変わらず反応はないが、口元に持っていけば食べる事は分かったので、それほど苦労はしなかった。
空が白み、欠けた月が地平線の彼方へと隠れ、太陽が顔を出す。朝露に濡れ、気温が低くなる朝。
澄んだ空気を肺一杯に吸い込み、目やにを落として欠伸をする。
少女はまだ寝ている。疲労が溜まっていたのだろう。無理もない。
朝の鍛練をして、魔術で出した水を頭から被る。活力がみなぎり、体調は良好。軽いストレッチをして天幕へ戻る頃には、少女は目を覚ましていた。
微笑む。
「や、おはよう」
「…………」
返事なし。だが祐介は諦めない。鋼の心を持ち、ちょっとやそっとでは挫けないのだ。
「今日は移動するけど歩けそう?」
「…………」
挫けそうだ。
王国軍は山賊を抱えて、王都へ向けて進む。
数日掛けて王都へ戻り、勇者である祐介と高坂南はそのまま城へと入る。
少女の呼び名をレンと決めて、旅に出る準備を進めながら、死霊術師へ今後の計画を練ろうと探すが、そこで祐介は聞かされる事になる。
誰も殺さない。誰も死なせない、殺させない。
それは祐介の我が儘である。誰ひとり欠ける事なく日本へ帰る事を初日に誓い、守り通そうと決意していた。
その誓いは、もう守られる事はない。
――――死霊術師は死んでいた。
それは、つい昨日の出来事だったという――――
御都合勇者ではないけど、我が儘勇者ではある。あれもこれもと手に取って、ついには持ち切れなくなるのです。
そんなイメージ。




