011 憤怒の代行者
一万、だと?
テラリウス王国は三つある大陸の内、最も大きいファスト大陸全土を占めている大国である。魔族へのテロを起こし、そのまま神託のままに五百人の命を生け贄にして勇者召喚を行った最初の国である。
勇者召喚は本来世界の中から勇者足りえる者を選出する儀式。選ばれた勇者には五百人分の力が宿り、人間の最終兵器と成り得る存在だ。だが、そこに誤算があった。
勇者は異世界からやって来た。世界を渡る為に命のほとんどを使い、残った数十人程度の力しか宿らず、更に勇者は殺しを毛嫌いした。
そうなる事は必然で、勇者の厄介さを身に染みて理解していた先代の魔王は世界を征服した後、力ある人間を抹殺した。勇者の適性を持つ人間など区別がつかなかった為、それらしい者を手当たり次第に殺した結果が異世界からの勇者召喚。
そして、魔族が絶対的な悪であると言い含められた勇者は渋々ながらも魔族と対立し、その悉くを刈り取った。
勇者が天寿を全うすると、王国は次の勇者を喚んだ。今度は一千の命を以て儀式を行い、異世界からの来訪者は誰にも引けを取らない程の強者になった。
次の勇者は積極的だった。ファスト大陸から魔族を追いやり、潜伏していた残党すらも慈悲なく殺したのだ。彼は楽しんでいた。殺す事に快楽を覚え狂ったのだ。
勇者は考えた。
――――俺は最強だ。
来訪者は考えた。
――――もう誰もが俺より下に居る。
狂人は考えた。
――――なんで弱い奴に偉そうに命令されなきゃならない。
そして、殺人鬼は考えた。
――――気に食わない奴は全部殺そう。
強大過ぎる力に酔った勇者は、王国を乗っ取った。誰よりも強く、そして選ばれた自分こそが王に相応しいと、当時の勇者は豪語した。
ファスト大陸の住人は、漏れ無く彼に屈服した。
こうして、テラリウス王国の腐敗が始まった。
月日は流れ、勇者が亡くなると次の王が決まった。金と権力に酔った、愚かな王が玉座に座したのだ。
***
光と闇が入り乱れ、そこに剣戟が挟まれる。最早木々は吹き飛ばされるに止まらず、粉微塵に粉砕されていた。幾つものクレーターが出来上がっており、熾烈な激突は尚も激しさを増す。
「――光よ、集え」
機械的な声が紡がれ、その手に光の粒子が収束される。収斂される光の力は、万物を消滅させる防御不可の代物。避けるしか手は無いのだが、やはり魔王は笑みを深める。
「闇よ、集え」
乱暴な言霊は、本来は作用される筈もないのだが、練り上げられた魔力で強引に魔術が行使される。収束される闇の粒子は、万物を無へと帰する代物で、防御など意味をなさない。
莫大な熱量が一点へと収縮され、伸びる白と黒の線は地を赤熱させながら衝突する。瞬間、入り乱れた光と闇が対消滅を起こし、相対する性質の激突がとてつもない爆発を起こした。
深いクレーターがまたひとつ出来上がり、魔術と剣戟が交差する戦場で、レイモスは涙目になっていた。
既に魔族最強は脇へと追いやられ、戦いの主役は魔王と勇者へと代わっている。
だが彼も引けない。空気が破裂し、音速を超えた剣速は勇者の十字盾に防がれる。甲高い金属音を撒き散らし、反動のまま直剣を引き、背後から迫る魔王へと蹴りをお見舞いするが、逆に掴まれて投げ飛ばされた。
魔王は遠心力に大剣を載せ、力で以て勇者の十字盾を粉砕しようと目論む。尋常ではない膂力から繰り出されるフルスイングは勇者の盾をかち上げるのみに止まり、舌打ちをひとつ鳴らす。
反す刃で迫る凶刃を後ろへステップを踏んで回避するが、続く三撃目の蹴りを勇者は剣で防ぐ事を余儀無くされた。目にも止まらぬ速度で急接近するレイモスに、やはり勇者は機械的に対処する。
「――光よ、護れ」
ドーム状に形成される光の壁は、魔族最強の一撃を確かに防ぐ。だが、空から降り注ぐ闇の雨は防げそうにない。
天より降り注ぐ闇の暴雨。一粒一粒が全てを無へと帰す滅びの力を秘めていて、防げば即死は免れない。
「――光よ、塊と成って、打ち上がれ」
放たれる光の奔流。荒れ狂う瀑布が豪雨を打つ。小規模な爆発が連鎖し大気を揺らし、衝撃波がネルル大森林に伝播する。
爆発の眩い爆炎の元、三人の攻防が演じられる。
魔王の胸中には二つの感情が同居していた。戦いを楽しむ他に不愉快という思い。悪趣味な仮面は装着した者の自由意思を奪うものだろう。勇者は完璧に操られ、傀儡人形と化している。それが気に入らない。この魔王を前に、無意識で以て対峙する。不快だった。
なので、どうにか勇者が付けている悪趣味な仮面を破壊しようと目論んでいるのだが、相手が強すぎる。急所である顔や胸、そして下半身への反応が過剰な迄に速い。攻撃を繰り出す前に察知され、どうやっても当たらないように微調整される。
魔術の行使は癖が強く、好みではない。力押しが一番だ。
決めると、魔王は一歩、大きく踏み込む。当然、勇者は機械的に反応する。外敵に対して容赦のない剣戟の数々が魔王を襲うが、最低限の傷以外は無視する。
致命傷のみを意識し、剣の軌道を見極め、接近する。
防御を捨てた突撃の構えは、どうやら勇者の意表を突けたらしく、大きな隙が出来た。
心臓が一際強く脈打つ。血が勢いよく体中を巡り、最大限の膂力を以て極限の一撃を繰り出す。
勇者はなんとか十字盾を挟む事で対応するが、それは読んでいた。
大剣から手を放し、拳を岩盤よりも固く握り締める。
腰を落とし、足を大きく踏み込んで、拳を溜める。
そして――突き出す。
「――――ンン゛ッ」
繰り出すは最速の一撃、音の壁をぶち抜き神速へと至る鉄拳は顔面を打ち抜き、勇者はきりもみしながら吹き飛ぶ。木々を何本もへし折りながら、森の影へと消えていく。
当然魔王も無事ではない。拳は空気摩擦で赤く赤熱し、肩に至るまでの鎧はひび割れている。血がポタポタと垂れ落ちて、腕が断裂しているのは明らかだ。
「む。強化が甘かったか」
生身の体では到底耐えられない戦闘速度で、強化の魔術を併用しながらの肉弾戦、そして魔術戦。初の戦闘にしては上出来であろう。寧ろよくここまで出来たものだと魔王自身驚いている。
そして、気を抜いた所へ背中の衝撃。戦いは続いていて、レイモスに背中を切られたのだ。またも鎧に浅い傷を入れられ、魔王は仏頂面を晒す。自分の物を傷つけられるのを良しとしない魔王様である。
「吹き飛ぶがいい」
あれ? なんか当たった。と何故か狼狽えているレイモスに掬い上げるような一撃をお見舞いし、空へと打ち上げる。うむとひとつ頷いて満足げな様子。
と、そこへ何処かへ避難していたキャンがやって来た。
「魔王様っ。腕を出してください!」
青ざめた様子で、魔王の籠手を外そうと躍起になっている。唾でもつけていれば治ると言い、大剣を拾い上げると憤懣と声を張り上げられた。
「魔王様ッ!」
鋭い剣幕と怒号に、魔王様は目を細める。僅かに殺気を漏らしてから、そういえば説明していなかったなと籠手を外した。外すと言っても、鎧には取り外し出来るような機能はない。黒い煙となって露出する。それだけである。
キャンは魔王様の腕を見て目を見開く。その腕は血こそ流れているものの傷は完全に塞がっていたのだ。
「これは、一体……」
「魔王の体は特別製でな。流れる血も、血であって血ではないのだ。故にこの程度傷の内には入らん」
まじまじと見つめられ、もう充分見ただろうと籠手を黒い煙から戻す。そこで、悲鳴を伴ってレイモスが落下した。頭からいったらしく、上半身全てが見事に埋まっている。このまま放っておきたくもあるが、目的が勧誘である為そうする事は出来ない。
残念に思いながら、脚を掴んで一息に引き上げる。泥にまみれた顔が出てきて、思わず再び埋めた。
「何してんですか!?」
「いや、なんだ……ばっちぃ」
「はいぃ!?」
汚物には触れたくない。それが魔王様。
キャンが愕然とする中、一度引き抜いたお陰か自力で抜け出せる程度になったらしく泥まみれのレイモスが顔を覗かせる。魔王様は有無を言わさず踏んで土の中に逆戻りさせた。
「だから何やってんですか!?」
「焼く。汚物は消毒だ」
「やめてくださいつってんでしょうがッ!」
世紀末めいた事を口走りながら燃やそうとする魔王様を全力で引き止め、顔を引き抜いたレイモスへタオルをやるキャン。その目が強く訴えている。とっとと拭えと。
謎の威圧感を放つキャンに恐れを抱き、情けない師匠はいそいそと顔の泥を拭う。純白のタオルは瞬く間に泥で汚れていくにつれ、魔王様の目付きがどんどん危ない人へ成っていく。
眉をひそめ、牙を剥き、低い唸りをあげて魔力を練り上げる。魔王様の不機嫌ゲージは既に振り切れ、今にもレイモスを焼きそうである。
「ふ、拭いたぞっ」
やや怯えながらも顔を綺麗にした事を必死でアピール。手に持つタオルが塵も残さず焼き尽くされ肝が氷る。
満足したのか魔王様の機嫌も直り、腕を組んで仁王立ち。地味に貴重なタオルを燃やされたものの、藪蛇になる事は分かっているのでキャンは何も言わない。ただ責めるような視線を投げるのみである。
「はぁ、やれやれ全くよぉ。剣術だけなら兎も角として、魔術を織り混ぜられると手も足もでねぇよ。ったく」
参った参ったと伸び放題の青みがかった髪を乱暴に掻くレイモス。髪の毛にも泥が付着しているのだが、そこは元々汚いので魔王様もノータッチ。森の中ではろくに体も洗えないだろうしカラスの行水の如くであろう。
「というか、あの勇者何処まで吹っ飛ばしたんだよ魔王さんよ」
何処か舐めた様な態度ではあるが、寧ろそこが良いのか魔王様は愉快愉快と哄笑し、
「知らん」
「あぁ!?」
「全力の一撃だったからな。何処まで行ったかは知らん。もしかしたら反対側から出てくるかもな」
「はぁ? そりゃお前、この星を一周するってか? あり得ねぇ~」
とその時、レイモスに白い何かが勢いよく激突し、彼と白い物体は一緒になって転がり腐った体勢でようやく止まる。
「…………冗談だったのだがな」
「…………きっと道中色々なものをぶっ飛ばして来たんでしょうね」
なんと、白い物体は勇者であった。
純白の甲冑が彼方此方とひび割れていて、あの悪趣味な仮面も思惑通り割れたのか顔にはついていない。聖剣は放さなかったのか手の中にあるが、十字盾は上下左右の突起部分が砕けて原形を留めていない。
レイモスとの激突で気絶したのか、二人仲良く目を回している。
魔王様は珍しく困った様子で、
「この状況どうするか」
「いやいやいや、そもそもなんで勇者が来たのかが疑問であってで、す……ね」
キャンははっとして港町へと視線をやる。魔王様も気が付いて港町方面へ顔を向けると、幾つもの煙が上がっていた。
「ふむ。どうやら、急ぐ必要があるな」
「はいっ」
「よし、キャンはレイモスを持て。俺は勇者を担ぐ」
「え? 持っていくんですか?」
「うむ。少しは役立つだろう」
魔王様とキャンは二人を担いで、港町へと急ぐ。ネルル大森林と港町まではそれなりの距離があるが、二人の走る速度は普通ではない。港町まではあっという間だろう。
問題は、敵の数がどれ程であるかである。
***
王国軍は三十のガレー船で港町に攻め入り瞬く間に制圧を始めた。略奪し、建物に火を放ち、船団からの砲撃は少しずつ魔族を追い込んでいった。
魔王様の眷属化で数段階のパワーアップが為されているが、まだまだ宝の持ち腐れであり、そのポテンシャルを充分に引き出せていない。
魔族が為す術無く追いやられる様を双眼鏡で覗き見る将軍は、堪えきれない大爆笑で垂れた頬と肥満体型のでっぷりと自己主張の激しい腹を揺らす。
将軍の乗る旗艦は魔族の島から一番遠くに位置していて、どう足掻いても魔族側の攻撃が届くことはない。そういう位置取りだ。
「げぇーはっはっはっはっは! 勇者が突然すっ飛んで行った時は焦ったが、なんて事はないではないか!」
下品で醜悪な哄笑は、魔王様が見れば無言で星にする程に下劣。目元を厭らしく歪めて、下心にまみれた卑しさが隠されずに現れている。
傀儡となっている勇者へ『魔王を殺して来い』と命令した故に彼は単独専攻に走ったのだが、脂ぎった将軍はそこまで考えが巡らず、ただ命令もしていないのに動いた木偶人形という印象。
そんな愚かな彼が一軍を率いる将軍の地位に居るのは一重に生まれが良かったとしか言う他ない。
将軍の祖先は魔族を大量に仕留めた武官としての功績が買われ、更に出世に次ぐ出世を重ねて侯爵の階級を授与された。そのまま腐敗し、こうして金と贅を貪った様な子孫が出来上がったのである。
腐っていても流石大国と言うべき所で、たった数日で三十の船団と人員を集め、更に食糧を用意する程度は容易いようだ。
「しっかし、港町が奪われるとはな~。はっはっはっはっは! なんと好都合か! でっち上げた罪を元に騎士団を処刑し、我々が魔王城を攻略する。煩雑な手順を踏む手間が省けたぞ!」
訂正、元々準備だけは進めていたらしく報告から即動けたようだ。
誰も居ない司令室でガラス越しに魔族の島を覗き見る将軍。内装は目が痛くなるような黄金の煌めきで埋め尽くされており、執務机には大量の食料が載っている。肉や果物ばかりで野菜がないのを見るに、将軍の栄養バランスはその醜い容姿通り崩れている。
『報告です!』
通信用魔導具から突如として声が響く。声の主は焦っているようで、その声量は必要以上に大きい。
耳障りに感じ、将軍は気分を害されたように顔を歪める。
『敵に複数人の手練れが居り、更にゴーレムの群れを展開され一部分の制圧が思うように行っておらず』
「えぇい! 回りくどい! さっさと要件を言わんか!」
焦れた将軍が怒声を張り上げる。ぶよぶよの手が執務机を叩き、乾いた音が魔導具越しに聞こえたのか兵士は慌てた様子で、
『艦砲射撃を要請します! ゴーレムの壁を飽和攻撃で破壊し、物量で圧します!』
正確な座標を聞き出し、双眼鏡で目印になる建物を探すと、将軍はニタリと唇の端を吊り上げる。
魔族は今にも崩れそうなオンボロな建物に籠城し、火を入れられないようゴーレムでドーム状に覆い隠している。入り口を絞る事で一度に対応する兵士の数を限定し、手練れ二人が必死な防衛戦を演じていた。
将軍は通信用魔導具の操作し、全部隊に大声を張り上げる。
「伝令っ! 目標、ゴーレム! 艦砲射撃であの時計台を完膚無きまでに破壊せよ!」
そして、将軍は信じられないものを目にする。
伝令を聞き、各ガレー船は大砲に砲弾を詰め込み、船を旋回させる。ガレー船側面に搭載された砲門が開かれ砲台の口が覗く。幾つもの轟音が轟き、砲弾は壁の様に展開され一直線に時計台ゴーレムドームへと迫り、破壊する。
将軍は込み上げる笑いを堪える事せず高笑いする。
破壊による爽快感で胸が満たされ、この上ない多幸感を覚えていた。
地を這う害虫を踏み潰す優越感。己の指示ひとつで形を変える港町に超越感を覚え、将軍は愉悦の中にどっぷりと浸る。
そろそろ土煙が晴れた頃だろうと思い、双眼鏡で時計台を覗き見て、驚愕する。
二階建ての時計台。その屋根には謎の植物が生えていて、蔓を縦横無尽に操って兵士を打ちのめしている。
「なんだ、あれは……!」
知らず知らずの内に呟きが溢れ、将軍は屈辱を与えられた怒りのままに怒声をあげる。
「なんなんだあれはッ!!」
***
ロサンティーヌは迫り来る艦砲射撃に一瞬死を覚悟した。ゴーレムを操り、剣を持って立ち回るにも限界があった。物量には物量で対抗出来るが、ひとりひとりの戦闘力までは賄え切れない。
複数人で囲まれてしまえば対応が追い付かず、ゴーレムの数は確実に減らされた。
このままではマズイと焦り、籠城戦に持ち込んだのだが、それはロサンティーヌらしからぬミスであった。
彼女は本来裏方で、前に出る事はない。元々運動が苦手な事もあり、冷静さを欠いていたのも事実。船団が居なければ妥当な判断ではあるが、戦力の一転集中は相手からしたらただの的だった。
予想外な事が起きたのは死を覚悟した一瞬後。ドーム状にしたゴーレムが砕かれ、砲弾が時計台に届きそうになったその瞬間、大気が唸りをあげた。
砲弾が何かに弾かれ、時計台を囲っていた敵兵士を潰しながら地を陥没させる。
それには敵味方問わず唖然として、続く破裂する音で我に帰る。
植物の蔓が蠢き、鮮やかなしなりを見せて敵を叩き潰す。縦横無尽に宙を走る蔓の出所はひとつの植物型の魔物キャサリンである。
近々魔王城へ運ばれる予定だったキャサリンだが、余りの時間の無さにそのまま放置されていたのだ。ロサンティーヌも美味しい実を付ける植物の話しは聞かされていたが、必死であった為視界に入っていなかった。
キャサリンは魔物であるが、知性ある魔物である。自身の体の一部である実を差し出す行為は、ある意味では服従の証であり、魔族側の戦力と考えて問題はない。
これまで動かなかったのは魔族と人間の見た目が同じであった為、どちらに味方をすればいいのか迷っていたからなのだが、迫る砲弾で揃いの装備を着ている王国軍を敵と判断したのである。
頼もしい味方を見つけて、ロサンティーヌに幾ばくかの余裕が生まれた。防衛に回していたゴーレムを攻勢に回し、足りない分は新たに作り上げる。相変わらず一体一体の戦闘力は低いが、ゴーレムの売りはそのタフネスである。
コアが破壊されない限り動き続ける人形の軍団。土塊があれば作り放題なのだ。魔力が続く限り無限に湧き、徐々に物量で押し返し始める。
勿論、艦砲射撃が来るまで踏ん張っていたのは彼女ひとりだけではない。
元騎士団長マスキエル・ダグザン。彼は時計台の外へ出て王国軍を相手に大立ち回りを演じていた。
止まる事なく動き続け、『加速』を利用しながらひとりひとりと少しずつ切り捨て、時には集団の中へと突貫し、敵の勢いを崩していた。
王国軍は彼にいいように掻き乱されたと言っても過言では非ず、魔族が健在なのはマスキエルの働きが大きい。
現在も、蔓の一撃で怯んだ兵士の首を刈り取り、鬼気迫る勢いで王国軍に恐怖を刻み込んでいる。
彼個人の怨みも確かにあり、激烈な怒気を瞳と剣に宿している。
剣がぶれると、三つの首が血の尾を引いて宙を跳ぶ。赤黒い双眸が爛々と輝き、悪魔めいて見えた。
その姿は満身創痍。鎧はひび割れ、額からは血が流れ片目を潰している筈なのに気にする素振りもない。左腕は折れていて、固定するだけ固定して後は放置されている。呼吸も荒く、まさに死に体。
然れど、マスキエルから発せられる鬼気は衰える事を知らず。王国軍は確かに怯えていた。
「何を恐れる必要がある! 全員でかこ――」
風が吹いた。周りが気付いた時には鼓舞しようと怒声を張っていた隊長の首は宙を跳んでいる。
マスキエルは無感情にギロリと目玉を動かす。
部隊が幾つあるのかは知らないが、マスキエルが跳ねた隊長の首は既に二桁を超えている。隊長格の首を跳ねるのは簡単だ。声を張り上げる人物を見極めればいい。
防衛を気にして、離れられない事に歯噛みする事はもうない。
植物型の魔物キャサリンが起動し、蔓を以て兵隊を薙ぎ払っている。ロサンティーヌのゴーレムも順調に増えていて、最早守りを気にする必要はなくなった。
「これで思う存分暴れられる」
積み上げた死体の数は百を超え、屍山血河を築いている。
これが抑えた結果だとしたら、末恐ろしいとしか言う他ない。
魔術式『加速』の裏技『二重加速』を発動する。
代価を気にする必要はない。以前は肉体強度の問題で体が負荷に耐えきれなかったが、今は違う。眷属化によって肉体を根本から作り替えられ、人間の域を既に超えている。重傷を負っても動ける事がその証明だ。
高速の世界へと入る。万物の動きが全て緩やかになり、銀線を走らせても鎧の手応えは皆無。豆腐に包丁を通す程に軽い。
切られた相手はその事にすら気付かずに絶命する。
そのまま時計台を囲む王国軍を殲滅した頃に、マスキエルは吐血した。流石に満身創痍のまま『二重加速』するのは無理があったらしい。
傷が広がり、内臓にも尋常ではないダメージが入っている。左腕は諦めるしかないだろう。
「マスキエル!?」
『二重加速』が解除されたのか、ロサンティーヌが突然現れた自身に驚いている。と同時に吹き上がる血飛沫。鎧ごと宙へと飛び上がり、兵隊は訳も分からず瞳から光を消す。生き残った者は居らず、文字通り全滅させた。
力が抜けて、ばたりと倒れる。激痛が走ったが、それすらも気にならない。まさに死にかけ、体の感覚すらも何処か遠い。
「ちょっと、大丈夫なの?」
「…………大丈夫に見えますかな?」
もしもこの状態を大丈夫と判断するのなら、マスキエルはロサンティーヌの頭を本格的に心配するしかない。魔王様に相談して、良い薬の調達を、
とそこまで考えて苦笑する。こんな状態になってまで未来を想えるとは、存外余裕が残っているようだ。ならば大丈夫だろう。自分はまだまだ魔王様の役に立てる。
そう安堵すると、押し寄せる疲労感に意識を拐われ、マスキエルは気を失った。
気絶したマスキエルを背負い、ロサンティーヌは時計台の中へと籠る。二階建ての時計台には数百人の魔族が籠城していて、みな悔しさに拳を握り締めていた。目を血走らせて海面に浮かぶ船団を睨み付けている。視線に攻撃力があるなら船団は既に沈んでいただろう。
(また同胞が死んだ)
ここに居るのは非武装の魔族だ。武装した魔族は真っ先に王国軍へと向かっていき、数十人を巻き添えに死んでいった。港町も、復興には更に時間が掛かるだろう。奪還した時よりも状態が酷くされている。
まさか初手でこんなに戦力が投入されるなど、想定外にも程がある。
そこには魔族側には知らされる事のない思惑があったのだが、そうと知らないロサンティーヌは己の浅はかさを怨んだ。
憎悪と慚愧が心の水面を黒く染め上げる。
彼女も他の魔族と同じ様に海面に悠然とたゆたう船団を睨み付け、沈んで仕舞えと思った。
その通りになった。
赤黒い豪雨が降り注ぎ、船団を木片へと変えていく。ひとだった者が肉塊へと化し、海面が僅かに赤く濁る。
まるで、魔族の怒りが具現されたかのような情景。
ロサンティーヌは見た。
顔を憤怒に染め上げた魔王様が、宙を漂い船団を見下ろしているのを。
視線の先には一際豪奢な船があり、わざと外したのか傷ひとつない。
我等が魔王様がただで終わらせる筈もなく、その手から赤黒い霧がぶわっと溢れでて、豪奢な船を包んだ。
赤黒い霧はそのまま球体へと形を変えていく。船がはみ出ていないのを見るに、圧縮されているのだろう。中の様子を想像するのは止めた。明らかに元々の船よりも二回り程縮小された球体が出来上がり、猛烈な勢いで射出された。
方向は恐らく王国。そして王宮へと届くのだ。宣戦布告のメッセージとして。
***
空中で、魔王は激情の中に居た。激しい憤りと、僅かな後悔。
軽く考えていたのは事実だ。魔族最高戦力である自身が離れ、その間に攻め入られた時の事など全く考えていなかった。寧ろ今の魔族ならば押し返せるだろうとたかを括っていた。
その結果がこれだ。
港町は完全に破壊された。魔族もまた少なくなった。戦利品であった装備も使い物にならなくなっただろう。
後先考えずに行動し、魔族最強の勧誘を優先してしまった。
本来なら数日間は敵の襲撃を警戒し、港町を離れるべきでななかったのだ。
憤怒は、そのまま力となる。
それが魔王の固有能力『憤怒の代行者』の力。
眷属化した者からも怒りが流れ込み、力へと変換されて魔王様の糧となる。そういう力だ。
魔王サタンの、王の力である。
「――――怒りを抱け」
決して大きな声ではない。寧ろ呟きの様な声量。だが、声は確かに届いている。眷属の繋がりを通して、確かに届いている。
「何者にも屈するな。我等は誇り高き種族。最後の最後まで己を貫き、憤怒せよ」
魔王は覚悟を決めて、宣言する。
「我は憤怒の代行者! 貴様等の抱く怒りの代弁者なり! 今ここに誓おう、魔族の繁栄を!」
魔王と魔剣の誓いは、魔王と魔族の誓いとなった。
それは覚悟の現れ、自身の全てを魔族の未来へと捧げる誓いの言葉。そして、もうひとつ、その言葉の意味する所は領土の拡張。つまり、人類との全面戦争である。
魔族は狂喜する。仕える王の宣誓に、胸を踊らせない魔族は居ない。己の存在全てを捧げようという気になり、雄叫びをあげる。
大気を震動させる、猛獣の咆哮。
災厄は、ここから始まる。
成長型熱血主人公
「自分の限界を超えろッ!」
魔王様
「そもそも俺に限界などない」
次回! 王国との戦争! の前に色々とやる事があります。
次回は勇者でますよ(予定)。




