第8話 収納魔法。どこから入れる?
あれから早足で歩いて、俺は森に到着した。
「え? 魔法で空を飛ばないのか?」って?
飛ばないよ。
まだ飛び方に慣れてないし、そもそも思いつきで飛んだせいで死にかけたんだ。歩いて二十分もかからず着くような場所に、命をかけて空から行く理由がない。
異世界転生したからといって、毎回派手に飛べばいいというものではない。
俺は学習する男なのだ。
たぶん。
さて、森に着いた。
ベラに言われた仕事は、薬草と薪集めだったな。
薬草、薬草。
……薬草って、どんなだ?
しまった。
結局なにも聞けてない。
いや、普通は確認するだろう。
仕事を頼まれて、対象物の見た目を知らずに出発するやつがいるか。
ここにいる。
俺だ。
「いっぱい持ってきな」と言われた勢いに押されて、そのまま出てきてしまった。会社員時代なら完全に確認不足である。上司に「で、何を集めるの?」と聞かれて詰むやつだ。
しょうがない。
分からないものは分からない。
とりあえずボソの実を探しながら、薪になりそうな枝を集めることにした。
薬草が分からなくても、薪なら分かる。
枯れた枝だ。
これはさすがの俺でも分かる。
人類の知恵である。
森の奥深くに入り込んで迷わないように、なるべく周辺部を歩いていく。
すると、上の方に黄色い木の実が生っている低木を見つけた。
あれだな。
ボソの実だ。
ベラにもらった、あの味の薄い果物。
いや、果物と言っていいのか分からない。
少なくとも、俺の知っている果物はもっと人に優しい。甘いとか、酸っぱいとか、みずみずしいとか、何かしらの魅力を持っている。
ボソの実は、名前の通りボソボソしている。
口の中の水分を遠慮なく奪っていく。
果物というより、湿気を忘れたパンに近い。
だが、食える。
食えるというのは大事だ。
異世界に来てから、俺は食べ物に対する評価基準がだいぶ低くなっている。
美味しいかどうかではない。
食べても死なないか。
腹が膨れるか。
無料か。
この三つでだいたい合格だ。なんせ水が有料だからな。
俺は背伸びをして、手が届く範囲のボソの実をいくつか採った。
いちばん上までは届かない。
ここでフライを使えば上の実も採れるかもしれないが、木の実を採るために尻から突風を出して森の中を飛ぶのは危険すぎる。
木に突っ込む未来しか見えない。
俺は素手でボソの実をもぎ取り、そのうち一つにかじりついた。
「……うーん」
やっぱり美味しくはない。
味が薄い。
食感がボソボソしている。
噛めば噛むほど、口の中が砂漠に近づいていく。
だが、腹にはたまる。
無料で手に入って、そこそこ腹が膨れる。
贅沢は言ってられない。
そもそも腹が減っているのだ。
俺はボソの実をいくつか食べ、腹八分目まではいかないが、腹六分目くらいにはしておいた。
八分目まで食べると、たぶん水が欲しくなる。
そして水が欲しくなったら、また井戸のことを思い出す。
井戸を思い出すと、ベラの顔も思い出す。
ベラの顔を思い出すと、銅貨三枚という現実が襲ってくる。
精神に悪い。
食事は六分目で止める。
これも生きる知恵である。
俺は落ちている枝を拾い始めた。
薪になりそうな枯れ枝は、探せばそこそこ見つかる。
太すぎる枝は運びにくい。
細すぎる枝はたぶん金にならない。
ちょうどいい枝を選んで、両手に抱えていく。
しばらく集めたところで、俺は自分の腕の中を見下ろした。
……少ない。
いや、量としては少なくないのかもしれない。
人が両手で持てる量としては、まあまあだ。
だが、これで井戸代を返せるかと言われると、かなり怪しい。
異世界の貨幣価値はまだ分からない。
銅貨三枚がどれくらい重い金額なのかも、正直ピンときていない。
ただ、ベラの言い方からすると、旅人が水を飲むだけで取られる金額としてはそれなりに高い。
そして俺はすでに水を飲んだ。
飲んだあとに料金を知った。
これはもう、現代日本ならクレームを入れたいところだが、勝手に井戸を使ったのは俺である。
立場が弱い。
圧倒的に弱い。
「これ、何往復すればいいんだ?」
森から村まで、歩いて二十分弱。
戻って、また来て、また戻る。
それを何度も繰り返す。
想像しただけで面倒くさい。
俺は三十八歳だ。
体力に自信がある若者ではない。
しかも狼にやられた腕の傷がまだ少し痛む。
尻は相変わらずスースーしている。
こんな状態で薪を抱えて往復とか、普通にきつい。
なんか魔法でどうにかできないかな?
移動時間はフライで短縮できるかもしれない。
だが、あれはまだ危険だ。
空を飛ぶというより、尻に吹っ飛ばされる魔法である。
森の中で使えば、枝に刺さる。
では、持ち運びを便利にする魔法はどうだ。
持ち運び。
荷物。
異世界。
そう。
収納魔法だ。
たしかスキルを取ったときに、時空魔法や収納魔法を選んだはずだ。
というか選んだ。
欲望のままに選んだ。
収納魔法といえば、異世界生活の定番だ。
どれだけ荷物を持っても重くない。
大量の戦利品を持ち帰れる。
食料も保存できる。
商売もできる。
冒険者なら喉から手が出るほど欲しい便利スキルである。
俺も持っているはずだ。
問題は、どうやって使うかだ。
「収納」
俺は小さくつぶやいてみた。
何も起きない。
右手を前に出す。
「収納!」
何も起きない。
左手でも試す。
何も起きない。
まあ、そうだよな。
火も風も水も、手からは出なかった。
俺の魔法は、基本的に手を信用していないらしい。
火や風の魔法は、魔力を尻に集めて出せば発動した。
だが今回は収納魔法だ。
出すんじゃない。
入れる方だ。
え?
もしかして、尻に入れるのか?
俺はしばらく黙った。
森の中で、三十八歳のおっさんが、拾った枯れ枝を抱えたまま真剣に考えている。
収納魔法の入り口がどこか。
本来なら、胸が躍る場面のはずだ。
ついにチートスキルの一つを試すのだから。
だが、俺の胸は躍っていない。
嫌な方向に心臓が動いている。
まさか。
まさか、そんなことが本当に?
しかし、冷静に考えればそうなる。
俺の魔法は尻から出る。
出る場所が尻なら、入る場所も尻である可能性が高い。
理屈としては分かる。
分かりたくないだけだ。
「いや、でも、収納空間の入口が尻付近に出るだけかもしれないしな」
俺は自分に言い聞かせた。
そうだ。
そうに違いない。
実際に体の中へ入るわけではない。
たぶん、空間魔法的な穴が開くだけだ。
物理的な穴ではない。
魔法的な穴だ。
言い方を変えても、だいぶひどいな。
俺は小さな石ころを拾った。
いきなり枝で試すのは怖い。
もし本当に物理的に入ってしまったら大惨事だ。
森で一人、枯れ枝を尻に刺して動けなくなる。
そんな異世界転生、嫌すぎる。
小石ならまだマシだ。
いや、小石でもマシではない。
だが、実験には犠牲が必要である。
俺は周囲を確認した。
誰もいない。
鳥が一羽、枝の上で鳴いているだけだ。
やめろ。
見るな。
お前には関係ない。
俺は小石を恐る恐る尻に近づけてみた。
……何も起こらない。
正確に言うと、小石を尻の穴に近づけたくらいでは何も起きない。
やはり、ただ近づけるだけではダメなのか。
もう少し、意思が必要なのかもしれない。
収納したい。
この小石を収納したい。
俺はそう念じながら、もう一度近づけた。
何も起こらない。
「入れないとダメなのか……?」
言葉にした瞬間、森の空気が少し冷えた気がした。
いや、たぶん気のせいだ。
気のせいということにする。
ここで引き返すか。
しかし、引き返したところで両手に抱えられる薪の量は変わらない。
井戸代も変わらない。
ベラも許してくれない。
俺はもう、水を飲んでしまったのだ。
そして無一文だ。
尊厳とベラの怒りを天秤にかけた結果、ベラの怒りが勝った。
勝ってほしくなかった。
「ええい、ままよ!」
俺は大声で「収納!」と叫びながら、小石を尻の穴に向かって押し込んだのだった。
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