第14話 ズボンから聞こえる嫌な音
「ヤマダ! いつまで小屋でごそごそしてるんだい!」
外からベラの声が飛んできた。
「すぐ行きます!」
俺は慌てて返事をした。
危ない。
朝からズボンを鑑定しているところを見られるわけにはいかない。
見られても意味は分からないだろうが、説明もできない。
外へ出ると、ベラが腕を組んで待っていた。
「昨日のファリル草、なかなか良かったよ」
「本当ですか?」
「ああ。村の薬師に回す分がちょうど足りなかったんだ。朝採りならもっと値がつく。だから今日は、いまから森に行ってファリル草を集めてきな。ボソボ村にポーションがないなんてことになったら、わざわざきてくれた行商人がガッカリしちまうからね」
ボソボ村。
この村、ボソボ村というらしい。
ボソの実といい、ボソボ村といい、口の中の水分を奪う方向に名前が寄っている気がする。
いや、たぶん偶然だ。
「朝採りって、そんなに違うんですか?」
「ファリル草は朝露がついてるうちの方が効きがいいんだよ。薬師がうるさいのさ。昼過ぎのは安く買い叩かれる」
なるほど。
この世界でも、鮮度は金になるらしい。
「それと薪も少しは持ってきな。木杯亭の火もタダじゃないからね」
「はい」
結局、朝から労働である。
だが、悪くない。
仕事がある。
水も飲めた。
ズボンも直った。
村の名前も店の名前も分かった。
昨日よりずっと前に進んでいる。
ただし、魔法はズボンで塞がれている。
問題はそこだ。
俺はベラに言われた通り、森へ向かった。
村の中を歩く。
昨日ほど視線は痛くない。
やはりズボンが直った効果は大きい。
子供がこちらを見ていたが、昨日のように露骨に尻を見る感じではない。
勝った。
俺は勝ったのだ。
少なくとも、服装面では。
森に着くと、俺は周囲を確認した。
誰もいない。
鳥はいる。
鳥はもういい。
見たいなら見ろ。
ただし、村で噂はするな。
俺は昨日ファリル草を見つけたあたりへ向かった。
よもぎのような草。
柔らかい葉。
少し薬草っぽい匂い。
昨日の鑑定のおかげで、何となく見分けはつくようになっている。
だが、まだ自信はない。
毒草やただの草を持ち帰れば、ベラにまた鼻で笑われるだろう。
それは避けたい。
鑑定するしかない。
俺は草の前に立ち、昨日と同じように腰の向きを変えた。
「鑑定」
何も起きない。
いや、正確には起きた。
またズボンの情報が流れ込んできた。
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麻布。
古い布。
ベラによって修繕済み。
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「だから、お前じゃない」
俺は小声で突っ込んだ。
ズボンの情報が少し増えている気がする。
どうでもいい。
知りたいのは草だ。
俺は少し考えた。
ズボンが邪魔なら、ズボンをずらして尻を出すしかない。
だが、直ったばかりのズボンを脱ぐのは嫌だ。
せっかく人間としての形を取り戻したのだ。
森の中とはいえ、いきなりそれを手放したくない。
しかし、鑑定しなければ薬草を見分けられない。
薬草を見分けられなければ金が入らない。
金が入らなければ飯も寝床もない。
飯と寝床がなければ、俺はまた森でボソの実をかじる生活に戻る。
そして喉が渇く。
水が必要になる。
井戸代がかかる。
詰む。
「……これは仕事だ」
俺は自分に言い聞かせた。
「薬草を見分けるための、極めて真面目な作業だ」
昨日も似たようなことを言った気がする。
人間、本当に嫌なことをする時は、理屈を重ねるものらしい。
俺は周囲をもう一度確認した。
誰もいない。
よし。
俺はズボンの腰紐を少しだけゆるめ、必要最低限の隙間から尻を出した。
必要最低限。
ここが大事だ。
丸出しではない。
断じて丸出しではない。
魔法の通り道を確保しているだけだ。
俺は腰をひねり、草に向かって慎重に照準を合わせた。
「鑑定」
今度は光が出た。
尻から。
だが、ちゃんと草に当たった。
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ファリル草。
薬草。
炎症を抑える。
煎じることでポーションの原料になる。
---
「よし」
成功だ。
ズボンを少し下にずらせば、鑑定はできる。
できるのだが、姿勢がきつい。
しかも、もし誰かに見られたら終わる。
薬草の前で、ズボンをずらしながら腰をひねるおっさん。
どう説明しても怪しい。
「俺は薬草を調べているだけだ」
言ってみた。
自分で言っても怪しかった。
俺はファリル草を摘み、収納しようとした。
そこで、また問題が出た。
収納の入口も、同じ場所だ。
ズボンを履いていると、草を近づけても布に当たるだけで吸い込まれない。
当然だ。
入口が塞がっているのだから。
俺は摘んだファリル草を手に持ったまま、しばらく固まった。
これは面倒くさい。
非常に面倒くさい。
鑑定するたびにズボンをずらす。
収納するたびにまた位置を調整する。
しかも、ファリル草は一本や二本では終わらない。
朝採りで値がいいなら、できるだけ集めたい。
だが、そのたびにこの作業をするのか。
魔法は便利だ。
便利なのに、服一枚でここまで不便になる。
「普通の魔法使いはいいよな……」
たぶん手から出る。
杖から出る。
指先から出る。
収納も、手をかざせばスッと入る。
俺は違う。
ズボンの腰紐と相談しながら薬草を集めている。
最強魔法使いのはずなのに、やっていることが衣服の調整である。
俺は気を取り直し、ファリル草を収納した。
スルリと消える。
入った。
便利だ。
腹が立つくらい便利だ。
入口さえまともなら、俺はいまごろ自分の才能に酔っていたはずだ。
そのあと、俺はファリル草を探しては鑑定し、摘んでは収納した。
腰をひねる。
鑑定。
ズボンを調整する。
収納。
また腰をひねる。
鑑定。
収納。
傍から見たら、森の中で妙な体操をしている人である。
いや、体操の方がまだ健全だ。
途中で、道の方から声が聞こえた。
「おーい、そっちに枝あるかー?」
村人の声だ。
俺は一瞬で固まった。
片手にはファリル草。
姿勢は中途半端。
ズボンは、魔法のために少しだけゆるんで下がり気味だ。
かなりまずい。
この姿で見つかったら、言い訳が難しい。
俺は慌ててズボンを整え、何食わぬ顔でしゃがみ込んだ。
薬草を摘んでいます。
ただそれだけです。
俺は健全な労働者です。
そういう顔を作る。
村人らしき二人の声は、少し離れた場所を通り過ぎていった。
助かった。
心臓に悪い。
魔物より村人の方が怖い場面があるとは思わなかった。
俺はしばらく息を潜め、声が遠ざかったのを確認してから作業を再開した。
今度はさらに慎重にやる。
だが、慎重にやっていると時間がかかる。
朝露が乾いてしまう。
ファリル草の値が下がる。
俺の生活が危うくなる。
焦る。
焦ると、姿勢が雑になる。
ミリッ。
その音だけで、今日の稼ぎが消える未来が見えた。
ベラの『また破ったら裁縫代』という声が、森の中で聞こえた気がした。
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