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※ただし魔法は尻から出る  作者: クロネコスキー


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第15話 狙われる銅貨

嫌な音がした。


俺は動きを止めた。


いま、聞いてはいけない音がした。


恐る恐る、尻のあたりを確認する。


破れてはいない。


破れてはいないが、縫い目が少し引っ張られている。


直ったばかりのズボンが、もう危険な気配を出している。


「……まずいな」


ベラに見つかったら怒られる。


裁縫代は別だと言われたばかりだ。


俺には金がない。


いや、今日稼ぐ予定ではある。


だが、稼いだそばからまたズボンの修繕代で消えるのは嫌だ。


異世界で稼いだ金が全部、尻周りの維持費に消える人生。


そんな人生は嫌だ。


俺はそこから、さらに丁寧に作業した。


丁寧に鑑定し、丁寧に収納する。


尻から出る魔法に丁寧も何もあるのかと言われたら困る。


だが、気持ちは大事だ。


しばらくして、収納の中にはそれなりの量のファリル草と薪、少しのボソの実が入った。


昨日より量は少ないかもしれない。


だが、朝採りだ。


質で勝負だ。


俺は森を出て、木杯亭へ戻った。


村の中を歩く時は、なるべく普通に歩いた。


ズボンがある。


尻は出ていない。


これだけでかなり気持ちが違う。


ただ、縫い目が気になる。


歩くたびに、尻のあたりが少し引っ張られる気がする。


頼む。


持ってくれ。


少なくともベラに見せるまでは持ってくれ。


木杯亭の裏庭に回り、俺は収納からファリル草と薪を取り出した。


もちろん、誰も見ていないことを確認してからだ。


出す。


出す。


出す。


昨日よりは、少しだけ狙って出せるようになった気がする。


束をまとめて、潰さないように。


薪は端に。


ファリル草は別に。


ボソの実は自分用に残す。


便利だ。


本当に便利だ。


この便利さが、なぜ普通の場所から出てくれないのか。


俺は裏庭に積んだファリル草を見つめながら、しみじみ思った。


店に入ると、ベラがすぐに顔を上げた。


「戻ったかい」


「はい。裏庭に置いてあります」


「今日は手ぶらでも、昨日みたいには驚かないよ」


「少しは信じてもらえました?」


「収納魔法は信じてないよ。ただ、アンタがなんか変な方法で荷物を運んでんだろうってことは分かった」


これは能力を褒められているのか、いないのか。


かなり微妙な評価である。


ベラは裏庭へ出て、ファリル草の束を確認した。


葉を見て、匂いを嗅ぐ。


俺は出口となった尻に少し意識を向ける。臭くはないはずだ。


朝露が少し残っている葉を手に取って、ベラは満足そうに鼻を鳴らした。


「悪くないね。朝採りのファリル草だ。これなら薬師も文句は言わないよ」


「よかったです」


「量は昨日ほどじゃないけど、質はいい。朝採りの分、少し色をつけておくよ」


ベラは懐から銅貨を取り出した。


昨日より少し多い気がする。


いや、昨日は受け取ってすぐ全部取られたから、正確な枚数を覚えていない。


だが、銅貨が手のひらに落ちる音は、やはり良い。


チャリン。


チャリン。


働いた音だ。


「ありがとうございます」


俺は頭を下げた。


今度こそ、少しは手元に残したい。


飯。


水。


寝床。


そして、できればズボンの予備。


生活に必要なものが多すぎる。


異世界に来て、まず欲しくなったのが剣でも杖でもなく、まともな衣食住というのはどうなんだろう。


だが、現実はそういうものだ。


ベラが俺の腰のあたりを見た。


俺は嫌な予感がした。


「ヤマダ」


「はい」


「アンタ、そのズボン」


「はい」


「朝直したばかりなのに、なんで尻の縫い目がもう危ない感じになってるんだい?」


来た。


見つかった。


俺は慌てて手で後ろを押さえた。


押さえても遅い。


「いや、その、森って足場が悪いじゃないですか」


「足場が悪いと、尻の縫い目が伸びるのかい」


「動きが少し激しくて」


「薬草採りで?」


「はい」


「アンタ、森でどんな薬草採りをしてるんだい」


答えられない。


絶対に答えられない。


薬草に尻を向けて鑑定し、ズボンを調整しながら収納していました。


言えるか。


そんなことを。


俺は真面目な顔で言った。


「極めて真面目な労働です」


「真面目な労働をしてるやつは、そんな言い方をしないよ」


正論だった。


ベラは呆れたように俺を見たあと、ファリル草の束を持ち上げた。


「まあ、仕事の成果は出してるからね。今日は見逃しておくよ」


「ありがとうございます」


「ただし、また破ったら裁縫代は取るからね」


「はい」


銅貨が手に入った。


だが、すぐに新しい支出の気配がしている。


俺は手のひらの銅貨を見た。


そして、自分の尻の縫い目を思った。


普通のズボンでは駄目だ。


破れていれば社会的に死ぬ。


直っていれば魔法が出しにくい。


火を使えば燃える。


水を使えば濡れる。


風を使えば破れる。


鑑定は布を鑑定する。


収納は入口が塞がる。


どう考えても、俺の魔法と普通の服は相性が悪い。


必要なのは、ただのズボンではない。


魔法対応の服だ。


尻から魔法を出しても壊れず、しかも人前で見てもぎりぎり普通に見える服。


そんなものが、この世界に存在するのかは分からない。


たぶん、ない。


なければ作るしかない。


異世界で俺が最初に目指す装備は、伝説の杖でも、魔法のローブでも、聖剣でもなかった。


尻魔法対応ズボン。


俺は手のひらの銅貨を握りしめながら、まずそこから始めるしかないと悟った。


銅貨を握りしめている。


俺の手のひらの上には、今日の朝採りファリル草の代金がある。


チャリン、と鳴る。


いい音だ。


働いた音だ。


異世界に来てから、俺は水を飲むだけで銅貨三枚を請求され、初めて稼いだ金は宿代と裁縫代として一瞬で消えた。


それを考えると、いま手のひらに銅貨があるというだけで、かなりの前進である。


前進なのだが。


俺の意識は、前ではなく後ろにある尻の縫い目に向いていた。


朝、ベラに直してもらったばかりのズボン。


その尻のところが、もう危ない。


いや、危ないらしい。


俺自身も、森で作業している時にミリッという嫌な音を聞いた。


そして、帰ってきてすぐベラに見つかった。


また破ったら裁縫代は取る。


そう言われた。


つまり、この銅貨は俺のものになった瞬間から、すでに尻周りの修繕費として狙われている。


異世界で最強魔法使いになる前に、俺はズボンの維持費と戦っている。


なんだこれ。


「ヤマダ」


ベラの声で、俺は顔を上げた。


「はい」


「そのファリル草、薬師のところに持っていくよ。アンタも来な」


「俺もですか?」


「当たり前だろう。場所を覚えな。そこまで含めてアンタの仕事だよ。アタシも暇じゃないんだ」


「あ、そういう」


たしかに。


俺はまだ薬師の場所を知らない。


ボソボ村に来て、知っている場所といえば、井戸と木杯亭と藁小屋と森くらいだ。


村の地理としてはかなり偏っている。


「それに、いきなりアンタひとりで行っても薬師は相手にしないよ。どこの誰かも分からない旅人が薬草を持ってきました、なんて怪しいだけだからね」


「俺、そんなに怪しいですか?」


「怪しいよ」


即答だった。


少しは迷ってほしかった。


「それと」


ベラの視線が、ちらりと俺の腰の後ろに向いた。


「帰りに針子のところへ寄るからね」


「針子?」


「そのズボンだよ」


俺の銅貨は、もう尻の縫い目に狙われていた。

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