第11話 手ぶらで帰ってきた男
夜の森は危険だ。
それはもう身をもって知っている。
いまの俺は狼に襲われても、ファイヤーで撃退できるかもしれない。
できるかもしれないが、できればやりたくない。
またズボンが燃える。
いや、もう燃えるところはもうかなりないのだが、それでもさらに悪化する可能性がある。
それに、森の中で尻から火を出しているところを誰かに見られたら終わる。
村に来たばかりで、怪しい旅人から危険な旅人に進化してしまう。
進化ではない。
退化だ。
俺は収納の中に入っているはずの薪と薬草とボソの実を信じて、森を出た。
両手は空いている。
身軽だ。
収納魔法のおかげだ。
ただし、見た目だけなら手ぶらで帰る男である。
これ、ベラに信じてもらえるだろうか。
たぶん無理だ。
ベラの顔が頭に浮かぶ。
「アンタ、何しに行ったんだい?」
言いそうだ。
めちゃくちゃ言いそうだ。
いや、絶対に言う。
村に戻る頃には、空はだいぶ赤くなっていた。
初めて来た時と同じように店のドアを開ける。
「お疲れ様です」
俺はつい頭を下げながら中へ入った。
日本にいた時の癖が出た。
こっちでも通じるのだろうか。
というか、異世界の村の食堂に「お疲れ様です」で入ってくる旅人はどうなんだ。
カウンターにいたベラが、俺を見た。
そして、眉を寄せた。
「アンタ、何しに行ったんだい?」
ほら来た。
予想通りすぎて少し悲しくなった。
「いや、言われた通り、森で薪と薬草を集めてきたんですけど」
「そのわりには手ぶらじゃないか」
ベラの視線が俺の両手に向く。
何も持っていない。
そりゃそうだ。
全部収納している。
だが、ベラから見れば、俺は夕方まで森に行って、何も持たずに帰ってきた井戸水泥棒である。
印象が悪い。
非常に悪い。
「やる気がないやつの相手をしてる暇はないよ」
「いや、違うんです。収納魔法に入れて――」
言い終わる前に、ベラが鼻で笑った。
「収納魔法? アンタ、まだそんなこと言ってるのかい?」
「本当なんですけど」
「そんな嘘をついてごまかすくらいなら、薪の一本でも拾ってきな」
魔法のことはまったく信じてもらえないようだ。
まあ、最初から信じてはいなかった。
俺が魔法を使えることを証明するのは簡単だ。
簡単なのだが、かなり恥ずかしい。
というか、証明した瞬間に別の問題が発生する。
収納魔法を見せる。
つまり、俺の収納の入口と出口を見せる。
そんなものは人に見せるものではない。
少なくとも、初対面に近いおばちゃん相手に披露する芸ではない。
俺は少し考え、なるべく自然な顔を作った。
「あの、トイレとか借りられませんか?」
トイレで出して、見えないところに積んでおけば大丈夫だろう。
ベラの目が細くなる。
「はぁ? さっきまで森にいたんだろう?」
「お願いします。ちょっとだけ」
「森で済ませてくればよかっただろうに」
「そこをなんとか」
ベラは大きくため息をついた。
「まったく、手ぶらで帰ってきたと思ったら、今度はトイレかい」
そう言いながら、ベラはカウンターの下から木の桶を取り出した。
だいぶ使い込まれている。
「あいよ」
「え、これは?」
「だから“トイレ”だよ。捨てるのは自分でやるんだよ」
俺は桶を見た。
桶は桶である。
木の桶である。
なるほど。
この世界の文明レベルが、また一つ分かってしまった。
知りたくなかった方向で。
まさか、おまるがトイレとは。
いや、考えてみれば村の食堂に水洗トイレがあるはずもない。
日本の感覚で考える方が間違っている。
間違っているのだが、だからといってこの桶にまたがりたいわけではない。
絶対に嫌だ。
しかも俺がやりたいのは、そういうことではない。
出したいのは出したいのだが、そういう意味ではない。
「あ、これじゃなくてですね。小さい方なので、裏庭とか、人に見られない場所はないですか?」
「はぁ……」
ベラのため息が深くなった。
ベラはカウンターの奥を指差した。
「そっちを抜けたところが裏だよ。変なことするんじゃないよ」
「しません。すぐ済ませますので」
変なことではある。
だが、犯罪的な変なことではない。
魔法的な変なことである。
この差を説明するのは難しい。
俺は木の桶を持たずに、店の裏へ向かった。
背中にベラの視線を感じる。
たぶん怪しんでいる。
そりゃそうだ。
手ぶらで帰ってきて、収納魔法だの、トイレに行きたいだのと言い、裏庭へ行く男。
怪しくない要素が少ない。
裏庭、というか店の裏側に出ると、少し開けた場所があった。
薪を積む場所なのか、壁際に古い木箱や空の樽が置かれている。
幸い、ほかに人はいない。
よし。
ここなら出せる。
出せるという言い方がもう嫌だ。
俺は周囲をもう一度確認した。
誰もいない。
鳥もいない。
できれば鳥にも見られたくない。
俺は尻に魔力を集中させた。
収納した物を取り出す。
さて、どうやって出す?
入れるときは、対象を尻の近くに持っていって収納した。
出すときも、たぶん同じだ。
出したいと思えば出る。
はずだ。
ただし、何がどの順番で出るかは分からない。
薪。
ボソの実。
ファリル草。
小石。
たぶん最初に入れた小石もまだ入っている。
あれも出てくるのだろうか。
「……茶色いもので汚れてたら嫌だな」
いや、嫌なのは小石だけではない。
そもそも、この状況が嫌だ。
だが、やるしかない。
俺は腰を少し落とし、裏庭の空いている場所に尻を向けた。
取り出したい。
入っているものを取り出したい。
そう念じる。
ぽとん。
何かが落ちた。
小石だった。
「やっぱりお前か」
最初の実験で入れた小石が、裏庭の土の上に転がっている。
収納魔法は律儀だった。
入れたものの順番をちゃんと覚えている。
すごい。
すごいのだが、もう少し空気を読んでほしかった。
俺は改めて念じた。
薪。
薪を出したい。
次の瞬間、バサバサバサッと枯れ枝が落ち始めた。
「おおっ」
出る。
出ている。
尻から薪が出ている。
いや違う。
収納空間から薪が出ている。
その出口がたまたま俺の尻付近にあるだけだ。
ここは大事だ。
心の健康のために大事だ。
俺は少しずつ位置を変えながら、薪を積み上げていった。
出す。
出す。
出す。
どんどん出る。
俺の背後で、薪の山ができていく。
普通なら感動する場面である。
異世界チートで大量の素材を一気に取り出す。
冒険者ギルドの受付嬢が「こんなにたくさん!?」と驚くやつだ。
だが、現実には店の裏庭で、おっさんが尻を向けて薪を出している。
受付嬢はいない。
いるのは、店内にいるであろう恰幅の良いベラだけだ。
次にファリル草を取り出す。
葉が潰れないように、なるべくそっと。
そっと、とは。
尻から出るものに「そっと」も何もあるのか。
だが、気持ちは大事だ。
俺は薬草を出したいと念じる。
ふわり、と草の束が落ちた。
おお。
これは思ったより丁寧に出せる。
出す速度や量は、ある程度イメージで調整できるようだ。
スキルレベルが上がれば、もっと正確に取り出せるかもしれない。
つまり俺は今、尻から物を丁寧に出す練習をしている。
やめよう。
その文章は心に悪い。
数分後、裏庭にはそれなりの量の薪とファリル草、ついでにボソの実が少し積み上がっていた。
ボソの実は自分用に取っておきたい気もしたが、いくつかは見せておいた方が良いだろう。
働いた感がある。
俺は額の汗を拭った。
魔法で出しているだけなのに疲れた。
肉体的というより、精神的に疲れた。
店に戻ると、ベラが腕を組んで待っていた。
「遅かったじゃないか」
「すみません。あの、薪と薬草を集めてきたのを裏庭に置いているので、確認してもらえませんか?」
「はぁ?」
ベラは露骨に怪しむ顔をした。
だが、俺が真面目な顔をしているからか、しぶしぶカウンターを出てきた。
「何もなかったら、今度こそ森に戻すからね」
「あります。ちゃんとあります」
「どうだか」
ベラはやれやれという調子で裏庭へ向かう。
俺はその後ろを追った。
そして、薪と薬草の山を見つけた瞬間、ベラの足が止まった。
「……」
ベラはしばらく無言だった。
それから、ゆっくりと俺を振り返る。
「これ、全部アンタが集めたの?」
やっと、手ぶらではないことを証明できる。
証明の仕方は、できれば忘れたい。
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