表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/16

少女と悪魔

 ルカはクロードとクレアと合流し、状況を整理するため、一度宿に戻ることとなった。

 宿の中は、外よりもさらに静かだった。

 クロードは壁にもたれたまま腕を組み、何かを考えている。

 クレアは椅子に腰掛け、視線だけをルカへ向けた。


 ルカは先ほどの出来事を報告する。

「契約悪魔を確認しました」

「禁忌魔術使用者とも接触しています」

 クレアは小さく頷いた。

「状況は」

 ルカは一瞬だけ言葉を探す。

「……使用者は、悪魔への依存が強いです」

「悪魔側も、使用者を保護しているように見えました」

 部屋に短い沈黙が落ちる。

 クレアはわずかに目を伏せた。

 一度、間を置くように息を吐く。

 そして静かに口を開く。

「第三課題対象を変更します」

 淡々とした声だった。

「契約悪魔ヴァルシオン」

 一拍置いて、続ける。

「及び」

「禁忌魔術使用者イサナ」

「両名の討伐へ移行します」


 ルカの表情が止まる。

「……討伐?」

 声だけが、遅れて落ちた。

 クレアは迷いなく頷く。

「共依存状態と判断されました」

「切り離しは困難です」

 クロードは壁にもたれたまま、低く呟いた。

「……人の感情を餌にするタイプだな」

 視線は虚空を見ている。

「依存を“作ってる”可能性がある」

「手遅れだ」

 ただ事実として受け止めている顔だった。


 ルカだけが、視線を落とした。

 手の中に何もないのに、何かを握り潰してしまいそうだった。

 さっきまで見た少女の声が、頭の奥に残っている。

「……討伐」

 もう一度、誰に言うでもなく繰り返す。


 

 改めてルカとクロードは、ヴァルシオンが消えた方向を捜索していた。

 クレアは少し後ろを歩き、周囲の警戒を続けている。

 森の中は静かだった。

 足音だけが一定のリズムで続く。

 中々、手がかりは見つからない。


 クロードが別の方向へ視線を向けている、その一瞬だった。

 ルカは地面に違和感を見つける。

 枯葉で覆われた場所に、かすかな焦げ跡があった。

 焚き火の痕跡だった。

 誰かが意図的に隠したような、不自然な残り方だった。

 ルカは一度だけ周囲を見る。

 クロードもクレアも、まだ気づいていない。

 迷いが一瞬だけ浮かぶ。

 次の瞬間には、足が動いていた。

 気づかれないように、そっとその方向へ踏み出す。

 

 自分でも、何をしているのか分からなかった。

 イサナは本当に手遅れなのか。

 その考えだけが、頭から離れなかった。

 ただ一つ確かな感情がある。

 このまま、終わらせたくなかった。


 森の奥は静かだった。

 風が枝を揺らす音だけが、遠くで続いている。

「……また来たの」

 声に気づいて視線を上げると、イサナがいた。

 木陰に座り、こちらを見ている。

 ルカは反射的に一歩止まり、距離を取る。

 近づきすぎない位置で立ち止まった。

「少し、話したかった」

 イサナはすぐには答えない。

 警戒を解かないまま、ルカを見つめている。

「……討伐しに来たの?」

 低い声だった。

 ルカは一瞬、言葉を失う。

 否定も、肯定も出てこない。

 沈黙が落ちる。

 イサナは視線を伏せた。

「やっぱり、そうなんだ」

 小さく、壊れそうな声だった。

 ルカは唇を噛んだ。

「さっき言ってただろ」

 イサナの肩がわずかに揺れる。

「ヴァルが優しかったって」

 風が一度、森を抜けていく。

 ルカは言葉を探すように続けた。

「……そこまで、一緒にいる理由って何なんだ」

 イサナはすぐには答えなかった。

 視線を落としたまま、指先だけが服の裾を握りしめている。

 やがて、小さく息を吐くように言った。

「眠れないの」

 ルカが目を上げる。

 イサナは顔を上げないまま続けた。

「ヴァルがいないと」

 一度、言葉が途切れる。

「一人になると……怖くて」

 細い指に力が入る。

「夢を見るの」

 ルカは動かない。

「埋められる夢」

 声がかすれる。

「暗くて」

「苦しくて」

「息が……できなくて」

 最後の言葉だけ、少し崩れた。

「でも、ヴァルがいると」

「怖くなくなる」

「ちゃんと眠れるの」

 イサナはそこで、一度言葉を切った。

 喉が小さく上下する。

「……眠れるの」

 繰り返す声は、確かめるみたいだった。

 沈黙が落ちる。


 依存だった。

 けれど。

 それだけじゃない。

 縋ることで、ようやく壊れずにいる。

 そんな危うさだった。

 ルカは小さく息を吐く。

「……悪魔だぞ」

 掠れた声だった。

 イサナは泣きそうに笑った。

「分かってる」

 短く、そう言う。

 それでも、言葉は止まらなかった。

「でも」

 ゆっくり顔を上げる。

「もう、ヴァルしかいないの」

 その言葉が落ちた瞬間だった。

 空気が変わる。

 音が一段、遠のく。

 ルカは反射的に振り向いた。

 木々の奥。

 そこに、人影があった。

 いつからそこにいたのか分からない。

 ヴァルシオンが立っている。

「またお前か」

 金色の瞳が、静かにルカを捉えた。

 温度のない視線だった。

「それ以上、近づくな」

 低い声。

 それだけで、周囲の空気がさらに重くなる。

 イサナは一度だけルカを見た。

 しかし、すぐにヴァルシオンの側へ歩く。

 ヴァルシオンはイサナを背後へ収めるように立つ。

 守るように。


 ルカは剣に手をかけるか迷った。

 動けないまま、呼吸だけが浅くなる。

 その時だった。

「お前、勝手に抜けんな」

 後方から声が落ちる。

 ルカははっと振り向く。

 クロードだった。


 クロードの視線が、ルカの背後を越える。

 一瞬、間が空く。

「……契約悪魔」

 低く呟いた。

 次の瞬間、槍が構えられる。

 ルカの表情が強張る。

「クロード——」

「確認した」

 短く、切り捨てるような声。

 視線はヴァルシオンから一切外れない。

「討伐する」

 その一言で、空気が完全に変わった。

 ヴァルシオンの目が細くなる。

 温度が消えた視線が、クロードへ向く。


 次の瞬間。

 胸の奥を、直接掴まれるような圧迫感が走った。

 呼吸が一瞬だけ乱れる。

 恐怖。

 不安。

 沈み込むような重さ。

 自分の中のものではない感情が、流れ込んでくる。

「っ……!」

 クロードが踏み込む。

 一切の迷いがない突き。

 だが。

 ヴァルシオンは人間離れした動きでそれを避けた。

 黒い影が揺れる。

 次の瞬間には、距離が詰まっていた。

 重い衝撃。

 クロードの身体が吹き飛ぶ。

「クロード!」

 ルカは反射的に剣を抜いた。

 もう、迷う時間はなかった。

 踏み込み、そのまま斬り込む。

 斬撃はヴァルシオンの腕で受け止められる。

 硬い。

 刃が通らない感触。

 人間のそれではない。

 そのまま、金色の瞳が至近距離でルカを見据えた。

 次の瞬間、頭の奥に何かが流れ込んでくる。

 暗い感情だった。

『助けられなかった』

『また失う』

 知らないはずの記憶が、胸の内側を圧迫する。

「ぐっ……!」

 ルカの動きが止まる。


 その瞬間。

 ヴァルシオンが消えた。

「——っ!」

 反応は遅れていた。

 黒い爪が、ルカの脇腹を裂く。

 鈍い衝撃。

 一拍遅れて、激痛が走った。

「ぁ……っ!!」

 肉を抉られる感覚。

 焼けるような熱。

 脇腹から血が一気に溢れ出す。

 ルカの身体が大きく揺れた。

 呼吸が止まる。

 視界が白く弾ける。

 ヴァルシオンはそのまま、ルカを地面へ叩きつけた。

 背中に強い衝撃が走る。

 息が潰れる。

 傷口から、どろりと血が溢れた。

 立てない。

 腕にも力が入らない。

 視界が揺れる中、ヴァルシオンがゆっくりと近づいてくる。

 逃げる余地はなかった。

 止めを刺す気だと、直感で分かった。


「舐めんな……!」

 視界の端を、何かが横切る。

 クロードだった。

 砕けた息のまま、それでも前へ踏み込んでいく。

 全力の突き。

 狙いはヴァルシオンの胸。

 だが。

 黒い腕が、それを受け止めるように槍を掴んだ。

 嫌な音が響く。

「っ!?」

 次の瞬間、槍に亀裂が走った。

 金属が軋み、悲鳴のような音を上げる。

 そして、折れる。

 砕けた槍が地面に落ちた。

 クロードの表情が初めて崩れるのが見えた。

 ヴァルシオンは、一歩、踏み込んだ。

 殺気が、肌を刺すように伝わってくる。

 本気だった。


 その時だった。

「下がって下さい」

 静かな声が落ちる。

 クレアだった。

 指先がわずかに動く。

 次の瞬間、黒い杭が放たれた。

 一直線。

 ヴァルシオンの影へ突き刺さる。

 瞬間。

 影が地面へ縫い付けられた。


 ヴァルシオンの動きが止まる。

「……何だ」

 初めて、声に警戒が混じった。

 クレアは感情を見せないまま、次の杭を構える。

 打ち込む。

 一本。

 さらに、二本。

 三本。

 影が縫い留められていく。

 空間そのものが釘で押さえつけられていくようだった。

 ヴァルシオンの身体が強引に引き戻される。

 抵抗するたびに、地面へ黒い亀裂が走った。


 クレアが一歩前へ出る。

 足音はない。

 ただ、静けさだけが濃くなる。

「核を破壊します」

 淡々とした声。

 杭が振り上げられる。

 狙いはヴァルシオンの胸元。

 迷いはない。


 その瞬間だった。

「殺さないで!!」

 叫び声が響く。

 次の瞬間、冷たい感触が首に触れた。

 ルカは息を止める。

 刃だった。

 イサナが、そこにいた。

 震えている。

 泣いている。

 それでも、短剣だけは離さなかった。

 空気が凍りつく。

 クレアの動きが止まる。


 クロードが目を見開く。

「お前……」

 言葉が続かない。

 イサナは必死だった。

「この人しか、もういないの……!」

 涙が頬を伝って落ちる。

「お願いだから……!」

 ルカは何も言えなかった。

 脇腹の傷が、呼吸のたびに痛む。

 声を出そうとしても、喉が上がらない。

 クレアは静かにイサナを見ている。

 長い沈黙だけが、その場を支配していた。


 やがて。

 クレアが杭をゆっくりと下ろした。

「……撤退します」

 クロードが即座に振り返った。

「クレア試験官!?」

 声には明確な動揺が混じっていた。

 だがクレアは一切動じない。

「課題の難易度として、不適切でした」

 淡々とした声だった。

 それでも、警戒だけは一瞬たりとも解いていない。

 イサナからも、ヴァルシオンからも視線を外さなかった。


 ヴァルシオンは、地面に刺さっていた釘を一本ずつ引き抜いた。

 金属が抜けるたびに、張り詰めていた空気がゆっくりと戻っていく。

 イサナがヴァルシオンへ駆け寄る。

 そしてそのまま、隣へ立つ。

 金色の瞳が、まっすぐルカを捉える。

「次は、容赦しない」

 低く、静かな声。

 脅しではなく、事実の宣告だった。

 そのまま二人は、森の奥へと歩き出す。

 足音はすぐに闇に溶けた。

 気配だけが、ゆっくりと消えていく。


 誰も、追えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ